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2014年5月25日のブックマーク (5件)

  • 合コンについての短い手記 - ちなみに

    突然だが合コンというやつに参加してきた。 <指摘があったため写真を削除> 普段はそういったお誘いは断るというポリシーで生きてきたが、お世話になっている方からのお誘いだったので参加してみることにした。同窓会も行ってみたら楽しかったので、まあこれも人生経験だという気概だった。 誘っていただいた方と幹事の方以外の参加者の素性が、当日まで分からないというおもしろ展開であったが、そんなめちゃくちゃな事にはならないだろうという変な確信があって、感情は無であり、至って落ち着いて参加することができた。 当日は、三条の鴨川河川敷で誘っていただいた方と合流。学生が大挙して鴨川にやってきていて荒れまくりでつらかった。 お店で早めに男性陣だけで集まり自己紹介など。4人中2人がはじめましてだったけど、とても人当たりのよい方達で緊張せずに話をできた。そしてどうも幹事さんも相手の素性が詳しく分からないという衝撃の事実が

    合コンについての短い手記 - ちなみに
    ijustiH
    ijustiH 2014/05/25
    ふーん
  • セックスと傷

    1月。知り合って間もない人にホテルに連れ込まれた。まさか自分がそんな目に遭うとは思わず、逃げられない状況にどうしたらいいかわからなくなった。 嫌いではないが、好きでもない人。「大人が2人で会うってそういう事でしょ?」と言われ自分の甘さと馬鹿げた幼さに打ちのめされた。 もういい年の大人として、この場を収めるには抗わずやってしまうことなのか。生来の天邪鬼で、被害者になるのは嫌だった。 セックスは嫌いではない、人の肌に触れるのは好きだから。でも、好きでもない人とする初回のセックス。緊張して感じない。ヤケクソなセックス。細部まで覚えているが、実験手順の振り返りのようだ。 セフレを持つ人や、一夜限りの関係、話はよく聞くけれど自分には関係のないことだった。終わってから、そういう、大人にはよくある出来事なのだと思い込もうとした。 だめだ。今になってもまだ痛みを抱えている。何に対する痛み? それすらよくわ

    ijustiH
    ijustiH 2014/05/25
  • 誕生日に片思いの相手から電話がかかってきた。 - 自省log

    私事であるが日5月24日は、私の誕生日だ。歳を追う毎に"誕生日を意識すること"も減ってきたが、若い頃はこの日に並々ならぬ想いを抱いていたものである。 まだ学生時代の話。当時私はバイト先の同僚に絶賛片想いをしており、ちょうど誕生日周辺はその想いがピークであった。 たまにメールや電話をする程度の仲で、1対1のデート経験はなく集団で遊びに行くくらいの希薄な関係性。ただ私の片想いは公の事実だったので、もし脈があるのなら「お誕生日メール」くらいは貰えるかな、と淡い期待は捨てられずにいたことを覚えている。 そうして迎えた5月24日、今も忘れない22時過ぎ。誕生日の大半が終わり、全く連絡が来なそうな雰囲気に打ちひしがれていた時のことである。突如メールの着信を知らせる、福音が部屋にこだました。 題名:無題 文:こんばんわ!ちょっと話したいことあるんだけど電話していいかな? 彼女からのメールだった。 無

    誕生日に片思いの相手から電話がかかってきた。 - 自省log
    ijustiH
    ijustiH 2014/05/25
  • パソコン遠隔操作事件、その後の雑感: 極東ブログ

    世間的にはパソコン遠隔操作事件はあっという間に終わってしまったのかもしれない。だが、この数日間、関連して私の心には奇妙に沈んだものがあった。でもなあ、また、いやなコメント貰うくらいなら黙っていてもいいのだけど、とも思う。でも、やはり少し書いておこうかとも思う。うーん。書いてみよう。 その話の前に、関連はあるけど、直接的に関係した話ではないことに少し触れておきたい。佐藤博史弁護士の会見報道(参照)で思ったことだ。この部分である。 《あふれる涙をこらえる姿を見せると、会見場に詰めかけたカメラマンは一斉にシャッターを切った》 佐藤弁護士「ただ、これから私たちの仕事は胸を張ってというものではないですが、これ(弁護人に嘘をついていた片山被告の弁護)も仕事と割り切っている」 《佐藤弁護士は、カトリック教会における「悪魔の代理人」という言葉を引き合いに出した》 佐藤弁護士「宗教裁判で悪魔として裁かれる人

    パソコン遠隔操作事件、その後の雑感: 極東ブログ
    ijustiH
    ijustiH 2014/05/25
  • 「東南アジア 多文明世界の発見 (興亡の世界史)」石澤 良昭 著

    東南アジアの歴史に対しては茫洋としていていまひとつ捉えどころがないイメージを感じてきた。目を閉じてみる。茫洋とした海原を越えた先に燦然と輝くアンコール・ワットが浮かんだかと思えば、すぐにヴァスコ・ダ・ガマらポルトガル人が押し寄せ、商人と海賊とが交錯するうちにポルトガルやオランダ、イギリスの植民地と化して、東南アジアの現地の人々の営みはすぐにイメージから消え去っていく。そのあとに浮びあがるのは二十世紀の苛酷な内戦と独裁と戦争、そして二十一世紀の目を見張る経済成長の姿だ。特に十五世紀以前の東南アジア地域のイメージは殆どないと言っていい。 近くて遠い東南アジアの歴史はどのようなものだったのか。著者は東南アジアの歴史を、古代から中世、中世から近世、近世から近代というような、直線的な『進歩と発展をともなう歴史展開ではな』(P29)く、『いうなれば「自己充実史」であり、「精神文化深化史」ではないだろう

    「東南アジア 多文明世界の発見 (興亡の世界史)」石澤 良昭 著