日本は「博物館大国」といわれる。美術館、動物園なども含む広義の博物館が約5700もあるからだが内実は厳しい。地方では入場者数の減少で経営が苦境にある施設が多く、貴重な資料がありながら閉館したり、存続に黄信号がともったりしている例もある。作家・島崎藤村の生地、岐阜県中津川市馬籠にある「藤村記念館」。1947年、地元住民の勤労奉仕で建てられた。長編小説「夜明け前」の原稿など約7500点の資料を保管
フィンランドから日本に来て、美術大学の修士課程で研究している若い方の訪問を受けました。研究テーマは「もったいない」。日本で育まれた「もったいない」という言葉を軸に、環境とものづくりの関係について再考する、そのために日本の手工芸品における「もったいない」の事例について調べている、といったお話でした。意欲に満ちた調査だな、と思いましたが、とはいえ、手工芸品だから自然が生み出す素材を活かした仕事、省資源で環境負荷も低い、みたいな話にはやすやすとは乗れないのも事実です。宙吹き硝子が一ヶ月にどれほどの化石燃料を使い、どれほどの二酸化炭素を排出するか、登り窯を一回焚くのにどれほどの薪を使うか、歩留まりの悪さはいかほどか。素材が自然に還るから、というけれど、その辺に捨てれば不法投棄、ゴミとして出せば焼却か埋め立てになるのも現実です。だからといって、うっかり資源を公的に管理して過剰生産を抑制する、といった
──本対談では建築と彫刻の交点から「記念性」を考えます。彫刻家であり彫刻研究者の小田原のどかさんは、今年6月に上梓された『彫刻 1』(トポフィル、2018)をはじめ、作品制作や執筆、出版活動を通して彫刻の議論を展開されています。また建築史家の戸田穣さんは2017年に『建築雑誌』で「建築は記念する」という特集を企画されました。今日は、建築・彫刻の分野における記念性について、きわめて今日的な問題提起を行なっているお二人にお話しいただきます。 戸田穣──このところモニュメントやメモリアルに関心を持っています。最近は特に20世紀後半の日本における世俗の慰霊空間について調べていて、2016年には『10+1 Website』に「千鳥ヶ淵から考える慰霊の空間」という文章を寄稿して、谷口吉郎の設計による《国立千鳥ヶ淵戦没者墓苑》(1958)や海外につくられた慰霊碑について紹介しました。また、日本建築学会が
およそ800年前の中国で作られました。光の角度によって青い文様が変化しますが、その仕組みは今も謎のままです。世界に3点しかないと言われる宝のひとつを超高精細の8Kカメラで撮影しました。
いきうめ @dilettante_k うわーっ、これはまた…/「会田誠さんらの講義で苦痛受けた」女性受講生が「セクハラ」で京都造形大を提訴(弁護士ドットコム) - Yahoo!ニュース headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190227-… @YahooNewsTopics 2019-02-27 15:58:27 リンク Yahoo!ニュース 「会田誠さんらの講義で苦痛受けた」女性受講生が「セクハラ」で京都造形大を提訴(弁護士ドットコム) - Yahoo!ニュース 京都造形芸術大の東京キャンパスで公開講座を受けたところ、ゲスト講師から環境型セク - Yahoo!ニュース(弁護士ドットコム) 683 users 4538 いきうめ @dilettante_k 情報が断片的で会田氏ほかのコメントが待たれるが、公開講座という性格上、なおさら予防措置を取るべきではなかったかとい
女の子のすこやかな成長を願う「ひな祭り」。およそ1,000年も続く日本の節句行事です。お姫様とお殿様が並ぶほほえましい雛人形は、春の訪れも感じさせてくれます。 そんなひな祭りに革命を起こした、ひとりの女性人形工芸士がいました。彼女が手がける雛人形は、これまでの印象とはずいぶんと違い、それゆえ賛否両論を巻き起こしたのです。 若くして故人となった工芸士は、どんな想いで斬新な雛人形づくりに挑んだのでしょう。それを知りたくて、彼女が星へと旅立った地、岐阜へ向かいました。 SNSで話題となった 1年後に急逝 この雛人形をご覧になったことはありませんか? これは岐阜県の節句人形工芸士、後藤由香子さんが2016年に発表した、黒とグレーが織りなす雛人形。名前は「Gothic(ゴシック)」。 その名の通り、日本の伝統工芸に現代の「ゴシック&ロリータ」の装いを採り入れた作品。 花をあしらったヘッドピースやデリ
アトリエのアアルト 1945年 Aalto in his studio, 1945 (c)Alvar Aalto Museum Photo:Eino Makinen 2018年11月25日(日)まで、神奈川・葉山の「神奈川県立近代美術館」にて「アルヴァ・アアルトーもうひとつの自然」展が開催されています。 生誕120周年を迎えるフィンランドの建築家・Alvar Aalto(アルヴァ・アアルト)の回顧展。ヴィトラ・デザイン・ミュージアムとアルヴァ・アアルト美術館が共同企画したもので、ドイツから始まりスペイン、デンマーク、フィンランド、フランスで開催されたのち、日本へ巡回してきました。 国内で本格的なアアルトの回顧展が開催されるのは約20年ぶり。オリジナルの図面や家具、照明、ガラス器、建築模型など豊富な資料でアアルトの生涯と作品を辿ります。フィンランドの豊かな自然からインスパイアされたという従来
