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戦争に関するkosuiのブックマーク (6)

  • 真珠湾攻撃で戦死、「2階級特進」から漏れた6人の真実 史実追求の先にあったもの

    1941(昭和16)年12月8日のハワイ・真珠湾攻撃で戦死認定された航空兵55人には、冷徹なまでの「死後の選別」があった--。79年前のきょう、太平洋戦争の戦端を開いた戦果を受け、攻撃に加わって亡くなった彼らに対し、軍部は異例の「2階級特進」を適用した。だが、この処遇から6人だけが除かれ、1階級の進級にとどまっていたことが分かった。敵前逃亡など、あからさまな咎(とが)があったわけではない。同じ作戦に基づいて、同じ戦闘に、同じ航空部隊から参加して命を落とした兵士に、なぜ明確な格差が生じたのか。(小川 晶) 神戸新聞社の神戸社11階、文化部フロアの片隅に、年季の入った1台のコンピューターがある。1990年代のデスクトップパソコンのような、厚みのある外観。社内では「マイクロフィルム」の名で通る。過去の新聞記事が焼き付けられたフィルムを、コマ送りで見ることができる装置だ。 航空機事故を取材する新

    kosui
    kosui 2020/12/10
  • 元特攻90代兄弟が「最後の証言」 時代に迎合を悔恨「なぜ死ぬ覚悟で戦争に反対しなかったか」 | 毎日新聞

    講演した岩井忠正さん(左)と忠熊さん(中央)。忠正さんの娘直子さん(右)が傍らで補助した=東京都新宿区の早稲田大学で2019年11月9日午後1時53分、川上珠実撮影 太平洋戦争中に学徒出陣し、特攻隊員になった兄弟が9日、東京都新宿区の早稲田大で講演した。岩井忠正さん(99)と忠熊さん(97)。今はそれぞれ東京、滋賀と離れて暮らすが、どうしても若い世代に「最後の言葉」を伝えたいと顔をそろえた。これまでそれぞれ講演する機会はあったが、兄弟そろって話すのは最初で最後かもしれない。2人が伝えたかったメッセージとは――。 2人は10人兄弟の五男、六男として熊市で生まれた。忠正さんは慶応大、忠熊さんは京都帝国大(現京都大)に進み、ともに在学中の1943年12月に旧海軍に入隊した。戦況が悪化の一途をたどる中、忠正さんは人間魚雷「回天」と人間機雷「伏龍」の隊員となり、忠熊さんは爆薬を積んだモーターボート

    元特攻90代兄弟が「最後の証言」 時代に迎合を悔恨「なぜ死ぬ覚悟で戦争に反対しなかったか」 | 毎日新聞
    kosui
    kosui 2019/11/22
  • ソ連兵に撃たれた「ダムダム弾」の痛みは今も――宝田明85歳、戦争体験とゴジラに込めた平和への願い - Yahoo!ニュース

    東宝ニューフェイスの第6期生として、1953(昭和28)年にデビュー。端正なルックスとスケールが大きい演技で人気を集め、数多くの映画や舞台、テレビドラマに出演。85歳の今も幅広い活躍を続ける 宝田の原点には、苦しい戦争体験がある。日統治下の朝鮮で生まれ、2歳からは満州のハルビンで育った。1945(昭和20)年8月15日に敗戦を迎え、暮らしも価値観もすべてがひっくり返った。「筋金入りの軍国少年」だった11歳の宝田は、あの日の「玉音放送」をどう受け止めたのか。 ハルビンの自宅で、両親といっしょにラジオの「玉音放送」を聞きました。父親と母親が、畳の上にへなへなとへたり込んだ姿をよく覚えています。両親に「これ、嘘でしょう? 日は負けてないでしょう?」って何度も聞きましたね。自分はこれからどうすればいいのか。内臓をスポンとえぐり取られたような虚脱感というか、むなしい風穴が体の中に開いたような感覚

    ソ連兵に撃たれた「ダムダム弾」の痛みは今も――宝田明85歳、戦争体験とゴジラに込めた平和への願い - Yahoo!ニュース
    kosui
    kosui 2019/08/23
    「兄の人生って何だったんだろうと思うと……。この人の人生を誰が償ってくれるのか。戦争は死んだ人だけじゃなくて、生き残った人も苦しめる。」
  • 【無料記事】グディニャの記憶…ささやかな幸せについて【FIFA U-20 ワールドカップポーランド2019】雑感 #daihyo #U20WC

    【無料記事】グディニャの記憶…ささやかな幸せについて【FIFA U-20 ワールドカップポーランド2019】雑感 #daihyo #U20WC 2019年05月28日 10時00分 カテゴリ: ★無料記事 • コラム タグ : FIFA U-20 ワールドカップポーランド2019 • pickup ●ささやかな幸せについて 今回はちょっとサッカーから離れたことを書きます。まず、写真をご覧ください。グディニャ中央駅の前にある彫像です。ちょっとこれを頭の片隅に置いておいてください。 日がメキシコと試合をしたグディニャは、なかなかキレイな街です。海があって砂の美しいビーチもあります。近くのソポトやグダニスクも閑静で自然も近く、かといって辺鄙(へんぴ)でもなく、とても暮らしやすそうでした。 グディニャの海岸近くを散歩すると、犬を連れた人がたくさんいます。年をとって、犬と静かに暮らすにはもってこい

    【無料記事】グディニャの記憶…ささやかな幸せについて【FIFA U-20 ワールドカップポーランド2019】雑感 #daihyo #U20WC
    kosui
    kosui 2019/05/29
    「日常のささやかな幸せの断絶を表したグディニャの彫像はさりげなく、それだけに心に刺さるものがありました」
  • あの夏、僕は母と妹を殺した。70年間、語ることのできなかった戦争の記憶

    Search, watch, and cook every single Tasty recipe and video ever - all in one place! News, Politics, Culture, Life, Entertainment, and more. Stories that matter to you.

    あの夏、僕は母と妹を殺した。70年間、語ることのできなかった戦争の記憶
    kosui
    kosui 2017/08/15
  • 戦争が終わって100年経ってもなお残る「人間が住めない場所」

    破壊と命の奪い合いを行う戦争の影響は、戦争そのものが終わっても土地を汚染して影響を与え続けることがあります。第一次世界大戦でフランス軍とドイツ軍が熾烈な戦いを交わした戦地には今でもその負の遺産が残されたままの状態となっており、100年が経過した今でも人や動物が住むには適さない場所としてうち捨てられています。 After 100 years, World War I battlefields are poisoned and uninhabitable - We Are The Mighty https://www.wearethemighty.com/popular/world-war-i-battlefields-uninhabitable/ Red Zone - National Geographic Society http://nationalgeographic.org/news

    戦争が終わって100年経ってもなお残る「人間が住めない場所」
    kosui
    kosui 2016/08/03
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