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軍人勅諭の検索結果1 - 26 件 / 26件

  • 悠仁さまが秋篠宮家の「家庭教師」半藤一利に問うた難しい質問 | FRIDAYデジタル

    はんどう・かずとし/昭和5(1930)年生まれ。東大文学部を卒業後、文藝春秋入社。専務取締役を経て文筆業に。『日本のいちばん長い日』は終戦の日を描いたベストセラーとなり、映画化もされている。『ノモンハンの夏』『昭和史』『文士の遺言』など著書多数 「昨年、当時の天皇陛下の侍従から、『秋篠宮悠仁(ひさひと)殿下に、太平洋戦争はなぜ起こったのかを、わかりやすく話してください』という依頼があった。ですが、私は最初断ったんです。だって相手は小学校6年生の坊やですよ。そんな幼い子に単純明快に話せるようなことじゃない、無理です、と。だけど何度もお願いされて、じゃあさわりだけでも話しましょう、と出かけていったのが、8月15日でした」 秋篠宮悠仁親王は、まさに次代の天皇家を背負って立つ。その進講役として白羽の矢が立ったのが、昭和史研究家でもある作家・半藤一利氏(89)だ。秋篠宮家の”家庭教師”になったのが「

      悠仁さまが秋篠宮家の「家庭教師」半藤一利に問うた難しい質問 | FRIDAYデジタル
    • 「滅私奉公」は内面化されたのか?|ちくま学芸文庫|松田 宏一郎|webちくま

      戦時体制を支えた陸軍将校とはいったいどういう存在だったのかを問うた『陸軍将校の教育社会史』。本書の読みどころや意義について、『江戸の知識から明治の政治へ』などの著作がある、立教大学教授の松田宏一郎さんによる解説を転載します。 一 体系化されたカリキュラムに基づく知識教育と一定の実地訓練をこなさなければ就くことのできない職業を、一般に専門職(プロフェッション。その職能団体を指すこともある)と呼ぶ。だいたいは法制度や同業者による認証制度でそうなっているが、すぐに思い浮かぶのは医師や法律家である。そして、軍の将校も典型的な専門職である。専門職としての将校の登場は近代化の重要な指標の一つと見なされ、一九九〇年頃までには、アメリカやヨーロッパで、将校教育のシステムや当事者の社会的役割・立場の自己認識について、社会学・歴史学などの分野で相当の研究蓄積ができていた。これに対し日本では、歴史社会学的分析対

        「滅私奉公」は内面化されたのか?|ちくま学芸文庫|松田 宏一郎|webちくま
      • 生きて帰った特攻隊員を隔離軟禁 旧陸軍「振武寮」 跡地で分譲マンション建設進む | 毎日新聞

        旧陸軍施設「振武寮」跡地の前で話す西南学院大の伊藤慎二教授=福岡市中央区で2020年12月2日午後1時33分、矢頭智剛撮影 太平洋戦争末期、機体トラブルなどで帰ってきた特攻隊員を次の出撃まで収容した旧陸軍施設「振武(しんぶ)寮」(福岡市中央区薬院)跡地でマンション建設が進んでいる。振武寮を巡っては戦後、元隊員らが「収容中は生還したことを上官に激しく非難され、暴行されることもあった」と証言している。日本が無謀な戦争に突き進んだ日米開戦から8日で79年。惨禍を語り継ぐ体験者が少なくなる中、戦争遺跡の保存・継承を求める声は各地で高まっている。専門家は、埋もれた特攻の歴史を語り継ぐ必要性を訴える。 振武寮は1945年、特攻作戦を主導した旧陸軍第6航空軍が福岡女学校(現在の福岡女学院中・高校)の寄宿舎を接収して創設。生還した特攻隊員約80人が収容された。特攻部隊の名称「振武隊」が名前の由来とみられる

          生きて帰った特攻隊員を隔離軟禁 旧陸軍「振武寮」 跡地で分譲マンション建設進む | 毎日新聞
        • 天皇制との見事な決別 ― 渡辺清『砕かれた神』 - 読む・考える・書く

