【榊山神社文書】 解題 熊野庄内各社の物申役を勤めた梶山氏に伝来する文書である。 一 熊野社神田注文 熊野之内御神田[ 一米五石 八幡御神田 物申かゝへ (ヵ) 一壹石五斗 す才神田 物申かゝへ 此内四斗五升ハ不作 一米五斗 熊のう神田 物申かゝへ (王) 一米貳斗 天玉神田 物申かゝへ 一米五斗 きおん神田 [ ] 以上七石参斗 (1555) 天文廿四年十二月十日 赤川源左衛門尉(花押) 兒玉若狭守 渡邊新右衛門尉(花押) くまの物申 まいる *書き下し文・現代語訳は省略。 「注釈」 「榊山神社」─安芸郡熊野町中溝。熊野盆地の西北にそびえる城山と金ヶ灯籠山の間に ある谷の入口で、盆地の大半を眺望できる丘陵上に鎮座。もと本宮八幡 宮と称し、神功皇后以下三神を祀る。旧村社。承平三
「幻の古代山城を発見!」というニュースを、いつの日か聞きたいものだ。というのも、『続日本紀』という公的記録に記載されながら、その場所が特定されていない山城が、備後国には二つもあるからだ。 それは「常城(つねき)」と「茨城(いばらき)」。茨城はさっぱり分からないが、常城は「常」という地名が福山市新市町にあることから、ある程度の場所は推定できる。今日は幻の常城の探訪である。 府中市本山町に「青目寺(しょうもくじ)跡 東御堂地点」がある。県指定の史跡である。 人工的な平坦地であることは、見ただけで気付く。府中市教育委員会の説明板があるので読んでみよう。 南東に延びる尾根筋の鞍部を削平して平坦面が作られている。平坦面の中心には、石で周囲を囲い1段高くした基壇が残っている。基壇の内側には礎石が並んでいる。方形のお堂が建っていたと思われる。 青目寺は江戸中期に同じ山の中腹に移転している。門前の説明板に
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