まとめとは? 日常的な身の回りの出来事から、世界を揺るがすニュースまで、本が扱うテーマは森羅万象。四季折々の年間イベント、仕事、暮らし、遊び、生きること、死ぬこと……。さまざまなテーマに沿う本の扉をご用意しました。扉を開くと読書の興味がどこにあるのか見えてきます。 日本のお宝からおうちごはんまで、最強の参考書3選! 〈とんぼの本〉は、1983年の創刊。 美術、工芸、建築、写真、文学、歴史、旅、暮らしをテーマにしたビジュアルブック・シリーズです。
前作『身体巡礼―ドイツ・オーストリア・チェコ編―』と、その続編である『骸骨考―イタリア・ポルトガル・フランスを歩く―』を一気に読み、私はヘンな夢を見たような心地に包まれた。 ヨーロッパに出かけたはずなのに、出てくるのは骸骨ばかりという夢。そこに養老孟司先生が現われ、ぶつぶつ何かをつぶやいている。その一つひとつに私は感銘を受けるのだが、何を言われたのかよく覚えていない。しまった、きちんとメモを取っておけばよかったと後悔するのだが、幸いこれは夢ではなく本なので再読できる。そこで冒頭からまた読み直してみるのだが、夢の中で夢を見るようで、どうやらこれは旅行記というより、読者の意識を非意識の世界に組み替えていく、一種のだまし絵のようなのである。 両書ともヨーロッパのお墓への巡礼の記録なのだが、そもそもなぜヨソ様の墓を巡るのかというと、ご本人曰く「どうしてこんなこと、始めちゃったのかなあ。自分でもよく
※このエッセイには性暴力場面の撮影に関する記述があります 12 インティマシーコーディネーター 昨年はハードな役が続きました。何人もの愛人を囲い、人を殺めることもためらわない詐欺師。歯向かう者は消し、臓器ブローカーに死体を売り払う男。ショットガンで人を撃ち、手をナタで切り落とすサイコパスの連続殺人鬼。 中でも一番ハードだったのは、自分の娘に幼い頃から性的暴行を加え続けている父親の役。そう、NHKドラマ「大奥」で演じた徳川家慶です。放送後、大きな反響をいただきました。 この作品は、まず台本を読んだ段階でストーリーがとても独創的なのが気に入りました。が、僕にとっても娘役の俳優さんにとっても心身ともにハードな現場になるのは明らかでしたので、お受けするにあたって僕は必ず「インティマシーコーディネーター」さんを付けてください、とお願いしました。制作サイドも最初からそのつもりでいらしたというので、それ
証拠のひとつひとつはとても些細で、ヴァン・ダインの探偵小説のように衒学的に見えなくもない。ところがついには無駄がない。対象をやや遠くから、しかし確実に囲い込み、搦め手も押さえきって、ついに本丸へ。そうやって小林秀雄の謎が解かれるのだ。とりわけ『考へるヒント』をヒントに。 そもそも謎とは? ランボーや志賀直哉を相手にしていた小林がなぜ本居宣長に着地したのか。でも小林は日本の昔にだって早くから触れていただろう。戦後すぐの「モオツァルト」ではモーツァルトの音楽を『万葉集』と重ねていたっけ。天下御免、時空超越。旗本退屈男もびっくりだ。その自信はどこから来るか。本書はたとえば1941年の「歴史と文学」を引く。「『平家物語』は、末法思想とか往生思想とかいふ後世史家が手頃のものと見立ててかゝつた額縁の中になぞ、決しておとなしくをさまつてはゐない。躍り出して僕等の眼前にある。そして僕等の胸底にある永遠な歴
保田與重郎論は難しい。たいていは失敗していると思う。そうなるのには大きな理由があろう。保田は自ら日本浪曼派と名乗った。イロニーという言葉も使った。だから当然、保田はドイツ・ロマン派に影響されてイロニーを駆使するロマンティックな文学者であり思想家なのだろうと、大抵の書き手は誘導されてしまう。かの有名な橋川文三の『日本浪曼派批判序説』も結局はそうだろう。橋川は戦時期に接した保田の同時代の文業を「私たちの失われた根底に対する熱烈な郷愁をかきたてた」と評した。失われたものへの郷愁! 異界への憧れ! ロマン派の本質でもあろう。時間的には昔、空間的には遠方。決して自らが手にし得ぬものを理想化して崇拝し、昔や遠方から力を得て自我の空想を肥大させ、そこから反転して、没理想的な今あるここの現実に、イロニーの集中砲火を浴びせる。それがロマン派の戦略というもので、日本浪曼派も同様であると考える。 が、そのような
素晴らしい読書体験の裏には、古今東西の先人達が 受け継ぎ、磨き上げた本作りの知恵がたくさん詰まっています。 本を便利に読みやすくするための工夫、 美しさのための工夫、長持ちさせるための工夫。 身近な「本」について、あらためて学んでみましょう。 本の各部の名称 ※上図の各名称をクリックすると解説にジャンプします 1.天(てん) 本の上の部分です。 2.地(ち) 本の下の部分です。 3.小口(こぐち) 本を開く側です。広い意味では天と地も含まれますが、背の反対側のみを指して使われることが一般的です。 4.のど 本を綴じている側、「小口」から見て一番奥の部分です。 5.表紙(ひょうし) 書籍本体の一番外側の部分です。 6.カバー 表紙の上にかけられている紙。本来の目的は表紙の傷みや汚れの防止ですが、本の「顔」としての役割も大きく、様々なデザインや素材が用いられます。「ジャケット」とも言います。
右翼から左翼、文学者や哲学者まで、近代以降の論客がその魅力や影響を語り続けてきた国民的高僧・親鸞。「懺悔の達人」「反権力の象徴」「宗教の解体者」など、それぞれの親鸞論を読み解き、「絶対他力」「自然法爾(じねんほうに)」といった思想の核心に迫る。日本人の“知的源泉”に親鸞あり――。気鋭の研究者による、親鸞論の決定版!