          著者の渡辺清氏は1925年生まれ。16歳で自ら志願して海軍に入隊、大和と並んで世界最大最強と謳われた戦艦武蔵に乗り組んで米軍と戦った。 武蔵は1944年10月に撃沈されたが渡辺氏はかろうじて生き残り、その後配属された駆逐艦の艦上で8月15日の敗戦を迎えた。この日のことを、氏はある対談で次のように語っている。(『現代の眼』1962年12月号) 敗戦は挫折というよりも、ナメクジに塩をかけると溶けますが、あんなふうに自分自身が崩れていく実感がありました。 この書は、渡辺氏が故郷の村に復員した1945年9月から翌4月までの日記を収録したものだが、純粋に「現人神」昭和天皇を信仰する軍国少年のまま帝国軍人となっていた氏が、敗戦の衝撃に七転八倒しながら天皇制の呪縛から醒めていく、その過程を記した稀有の記録ともなっている。 「帝王の帝王たる尊厳」を示さなかった天皇裕仁 軍隊内部でも故郷の村でも、敗戦直後か

            天皇制との見事な決別 ― 渡辺清『砕かれた神』 - 読む・考える・書く
          • 【切手買取】文化人切手シリーズ vol.14  西周 - 高く買取-壱ノ型

            西周切手とは? 1952.1.31、文化人切手シリーズ第十三弾として、西周切手が発行されました。名前は「あまね」と読むそうです。正直、名前は聞いたことがあるとは思うのですが、何をした人かと言われると答えられないですね。 幕末では徳川慶喜に仕えて大政奉還へ一役買ったとも言われており、維新後は一度、下野しながらも山形有朋に見いだされ、山形有朋の下で新政府軍部官僚となるなど、幕末から明治期にかけて活躍した啓蒙思想家のようですね。 西周とはどういう人? 西周というと「哲学」「知識」「概念」「芸術」「心理学」「知識」「概念」など、これまで日本になかった西洋思想を和訳し、今日においても通常使用されるような哲学用語を作り出した人物で、「日本における哲学の父」とも呼ばれています。 新しい時代の青年を教育するため、「百一論」で「哲学」と称した自然科学の上に社会、人文科学を積み重ねる学問体系を作ることを志して

              【切手買取】文化人切手シリーズ vol.14  西周 - 高く買取-壱ノ型
            • 悠仁さまが秋篠宮家の「家庭教師」半藤一利に問うた難しい質問(FRIDAY) - Yahoo!ニュース

              「昨年、当時の天皇陛下の侍従から、『秋篠宮悠仁(ひさひと)殿下に、太平洋戦争はなぜ起こったのかを、わかりやすく話してください』という依頼があった。ですが、私は最初断ったんです。だって相手は小学校6年生の坊やですよ。そんな幼い子に単純明快に話せるようなことじゃない、無理です、と。だけど何度もお願いされて、じゃあさわりだけでも話しましょう、と出かけていったのが、8月15日でした」 秋篠宮悠仁親王は、まさに次代の天皇家を背負って立つ。その進講役として白羽の矢が立ったのが、昭和史研究家でもある作家・半藤一利氏(89)だ。秋篠宮家の“家庭教師“になったのが「終戦記念日」だったのは、偶然ではないのだろう。平成から令和へと新時代を迎えた今、半藤氏がその日のことを本誌に明かした。 「最初に秋篠宮父子にお会いしたときに言ったんです。私は東京下町生まれなものですから、“ひ“と“し“が上手く発音できません。だか

                悠仁さまが秋篠宮家の「家庭教師」半藤一利に問うた難しい質問(FRIDAY) - Yahoo!ニュース
              • 斎藤一人さん 宿題はやらないと怒られる - コンクラーベ

                この世の中は経済と人間関係をちゃんとやらないと神様から怒られるようにできてんだよ。 悟りとは、周りの人への笑顔と言葉 宿題はやらないと怒られる 神様の修行からは逃れられない 悟りとは、周りの人への笑顔と言葉 目の前へのことから逃げずに、自分自身の人生を生きることが、最高の修行なんです。 断食をしたり、的に打たれたりするだけが修行じゃないんだと、一人さんも言います。 「座禅をしてる人のことを悪く言うつもりはないんだけど、山にこもって座禅をしてるよりは、町に出て、笑顔で人に接した方がいいね。 あれも修行だけど、これも修行なの。 どんなに高尚な悟りを開いたとしても、最後は周りに親切にするしかないの。 周りに対して親切にしない人がどれだけ悟っても意味ない。 だから、悟りとは笑顔と言葉だね。 そして、このような理屈がわからなくても立派な人はたくさんいるんです。 どんな宗教も信じたことない、座禅もやっ

