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レオン王国の検索結果1 - 6 件 / 6件

  • スペイン国旗をよーく観察してみる

    皆さんは、スペインの国旗をご存知でしょうか? サッカーの試合やスペイン料理の店先などでよく見かけると思います。 「赤と黄色のやつで、なんかごちゃごちゃした紋章が入ってるやつ」という感じでご記憶の方も多いでしょう。 あの複雑な模様の紋章には一体なにが描かれているのか。じっくり観察してみました。 というわけで、スペイン国旗に描かれている国章をじっくり観察してみます 国旗と市民旗がある スペイン国旗こちらです まず、そもそもの話として、この紋章の入った国旗は「政府機関などが使う旗」であって、一般用は紋章の無い「市民旗」を使うらしいのです。 知らなかった……。 スペイン市民旗……紋章がなくてもスペインぽさはある どうも、スペインの憲法では「スペインの国旗は赤、黄、赤の3本の横縞で構成されており、黄色の幅は赤の各2倍」と決まっており、その国旗に国章を入れるルールはまた別の法律で規定されているようで、

      スペイン国旗をよーく観察してみる
    • ヨーロッパの「民族統一主義」運動(後編) - 歴ログ -世界史専門ブログ-

      ヨーロッパの辺境の民族統一主義 前編では、ドイツ、ハンガリー、クロアチア、セルビア、ルーマニアの民族統一主義を見ていきました。前編はこちらをどうぞ。 今回は同じヨーロッパで、ブルガリア、アルバニア、フィンランド、オランダ、ポルトガルです。領土拡張主義にどのような民族的文脈があるかという観点でご覧になっていただければ幸いです。 6. 大ブルガリア 列強の干渉によって消えた幻の領土の回復 大ブルガリアの起源は「三つの海のブルガリア( България на три морета)」と言われた第一次ブルガリア帝国(681年~1018年)にあります。 第一次ブルガリア帝国はクルム一世の時代に最盛期を迎え、その領土は現在のブルガリア、ルーマニア東部、ギリシャとマケドニアの一部の広大な領土を支配下に置きました。黒海、エーゲ海、アドリア海の三つの海に面していたわけです。 しかしキエフ・ルーシのスヴャトス

        ヨーロッパの「民族統一主義」運動(後編) - 歴ログ -世界史専門ブログ-
      • 【8月15日】まとめ 今日は何の日?~この日気になる日~ | 気まぐれイロイロ情報発信所

        おはよう~こんばんはcaldiaです(‘ω’) 皆さんの所は台風の影響は大丈夫ですか? 長野県の諏訪市は今の所全く 風も雨もなく影響は無いです。 特に四国エリア中心の周辺エリアの 方々は大丈夫でしょうか 深夜のニュースでも昨日と変わらず 総降水量1000ミリの予想と言っていたので それ以上になると思って警戒していた方が いいかもしれません… 経験のない数値が出てきても人は それを理解できないので 今までで一番凄かった雨の影響を もっと酷くして想定するのが一番 わかりやすいと思うのでそのうえで警戒し 事前の安全ラインの確認・準備をし 気を付けて下さいm(_ _)m では【8月15日】どんな日なのか ご紹介していきます♪ 【8月15日】 はこんな日 🔔終戦の日・全国戦没者追悼式日🔔 今日【8月15日】は終戦の日 全国戦没者追悼式日となります。 1945年(昭和20年)8月14日 ポツダム宣

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        • 中世ポルトガルの歴史 -ヨーロッパの辺境から海洋帝国へ- - 歴ログ -世界史専門ブログ-

          Photo by Abelson どうやって辺境国ポルトガルは海洋帝国になったのか ポルトガルは1143年に、カスティーリャ=レオン王国から独立してできた国です。 もともとはレオン王国の前身であるアストゥリアス王国のアルフォンソ3世が9世紀半ごろからアル・アンダルスの内乱の隙を狙ってガリシア人の農民を入植させ、ポルトゥカーレ伯領を設立したことに始まります。 ポルトガルは長年ヨーロッパの辺境、言葉を選ばずに言うと超ド田舎国だったわけですが、15世紀から大航海時代の先駆者として時代を先駆けていく存在になっていきます。 今回は大航海時代以前、どのようにポルトガルという国が作られていったかをまとめていきます。 1. ポルトゥカーレ伯領からポルトガル王国へ Image by  Basilio ポルトゥカーレ伯領の拡大 711年、アラブ帝国の将軍ターリクによって西ゴート王国が崩壊しました。 ペラーヨを

            中世ポルトガルの歴史 -ヨーロッパの辺境から海洋帝国へ- - 歴ログ -世界史専門ブログ-
          • 弱小国を大国に育てた「中興の祖」 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

            危機にあった国を建て直した国王 偉大なる創業者が立ち上げた国家や組織は、創業時の熱狂が醒めてしばらくすると、内部にはらむ矛盾やシステム的な欠陥が表面化し、集団としての力が弱まっていきます。 そのまま統率が取れずに内部対立が深まって空中分解してしまう集団もありますが、傑物が出現し内政の立て直しを図り、さらなる高い次元に集団を導いていく場合もあります。今回のテーマは後者です。 弱小国を大国に育てあげた「中興の祖」をピックアップします。 1. アスパルフ(第一次ブルガリア帝国)640-701 Photo by kosigrim 現在のブルガリア国家の礎を築いた国王 5世紀末にバルカン半島に侵入したチュルク系の遊牧民族ブルガール族は、長年遊牧民族アヴァールの支配下にありましたが、カール大帝の遠征によってアヴァールが弱体化した後に独立。黒海北岸に部族連合国家「大ブルガリア」を建国しました。 しかしハ

              弱小国を大国に育てた「中興の祖」 - 歴ログ -世界史専門ブログ-
            • 書評『世界文学の古典を読む 』(村松真理子・横山安由美): 極東ブログ

              昨日のブログ記事で、大学院で学んでいた二年間は修論研究に没頭していた、と書いたが、コロナ禍で外出は減ったこともあり、オンラインのメディアはよく見ていた。アニメとかドラマとかである。なかでも修論研究に関連するメディアに関心がむいた。そのなかで、これが一番というのが、イギリスBBC制作の全6回のミニシリーズ・ドラマで、ヒラリー・マンテルの原作『ウルフ・ホール』である。修論関連でいうと、ティンダルは話題に登ったものの人物としては出てこなかったのは残念だったが、トマス・モアはかなり焦点が当てられていた。修論でティンダルとモアの論争を論じたが、そのおりはこのドラマの風景がしばしば思い浮かんだ。 そんなふうにこの二年間、修論研究の背景的に、英国の百年戦争から清教徒革命までの時代の関心を深めていた。シェイクスピア観も変わった。シェイクスピアの史劇はこの時代なのだという実感である。それまでは四大悲劇など、

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