「超絶技巧」と称され、ブームとなっている明治期の工芸作家の代表格でありながら、その素性が謎に包まれていた彫刻師・安藤緑山(りょくざん)の本名や生没年、肖像などが初めて明らかになった。緑山の作品が並ぶ巡回展をきっかけに、親族が「知っていることをお伝えしたい」と名乗り出た。 緑山は、本物そっくりに着色を施した象牙の彫刻で知られる。主に明治末期から昭和初期にかけて活躍した。皮の毛羽(けば)立ったタケノコや、表面のトゲが粒々と立ったキュウリなどを細部までほぼ実物大で再現。思わず目を見張る表現力で、近年、急速に人気が高まっている。 現存する作品は、国内外に八十点ほど確認されているが、作者のプロフィルや、着色などの技法は不明のまま。当時の工芸が「輸出向けの商品」とみられがちだったこともあり、現代の研究者の間でもほとんど分かっていなかった。展示を企画した三井記念美術館(東京・日本橋)の主任学芸員・小林祐
2016 - 08 - 08 バベルの塔ー芸術のための聖書理解ー こんにちは、arto総研のToshiroです。いつもお読みいただきありがとうございます。今回はバベルの塔を紹介しようと思います。 バベルの塔 バベルの塔や、これをもじったものが漫画やゲームなどによく登場するので名前を知っている方は多いと思います。実はこれも聖書に書かれているのが元になっています。 バベルの塔は、あの有名なノアの箱舟の後の出来事になります。大洪水により人類がリセットされた後、ノアの子孫たちは繁栄していきました。そんな中、誰かがこんなことを言い出します、「天まで届く高い塔を作ろうぜ!」 というわけで、人類はレンガを積み上げて塔の制作に取り組みます。それを見ていた神は当然の如く怒ります。「地上に増えよ」と言ったのに何で空に行くんだ、みたいな感じでしょうか。 当時の人類はノアの一族のみだったので、みんな同じ言語を用い
えっと、そんなこんなでタイトル通りです。 www.pixiv.net 12世紀フランス、ゴシック建築の創始者といわれる聖ドニ修道院長シュジェールと二代にわたる国王の物語です。同じ修道院で学んだ友人同士の片方が国王と なり、もう片方がその菩提寺の長となり、ふたりして力を合わせフランスという国の土台をつくりあげ、国王の息子は父の親友を尊敬し十字軍遠征中には宰相の 地位を預ける、という燃えまくりな人間関係が史実通りですので(笑)。いつか12世紀フランスはがっつり描きたいです☆ 生まれて初めてよそさまに寄稿というかゲスト参加というのをさせていただきまして! もう、すんごくすんごく嬉しかったです!!! 本当にどうもありがとうございます~~~☆ なんかもう、とりあえず、それがイチバン言いたいことかもしれません。基本ほら、ぼっちだからさ。有り難いですね、お誘いしていただけるって。 www.pixiv.n
では、無宗教なあなたにオススメしたいのだが、浮世絵をみたらどうだろう。 宗教の話をしようと思うんだが、多少脱線させてくれ。 まず、復刻版を数枚買え。復刻版で十分だ。いや、むしろ復刻版のほうがいい。美術館にある江戸時代のものは色は褪せてるし紙は黄ばんでしまっているから。 叫びたくなること請け合いだ。 北斎、すげぇよ北斎。 なんという、なんという躍動感。 なんでも、例のあの富士山をバックに巨大な波の絵、神奈川沖浪裏ってんだけど、あの水しぶきは1/5000秒のシャッタースピードで撮った写真と酷似らしい。 そうだよな、たしかにHD画質をよいしょしてた頃の、スローで水泳を写したりする映像が流れまくってたけど、あんな感じだよな。 どんな絵より、躍動感があるんだよ。 ドガのエトワールなんかより、北斎漫画の雀おどりのほうが躍動してる! あんな線描なのに!!陰影もつけてなければパースも狂ってるに!信じられな
私は地方公立中学の出身なんですが、公立中なので、クラスにはもちろん“ヤンキー”がいました。朝教室に行くと黒板にデカデカと「喧嘩上等」と書いてあったり、授業中に隣のクラスの子が鉄パイプを持って殴り込んできたり、校庭を原付で走り回った子が警察呼ばれたりしていました。 そんなヤンキーくんたち、服装がとにかくド派手。特に、うちの中学のヤンキーはおしゃれな“チーマー”とかではなく、特攻服とかを着ている暴走族系のヤンキーだったので、私はよく背中に書かれている文字に釘付けになったものです。「あの漢字、何て読むんだ……?」と。 今となってはすっかり保守派と化してしまい、あまりけばけばしいものは好まない私ですが、中学2〜3年生くらいのときって男女問わずヤンキー的なものがかっこよく思えてしまうこと、ありますよね。ヤンキーくんが卒業式のときに着てきた、おそらくいちばん気合いの入った特攻服、今でも覚えています。「
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