                  斎藤一人さん 宿題はやらないと怒られる - コンクラーベ
                • 「ボクラ少国民」が読み解く「修身教科書」と現在 - 野上 暁|論座アーカイブ

                  敗戦から74年目の夏を迎えて 日本の敗戦から74年目の夏、戦争体験世代が少なくなっていることもあってか、その記憶がだんだん希薄になってきている昨今である。アジア・太平洋戦争を反省したり謝罪するのは自虐史観だという、いわゆる「歴史修正主義」が広がり、「新しい歴史教科書をつくる会」が発足してからも既に20年以上過ぎた。従軍慰安婦の記述が教科書から消えたり、南京虐殺はなかったという言説や、近隣諸国に対する排外主義的なヘイトスピーチも後を絶たない。いままた、朝鮮半島における戦時下の徴用工問題をめぐり、韓国との関係が極めて劣悪になってきている。 教育現場では、小学校で2018年から、中学校では今年から道徳が教科化され、「郷土や我が国の伝統と文化を大切にし、先人の努力を知り、郷土や国を愛する心を持つ」などと「愛国心」が教育の目標に盛り込まれる。幼稚園児に「教育勅語」を暗誦させる森友学園を首相夫妻が支援

                    「ボクラ少国民」が読み解く「修身教科書」と現在 - 野上 暁|論座アーカイブ
                  • 陸上自衛隊の部隊がXで「大東亜戦争」と表現した背景~「商業右翼」が自衛隊教育に影響か?~(古谷経衡) - エキスパート - Yahoo!ニュース

                    ・硫黄島合同慰霊祭の文脈で陸自連隊が「大東亜戦争」表記   陸上自衛隊第1師団隷下の第32普通科連隊(さいたま市)が、その公式X(旧ツイッター)にて、「大東亜戦争」と表現したことが物議をかもしている。同投稿は4月5日になされ、同8日には削除された。防衛省は「誤解を招いた」などと釈明したが、4月9日には中国外務省副報道官が批判するなど、その内外の余波は収まったとは言えない。 当然のこと「大東亜戦争」という呼称は、太平洋戦争を「アジア解放のための聖戦」と位置付けた戦中の政府によって喧伝されたもので、侵略の肯定や戦争の美化とも受け取られかねないことから、現在の政府は「大東亜戦争」の呼称を用いていない。 第32普通科連隊が投稿したX(筆者キャプチャのもの)。現在は削除されている 政府の統制下にある陸上自衛隊の、まして首都・東京近傍に位置する実力部隊の公式Xで、政府見解とは真逆の「大東亜戦争」という

                      陸上自衛隊の部隊がXで「大東亜戦争」と表現した背景~「商業右翼」が自衛隊教育に影響か?~(古谷経衡) - エキスパート - Yahoo!ニュース
                    • 特集1 戦後70年 「泣き声が耳から離れない」 戦地で出会った「慰安婦」 元従軍看護婦 中里チヨさん – 全日本民医連

                      今年は戦後七〇年にあたります。「戦争を知らない世代」が増えたのも、不戦を誓った日本国憲法第九条の存在があってこそ。ところが安倍政権は、日本をふたたび戦争のできる国にするため憲法改正をねらっています。過去の戦争で日本が犯した過ちについても、“日本軍が性奴隷にした”というのは「言われなき中傷」(「慰安婦」問題について二〇一四年一〇月、安倍首相)と述べるなど、真実を歪めようとしています。 中里チヨさんは、元従軍看護婦。「日本軍の管理下に慰安婦さんがいた」と証言します。 私が従軍看護婦として、中国の海南島に行ったときに見聞きしたことをお話しします。 18歳で従軍看護婦に 私は一九四四年三月二五日に看護学校を卒業し、志願して軍属の従軍看護婦になりました。一八歳でした。 四月一日からは、従軍前の訓練を受けるため、東京の目黒雅叙園にあった海軍第二病院に召集され、「日本の軍隊として恥ずかしくない看護婦にな

