22日に98歳で亡くなった吉田秀和さんは、戦後、日本のクラシック音楽界に「評論」という立場で長く関わってきた。日本に音楽評論という分野を確立しただけでなく、評論を通じて多くの演奏家を育て上げてきた。「私たちの原点」と感謝する世界的なピアニスト、中村紘子(ひろこ)さん(67)が思い出や功績について語った。(聞き手 安田奈緒美)◇ 昭和23年、吉田先生は一面焼け野原になって価値観が大きく変わってしまった日本で夢を子供たちに託そうと、東京に後の桐朋学園大音楽部の母体となる「子供のための音楽教室」を創設されました。 それは明治時代に日本に入ってきた西洋音楽が、東京音楽学校(現・東京芸術大学)を中心にアカデミック(学問)になることへの反発でもあったとも聞いています。 その音楽教室の第一期生だった私に、その後、吉田先生は「教室を作って5年間、教員は皆、無私無欲で一生懸命教えていた」と明かされました。こ