現代ソマリランドと室町日本の類似性を指摘した、衝撃の対談本『世界の辺境とハードボイルド室町時代』から6年。以来、折に触れ交流を重ねてきた二人が、清水氏の新著刊行を記念して、ディープに語り合った。 高野 今回は初めてのエッセイですよね。あらためて読んでみて、清水さんが一流の歴史家なのは当然として、完成された語り部でもあると再認識しました。とにかく、読みやすく、面白く、笑える。でも雑学に流れず、歴史と日本人の本質を突いてくる。 清水 ありがとうございます。今回はエッセイということで、歴史研究者の殻を破って、思い切って書きました。 高野 こういう歴史エッセイはありそうでなかったですよね。身近な話題から入って、次第に歴史の深いところに踏み込んでいって、中世と現代に意外な共通点があることを気づかせる。 清水 そこは意識的にやりました。 高野 この構成は、ちょっと授業っぽいと思いました。同性愛の話とか
ぼくは幸運だった(抄)――『決定版 日本の喜劇人』巻末付録より ――『日本の喜劇人』は雑誌「新劇」の一九七一年六月号から翌七二年三月号まで連載されました。七二年に最初の単行本が出て以来、名著の証でもありますが、〈定本〉〈文庫版〉など何度か版が新たになり、そのたびに加筆・改稿されてきました。いよいよ今回はその名の通り、『決定版』の刊行です。 小林 思い出話をすると、この本の新しい「あとがき」を書いたばかりなので、どうしても重なることが多くなりますが……。『日本の喜劇人』を書いたのは、「新劇」に連載する何年も前に、古波蔵保好さんに唆されたのがきっかけなんですよ。古波蔵さんも映画好きで、ぼくは編集者(「ヒッチコックマガジン」編集長)だったから、あれこれ喋っているうちに、「ご覧になってきた喜劇人について書いてみませんか」と誘ってみたんです。 当時、「日本喜劇人協会」が出来て、エノケン、ロッパはとも
今から十四年ほど前、別冊太陽「シルクロードの染織と技法」にあった〈蘇る天平の彩〉と題されたページとの出合いを忘れられない。東大寺の盧舎那仏が発願されてちょうど一千二百五十年にあたる年の慶讃法要のため、正倉院宝物に残る染織品を範に、当時の技法のままに再現した伎楽装束や幡(旗の一種)。鮮やかな天平の色彩は、ただぼんやり、日本の色ってすてき、と思っていたユルい憧れを打ちのめした。なんという色、なんという技、なんという歴史。それを手がけたのが、京都に五代続く「染司よしおか」当主にして染織史家の吉岡幸雄先生だった。以来、著書を愛読、十年ほど前からは、染織史を学ぶ会に加えていただき、先生の貴重な染織コレクションや豊富な知識に触れ、よちよち歩きながら、先生が歩む道のうしろに連なっている。 日本人の愛した色。心惹かれる題名だ。色はあまねく地球上にある。しかし風土、文化により、感じ方や好みも変わる。四季のあ
第一章 見捨てられた様な薄汚いものから 武蔵野台地の縁の坂道を降りて行く。東急電鉄大井町線の尾山台駅から駅前商店街を南の方に歩き、環状八号線を渡ると、その先は下り坂になる。石坂洋次郎の小説『陽のあたる坂道』の坂道は緑が丘の坂道で、緑が丘駅も同じ大井町線。尾山台駅から大井町行きに乗ると三駅め。とても近い。尾山台も自由が丘も緑が丘も武蔵野台地の縁にあって高低のあるところということでは同じだろう。どこからも多摩川はもうすぐである。とにかく尾山台から多摩川に向かう陽のあたる坂の途中に、伊福部昭の家はあった。 伊福部という作曲家の存在する空間を是非とも感じたい。思い立って尾山台に出かけたのは、中学一年の夏休みであったから、一九七六(昭和五一)年のことである。 幼い頃、耳について離れなくなる音楽があった。映画音楽である。どれも何だか似ている。映画館で覚えてきてしまい、何日も何週間も頭の中で鳴る。ようや
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