                      • 明治政府が士族中心の軍隊を否定した経緯と徴兵制に対する国民の反応

                        誰が徴兵制を考えたのか 明治二年(1869年)の版籍奉還で、武士階級は士族、卒族*と改称された。そして明治四年(1871年)の廃藩置県で藩がなくなり、封建制度の瓦解によって士族たちは深刻な生活問題に直面することとなった。 *士族、卒族:旧武士階級のうち一門から平士までを士族、士分格を有さない下級家臣を卒族とした。明治五年に卒族は廃止され、一部は士族に、他は平民に編入された。 明治四年(1871年)の戸籍法に基づいて翌明治五年(1872年)に作成された「壬申戸籍」によると、当時全国で士族が259千戸、1282千人(家族を含む)、卒族が167千戸、659千人いた。しかし、それだけの士族・卒族がいたのであれば、なぜ国軍を創設するときに彼らを重用しなかったのかと疑問に思う人が多いと思う。もし明治政府が「四民平等、国民皆兵」にこだわらず、士族中心に軍を編成することができていたら、不平士族の反乱は小規

                          明治政府が士族中心の軍隊を否定した経緯と徴兵制に対する国民の反応
                        • 天皇制と闘うとはどういうことか - 菅孝行|論座 - 朝日新聞社の言論サイト

                          天皇制は日本に「不可欠」の構成要素か 近代国民国家における「支配」には三つの位相がある。 第一が市場原理、第二が<法>を正当性の根拠とする統治、第三が「幻想の共同性」である。第一は資本制、第二が政治権力、第三が、支配の正統性の「内面化」である。支配の正統性の「内面化」とは、支配階級に固有の利害や価値を主権者があたかも普遍性であるかのように受容してしまう倒錯のことだ。第三の位相の「敵」は主権者の集合が制度を支える観念自体だともいえる。 近代国家の統治形態は、主権者が帰属する国家に抱く幻想の共同性の根拠となる権威の性格によって互いに異なる。フランス共和国は「日々の国民投票」(ルナン)による主権者の連帯であり、大英帝国は英国国教会のキリスト教信仰の共有である。アメリカ合衆国の国民の紐帯は建国精神だが、それはピュリタニズムに裏打ちされている。イスラム諸国の場合は、権力の背後にそれぞれの宗派の「神」

                            天皇制と闘うとはどういうことか - 菅孝行|論座 - 朝日新聞社の言論サイト
                          • 外岡秀俊の「コロナ 21世紀の問い」(17)哲学者・高橋哲哉さんと考える 歴史認識と「犠牲のシステム」

                            コロナ禍のもとで生まれた「BLM(ブラック・ライブズ・マター)」運動は、各地で奴隷制や人種差別にかかわった人物の銅像引き倒しや、破壊にまで突き進み、その動きは欧州にも波及した。いま。なぜ社会に組み込まれた「構造的差別」が問題にされているのか。哲学者の高橋哲哉さんと共に考える。 BLM運動の背後にある「構造的差別」 すでにノーマ・フィールドさんの回でお伝えしたように、ジョージ・フロイドさん殺害事件をきっかけに全米で広がったBLM運動は、南北戦争で奴隷制維持の側に立った南部連合の指導者の銅像引き倒しや、南軍の旗をあしらった州旗のデザイン変更、先住民を指す「ワシントン・レッドスキンズ」のチーム名変更などの動きにまで広がった。 それだけではない。米紙ニューヨーク・タイムズは2020年6月16日付(電子版、同25日改稿)の「歴史の再考」という記事で、「バージニアからニューメキシコまで、警察の暴力への

                              外岡秀俊の「コロナ 21世紀の問い」(17)哲学者・高橋哲哉さんと考える 歴史認識と「犠牲のシステム」
                            • 鴻毛より軽い、天皇の責任感の希薄さ。田島道治「拝謁記」に見る天皇の「肉声」 | ちきゅう座

