{{ item.PressRelease.angular_publish_start }} — {{ item.CategoriesLanguage.name }} {{ item.PressRelease.research_area_discipline_text }} / {{ item.PressRelease.research_area_item_text }}
後期授業(火5限 文学部第9講義室) 5141013 哲学(演習) 後期 火5 9講 8241018 科学哲学科学史(演習) 後期 火5 9講 授業の概要・目的 我々は日常的に推論を行う。また「論理的」という言葉をよく使う。哲学においてももちろん「論理的」であることが要求される。 しかし、「論理」とはいったい何だろうか。日頃、無反省に、知っているつもりで使っている概念の意味を問い直すのは、哲学の重要な仕事の一つである。 また「論理」とはいったい何かという問題は、現代の大きな問題である。というのも、20世紀以降、古典論理の体系以外にも多くの異なる論理体系が提案されているからである。それらの非古典的な体系が論理と呼ばれるなら、ある体系が「論理」と呼ばれるためには、どんな性質を満たしていることが必要だろうか。 本演習では、最小述語論理の自然演繹の体系の解説から始め、最小論理・直観主義論理・古典論
Course Materials SEMINAR ON LOGIC 京都大学、現代文化学の基礎演習(佐野勝彦先生)のリンクから来た方々へ。佐野先生がリンクを張ってくださったので、サービスに昔話を一つ。 わ たしが論理学の授業を受けたのは、1965年、工学部を卒業して文学部へ学士入学した一年目だった。当時、そしてわたし自身が京都大学に教師として着任し た1990年まで、京大にはロクな「論理学者」はいなかった。したがって、わたしが受けた授業の先生は非常勤講師、東京から集中講義で来てくださった石本 新先生だった。いまと違って、当時の集中講義は60時間もあって、通例では夏と冬、30時間ずつを二回に分けてやることになっていた(つまり、非常勤講師 の先生に払う旅費は二回分しかなかったということ)。ところが、石本先生は、「そんな日程で論理学が身につくワケがない!」とおっしゃって、自腹を切って 数回にわた
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く