雨上がりの空とセントラルパーク貯水池の噴水(2022年2月19日撮影) Copyright © 2001 - 2022 All rights reserved
「Macintosh」システムソフトウェアの最初のバージョンである「System 1.0」は、米国時間1984年1月24日にリリースされた。サイズはわずか216Kバイトで、「Macintosh 128K」に搭載されていたOSだった。 このOSは、デスクトップ、ウィンドウ、アイコン、フォルダ、メニューバー、書類、アプリケーション、「Trash」(ゴミ箱のこと)、システムソフトウェアで構成されていた。一度に1つのアプリケーションしか動かせず、白黒表示だった。 アイコンやフォントの大部分は、Susan Kare氏によってデザインされた。 関連記事:画像で見る初期Macのアイコンデザイン 提供:Apple/Wikia user InterstateBot
去年、「Mac OS System 7」をウェブブラウザ上でエミュレートして再現出来るMacintosh Plusのシミュレータ「PCE.js」が話題になりましたが、他にもウェブブラウザ上で各種OSを再現出来るサイトがいくつかあったので紹介します。 まず、1985年に発売された「Windows 1.0」を再現したサイトがこちらで、マウスカーソルを実際に動かしてリバーシ(オセロ)やメモ帳、ペイントなどを実行可能です。 次は冒頭でもお伝えした「Mac OS System 7」をウェブブラウザ上で再現したサイトで、こちらも各アプリなどが実際に動かせ完成度は非常に高くなっています。 次は、VirtualDesktop.orgというサイトで、こちらのサイトは一つのOSだけでなく、「Windows 95」、「Windows 98」、「Windows 98 SE」、「Windows ME」、「Windo
まぁ誰も興味はないだろうが、なんとなく書き綴るもまたよし。 大学4年で研究室に入ったころは、Windowsしか触ったことがなかった。研究室のワークステーションはSolarisであった。当時の僕にとって、Solarisとは「使いにくいだけの何か」だった。 就活で箔をつけるためにアメリカはメリーランド州の伯母の家に一ヶ月ほど滞在した際に、伯母の会社のシステム管理者に紹介してもらった。彼はデスクトップ環境としてUbuntuを使っていた。「君の研究室ではSolarisを使っているのか?SolarisはいいOSだ」と彼は言っていた。 日本に戻った後、家のWindowsをUbuntuとのデュアルブートにして、なんとなくUbuntuに触るようになった。 研究室の同期に好き者がいたので、「Ubuntuはでかいし、ちと重い」ということから、Ubuntu派生でウィンドウマネージャにOpenboxを採用している
Macintosh誕生までの道のり 前回はApple Computer(現Apple)のLisa(リサ)OSを紹介しましたが、同時期に推し進められていた開発プロジェクトの一つが、一時代を作り上げたMacintosh(マッキントッシュ)です。経営陣に一切の担当を持たない会長職に追いやられたSteven Jobs(スティーブン・ジョブズ)氏が、Jef Raskin(ジェフ・ラスキン)氏がリーダーとなって開発を進めていた500ドル程度の家庭用ゲーム機に目を付けたのは必然の流れでした。 当時の開発コード名はAnnie(アニー)でしたが、女性蔑視と考えたRaskin氏は、自身が好きなリンゴの品種McIntoshに改称しようとしました。しかし、当時は既にオーディオメーカーのMcIntosh Laboratoryがありましたので、スペルを変更。現在の「Macintosh」に変更したそうです。しかしながら
GUI(グラフィカルユーザーインターフェース)を採用したパーソナルコンピューターとして、もっとも有名なのはApple Computer(後にAppleへ社名変更)Macintosh(マッキントッシュ)ですが、GUIを最初に同コンピューターへ持ち込んだのは、同社のLisa(リサ)です。初代Macintoshは1984年1月24日にデビューしましたが、Lisaが世に登場したのは1983年1月19日。ちょうど一年前でした。 そもそもLisaの開発は1978年からと言われていますが、それを裏付ける資料は今回発見することはできませんでした。その一方で明確なのは1979年頃の同社で行われていたプロジェクト資料。屋台骨となったApple IIの後継機種と、技術的な妥協をしない高性能なパーソナルコンピューター、そして低コストのコンピューターと三つの開発プロジェクトが進行中でした。この二つ目に当たるのが今回
落胆のなかで生まれた「NeXTSTEP」 昨年鬼籍に入られたSteve Jobs(スティーブ・ジョブズ)氏は、Appleの共同設立者であると同時に、同社を代表する"顔"でした。パーソナルコンピューター黎明期である1970年代から現代に至るまで、コンピューター業界には数多くの人々が携わってきましたが、移り変わりが激しい同業界で名を残すのは至難の業。そのなかでも社を代表する"顔"として長年君臨してきた同氏の凄さがわかるのではないでしょうか。その同氏ですら米Appleを離れていた時期があります。 1984年。AppleはMacintoshという画期的なコンピューターを生み出したもの、その需要予測や生産計画はずさんなものでした。役員たちから経営者としての資質を疑われ、対応を求められたJobs氏が招いたのは、当時ペプシコーラの事業担当社長だったJohn Sculley(ジョン・スカリー)氏。しかし、
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く