                              <澤藤統一郎(さわふじとういちろう):弁護士> 「朕は汝ら軍人の大元帥なるぞ」「上官の命令を承ること、実は直ちに朕が命令を承ることと心得よ」「義は山嶽より重く死は鴻毛より軽しと心得よ」。これが、「朕」が兵士に下した軍人勅諭の一節である。230万人もの「兵」が、この勅諭にしたがって、鴻毛より軽い死を余儀なくされた。 一方、上から目線で勅諭をたれた「朕」の責任はどうだったか。古来戦のあとには、敗軍の将は死をもって敗戦の罪を贖った。兵を語らず、言い訳をすることなく。敗戦時自決した軍人は少なくない。そんな政治家もあった。自決は忌むべき野蛮な風習だが、自己を一貫するための痛ましい選択であったことは、理解し得ないではない。それほどにも、自らの責任の重さを感じていたということなのだ。最高責任者である「朕」の場合はどうだったのか。ヒトラー・ムッソリーニと並び称されたヒロヒト本人に、いったいどれだけの責任の

                              • 赤木俊夫さんはなぜ死を選んだのか? 加害と被害のはざまに生きた官僚 - 石川智也|論座アーカイブ

                                赤木俊夫さんはなぜ死を選んだのか? 加害と被害のはざまに生きた官僚 芝居『拝啓天皇陛下様 前略総理大臣殿』が問いかける「公と私」 石川智也 朝日新聞記者 私(わたくし)を滅し、一身を公(おおやけ)に奉ずる――「滅私奉公」という言葉は、今なお日本人の心をうずかせるものがある。 「大公無私」「公門桃李」「奉公守法」といった熟語や故事から浮かぶ清廉な公務員像は、広く公職に就く者だけでなく多くの組織人にとっても振る舞いの理想とされている。それなら、もし「公」の側が法や正義を歪めたとき、「私」はなお「無」でいられるのか。そもそも「公」とはいったい何か。 公=パブリックとは何か 戦後75年も経っても、この「公=パブリックとは何か」という問いは、この国のアポリアであり続けている。 戦前においては公(語源は大きな宅、つまり朝廷という)は、すなわち国家であり天皇だった。日本人にとって天皇とは何かという問いは

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                                • 「天皇と軍隊の近代史」書評 更新続ける通説 なお残る難題|好書好日

                                  ISBN: 9784326248506 発売⽇: 2019/10/19 サイズ: 20cm/365,9p 1930年代の日本の軍事と外交を専門とする著者が、天皇制下の軍隊の在り方の特徴とその変容を捉え、軍が政策決定の本質的変容にどのような影響をもたらしたのかを、明快な論理と筆… 天皇と軍隊の近代史 [著]加藤陽子 世間では「過去は変わらないのだから、歴史は暗記ものだ」という印象が強い。受験勉強の名残だろうか。しかし歴史学界では新しい研究成果が不断に生み出され、通説は日々塗り替えられていく。作家や評論家がしたり顔で語る史論が、学界ではとっくの昔に否定された説に依拠していることも珍しくない。 近代史においては、歴史像が更新されていくスピードが特に速い。司馬遼太郎の『坂の上の雲』や『この国のかたち』で理解が止まっている人が本書を読んだら驚くだろう。 たとえば日清戦争については、当時外相だった陸奥

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                                  • 旧日本軍の「軍隊手帳」 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

                                    旧日本軍の「軍隊手帳」というものを初めて見させてもらった。正確には表紙に「軍隊手牒」と旧字体で書かれているもので旧陸軍兵の所持した形式、海軍は錨マークが入った別物があった。 旧軍はこの手帳の取り扱いを厳しく指導したとされ汚すことなどもっての他で内容の暗記も要求された。 入居している施設の俳句サークルに入っている方から参考にと父親の遺品を持参いただいたもので、このような手帳が有ることは知っていたが実物は初めてである。 内容を見ていくと 1、軍人勅諭(ぐんじんちょくゆ) 明治15年天皇の名で発せられたもので、過去の歴史から説き起こし軍人の本分を示し、大正、昭和の代変わりの追加分もそれぞれ載っている。 明治15年の最初の軍人勅諭は故郷の大先輩で奇兵隊出身、明治陸軍の骨格を作った山県有朋(やまがたありとも)が主導したと言われ、そのせいか国民的人気はその功績に比して高くない。 2、心得 軍隊手帳の取

                                      旧日本軍の「軍隊手帳」 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録
                                    • 1月4日は蹴鞠はじめ、官公庁御用始め、取引所大発会、金の鯱鉾の日、京都鏡開き、石の日、みたらしだんごの日、等の日&話題 - 風に吹かれて旅するブログ (話題・記念日&ハッピートーク)

                                      おこしやす♪~ 1月4日は何の日? その日の出来事は? 2023年 1月4日は蹴鞠はじめ、官公庁御用始め、取引所大発会、金の鯱鉾の日、京都鏡開き、石の日、みたらしだんごの日、等の日です。 ●蹴鞠はじめ【京都市左京区、下鴨神社】 (諸事情要確認) 蹴鞠は1400年ほど前に、中国から伝わりました。平安時代には貴族の間で流行し、宮中で盛んに鞠会が開催されていましたが、明治維新以降にいったん途絶えてしまいます。その後1903年に京都蹴鞠保存会が創立され、皇室とゆかりの深い下鴨神社で復活。毎年1月4日に行われる「蹴鞠はじめ」で奉納されるようになりました。 ※2020年 蹴鞠はじめ 京都市左京区、下鴨神社 www.youtube.com 午後1時半になると、本殿で神事が行われます。その後、神官や鞠人たちは舞殿横の鞠場へ。鞠人は烏帽子に鞠水干、鞠袴に鞠靴の鞠装束をまとい、8人が一座となって蹴鞠を奉納しま

                                        1月4日は蹴鞠はじめ、官公庁御用始め、取引所大発会、金の鯱鉾の日、京都鏡開き、石の日、みたらしだんごの日、等の日&話題 - 風に吹かれて旅するブログ (話題・記念日&ハッピートーク)
                                      • 安倍晋三とエリザベス女王の「国葬」を改めて総括してみよう《田中康夫・浅田彰》(田中康夫×浅田 彰) @gendai_biz

                                        田中康夫・浅田彰の名物世相対談「憂国呆談」、今回は二つの「国葬」を終えた内外の情勢から、二人の対話は始まります。 産経でさえ「よくなかった」59・2% 田中 千代田区北の丸公園の日本武道館で9月27日に実施された「故安倍晋三国葬儀」は、さまざまな意味で令和4年・皇紀2682年・西暦2022年の日本国を体現していた。 いまだにSNS上では甲論乙駁状態だけど、産経新聞社が10月17日に発表した世論調査でも国葬儀は「よくなかった」59・2%、「よかった」35・2%だった。唯一、賛成が上回ったのは前回も話したように、ツイッターの捨て垢で1人が幾度も投票可能だった『月刊Hanada』の緊急アンケートのみ。 雌雄は決せられた感じだね。 浅田 前にも言ったように、戦後の日本に国葬の制度はないし、唯一の前例である吉田茂元首相と比べてさえ、安倍のように左翼を敵としそれをねじ伏せる形で強引に右傾化を進めたdi

                                          安倍晋三とエリザベス女王の「国葬」を改めて総括してみよう《田中康夫・浅田彰》(田中康夫×浅田 彰) @gendai_biz
                                        • 北キプロスのトルコ軍占領区域に日本人で1番乗りしちゃった話|指笛奏者『限界旅行者、タリバン政権のアフガニスタンへ行く』9/26発売

                                          本noteは決して北キプロストルコ共和国の渡航を薦めるものではございません。当地はトルコの保護国であり国家承認しているのは唯一トルコだけです。つまりトルコ大使館以外の在外公館が存在しません。何かあっても自己責任です。(とまぁ一応お決まりのご注釈をつけているが地域大国トルコの強力な軍事力により治安は非常に安定しており未承認国家としてはかなり難易度が低い国である。) 最初に言っておく、読者にギリシャ人いたらごめん。多分絶対に許してくれんと思うけど。 今から嬉々として書く内容は分かりやすく言うとアメリカ人が「韓国側から竹島入ったぜイェーイ!」みたいな感じである。日本人は領土問題に疎い人が多いのでこう言われても怒らない人多いだろうがギリシャ人がこれを聞いたら激昂してもおかしくない。今回はそう言うお話である。 背景まずそもそもキプロスってどこ?何でそんな揉めてんの?という方が殆どなので簡単に説明しよ

                                            北キプロスのトルコ軍占領区域に日本人で1番乗りしちゃった話|指笛奏者『限界旅行者、タリバン政権のアフガニスタンへ行く』9/26発売
                                          • 菅義偉が国葬弔辞で美談に仕立てた「山縣有朋の歌」は使い回しだった! 当の安倍晋三がJR東海・葛西敬之会長の追悼で使ったネタを - 本と雑誌のニュースサイト/リテラ

                                            菅義偉が国葬弔辞で美談に仕立てた「山縣有朋の歌」は使い回しだった! 当の安倍晋三がJR東海・葛西敬之会長の追悼で使ったネタを いずれにしても、巨額の税金を使って開いた国葬の弔辞で前総理が明かした「運命の秘話」が、当の故人が別の人の追悼に使っていたネタの使い回しだったとは、なんというハリボテぶり。 とはいえ、これだけなら、まさに“愛国者のハリボテ”だった無教養な安倍・菅コンビらしいオチというだけの話で済むかもしれない。 しかし、今回の菅前首相の弔辞の本当の問題は、「使い回し」かどうか以前にある。それは国葬の弔辞で山縣有朋を持ち出したことそのものだ。 そもそも山縣有朋といえば、明治政府の軍事拡大路線を指揮した日本軍閥の祖で、治安警察法などの国民弾圧体制を確立した人物。自由民権運動を潰し、天皇と国家神道支配の強化、富国強兵と中央集権体制の確立のため、自分の息のかかった地方長官会議に建議させ、井上

                                              菅義偉が国葬弔辞で美談に仕立てた「山縣有朋の歌」は使い回しだった! 当の安倍晋三がJR東海・葛西敬之会長の追悼で使ったネタを - 本と雑誌のニュースサイト/リテラ
                                            • 古山高麗雄 著『二十三の戦争短篇小説』 - garadanikki

                                              今、こんな本を読んでいる。 この本を知ったキッカケは、先日読んだ伊坂幸太郎著『AXアックス』に、 本書収載の『プレオー8の夜明け』が参考文献になっていたことだった。 『AXアックス』のスパイの話と、この戦争の話との共通点は何なのか、 伊坂さんが参考にする真意を知りたかった。 しかしこの本の厚さは尋常ではない。 文庫本でこの厚さだ。 古山さんの従軍体験が23も詰まっているのだから。 やっと1/3くらいまで読み進めたところだが、実に興味深く考えさせられられる作品群、 心に染みわたっていく話が続いている。 【古山高麗雄ふるやまこまおさんについて】 古山高麗雄さんは、インテリである。 1942年召集され南方を転戦しラオスで終戦。 BC級戦犯容疑で収監後、復員。1950年河出書房入社。 有能な編集者として、見識も高く広く評価されていた人物だった。 元々作家志望はなく、編集者として一生を送るつもりだっ

                                                古山高麗雄 著『二十三の戦争短篇小説』 - garadanikki
                                              • シュンちゃんツイート(4月13~30日)はこうやって考えました&日記を書いた新井さんからのコメント | 被爆75年ブログ|NHKブログ

                                                舞台裏日記 2020年05月06日(水) シュンちゃんツイート(4月13~30日)はこうやって考えました&日記を書いた新井さんからのコメント 高校生が新井俊一郎さんの日記の原文をもとに考えた4月13日~30日のツイートです。 日記の原文を現代の言葉に訳すだけではなく、若い世代が理解できるように日記に無い情報を調べて補足したり、イメージを膨らませて表現したりしています。 作ったのは「シュン」制作チームの5人。 このブログでは、メンバーが話し合いながらどんな意図でツイートを考えたのかを紹介しています。 また、日記の原文を書いた新井俊一郎さんご本人には制作チームのツイートがどう感じられるのか、コメントもいただいています。 1945年4月13日 【制作チームのツイート】 今日は教室の天井板を外す。何故かと思うたら屋根と天井板の間で焼夷弾がとどまって消し止めるのが遅れてしまうかららしい。僕にはとても

                                                  シュンちゃんツイート(4月13~30日)はこうやって考えました&日記を書いた新井さんからのコメント | 被爆75年ブログ|NHKブログ
                                                • 鉄条網で爆死した「肉弾三勇士」を軍部は褒めなかった…日本人が「特攻」を美化してしまう根本原因 戦争を「自然災害」のように捉えてしまう

                                                  日露戦争の「旅順口閉塞戦」での自己犠牲 戦前の日本でもだれもが拳拳服膺していたわけではないだろうが、少なくとも自らの意志で陸軍士官学校や海軍兵学校など武窓に進んだ者は、明治15(1882)年1月に発布された『軍人勅諭』の一節、「己が本分の忠節を守り義は山嶽よりも重く死は鴻毛よりも軽し」との精神こそが武人の心得だとしていたはずだ。そしてこの一節こそ、さまざまに論じられてきた「特攻」について探る糸口となるだろう。 なお、この『軍人勅諭』の一節は、司馬遷の『報任安書』にある「死或重於泰山、或軽於鴻毛」=[死はあるいは泰山より重く、あるいは鴻毛よりも軽し]が出典だ。このような自己犠牲の精神を具現するよう将兵に求めることは、軍隊という組織では当然のことだ。 この精神を具現した好例として日本でよく取り上げられるのは、日露戦争中の明治37(1904)年2月末から5月初旬にかけて行なわれた三次にわたる旅順

                                                    鉄条網で爆死した「肉弾三勇士」を軍部は褒めなかった…日本人が「特攻」を美化してしまう根本原因 戦争を「自然災害」のように捉えてしまう
                                                  • 作家・半藤一利が明かす「秋篠宮に説明した『統帥権』とは何か」 | FRIDAYデジタル

                                                    悠仁親王の前で語られた「太平洋戦争」 5月1日、明仁天皇が退位して「平成」から「令和」へと時代が変わった。それに伴い、今上天皇の弟である秋篠宮文仁親王(以下・秋篠宮)が「皇嗣」となり、彼の一人息子・悠仁親王が皇位継承第二位となった。現行の皇室典範では、“次代の皇位資格者”は、悠仁親王ただ一人。秋篠宮家は、大きな役割を担うことになる。 その秋篠宮家に乞われ、「太平洋戦争はなぜ起こったか」を悠仁親王にご進講する大役を担ったのが作家・半藤一利氏(89)だ。 このご進講は、昨年8月15日に秋篠宮邸で行われた。ひと通りの話の後、同席していた父・秋篠宮から半藤氏に質問があったという。それは「『統帥権』とは何か」ということだった。事前に半藤氏の著作を読み、十分に勉強をしていたという秋篠宮が、あえて口にした問いに対して、半藤氏はどう説明をしたのだろう? 以下は半藤氏のインタビューである。 作家の半藤一利氏

                                                      作家・半藤一利が明かす「秋篠宮に説明した『統帥権』とは何か」 | FRIDAYデジタル
                                                    • 松本清張は天皇制をどう捉えていたか 小説『象徴の設計』で語られた秘密(THE PAGE) - Yahoo!ニュース

                                                      松本清張は近代日本史をテーマにしたノンフィクションを数多く残しました。『昭和史発掘』では、たびたび天皇制について論じ、後半人生において現在を予見するような言葉を残しています。清張はどのように天皇制を捉えていたのでしょうか? ノートルダム清心女子大学の綾目広治さんが解説します。 戦前の天皇はなぜ神格化されていったのか 秘密を紐解く小説『象徴の設計』 戦前の天皇制の秘密に迫ろうとした小説が、1962(昭和37)年3月から翌1963(昭和38)年6月まで「文藝」に連載された小説『象徴の設計』である。これは史実に基づいた小説である。ここで、「象徴」天皇制は戦後のものであって、戦前は違うのではないかという意見があるかもしれない。しかし政治学者によれば、どんな制限君主であっても、王たる者は「象徴」の機能を果たすのであり、したがって戦前の天皇は、国家の主権者であるとともに「象徴」でもあったのだという。だ

                                                        松本清張は天皇制をどう捉えていたか 小説『象徴の設計』で語られた秘密(THE PAGE) - Yahoo!ニュース
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