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warとJapanに関するume-yのブックマーク (66)

  • 【主張】南京大虐殺記念館 問題写真撤去を第一歩に - MSN産経ニュース

    中国・南京市の南京大虐殺記念館に展示されていた3枚の写真が撤去されていることが分かった。いずれも、南京事件とは無関係であることがはっきりと証明されている写真である。 例えば、「連行される慰安婦たち」とされる写真は、南京戦の前に発売された「アサヒグラフ」に「兵士に守られて帰宅する女性や子供」として掲載されていたものだ。また「日軍の空爆を受けて泣き叫ぶ赤ん坊」とされる写真は、中国側が反日宣伝のために演出して撮影し、米誌「ライフ」に載せた写真である。 日の外務省は同記念館が南京事件から70年にあたる昨年12月に再オープンして以降、この3枚を含む複数の写真について、史実に反するなどとする日の学問状況を非公式に中国に伝えてきた。3枚の問題写真の撤去は、こうした外交努力の成果といえる。 外務省が歴史問題で中国にこのような働きかけを行ったことは極めて異例だ。当然とはいえ、その努力を評価したい。 だ

  • 増田な敗戦論 - finalventの日記

    ⇒http://anond.hatelabo.jp/20081207052902 この問題は、逆コースから見ていくほうがよくわかる面がある。ただ、逆コース自体がよくわからんじゃないかと言われるとなんだけど。 ただの陰謀論じゃないから、読んでおくとよいよ。 軍隊なき占領―戦後日を操った謎の男 (講談社プラスアルファ文庫): ジョン・G. ロバーツ, グレン デイビス, John G. Roberts, Glenn Davis, 森山 尚美 こっちのほうが読みやすいかな。 巨悪vs言論―田中ロッキードから自民党分裂まで〈上〉 (文春文庫): 立花 隆 巨悪vs言論―田中ロッキードから自民党分裂まで〈下〉 (文春文庫): 立花 隆

  • 明日は12月8日: 極東ブログ

    明日は12月8日。釈迦が悟りを開いたとされる臘八会だ、っていう話はボケ。対米英開戦の記念日、と書いてそれでいいのか。あの馬鹿なWikipediaはなんと呼んでいるのかなと見ると、太平洋戦争勃発とある。ふーん、というしかないな。いわく「日軍、ハワイの真珠湾を奇襲(真珠湾攻撃)」、これも、ふーん、というしかない。英語の翻訳かと思い英語版を見ると、こうある(参考)。 1941 - The United States Congress passes a declaration of war on Japan, bringing the United States of America officially into World War II. Hitler's Germany declares war on the United States. Congresswoman Jeannette R

    ume-y
    ume-y 2008/10/29
    太宰治『十二月八日』
  • 今日の大手紙社説 - finalventの日記

    終戦記念日の話が多い。私としてはもうこの話はほぼ終了。 ⇒極東ブログ: [書評]奪われた記憶(ジョナサン・コット) で、ユダヤ教ラビ、ローレンス・クシュナーはこう語る。 ― 哲学者アヴィシャイ・マルガリートは著書『記憶の倫理』の中で、ユダヤ教の伝統において、許すことと忘れることをどう区別するかについて書いています。また、エレミア書にある神の言葉、「私は彼らの咎を許し、彼の罪を忘れるであろう」を引用します。そしてマルガリートは、神が許したことを神が忘れることはあるかもしれないが、われわれは許すことはあっても、忘れることはないと言っています。 K その言葉は好きだけど、嫌いでもありますね。ユダヤ人はこの概念に固執しています。これはアマレクに関する命令にまで遡るわけですが、人びとがあなたに対してやったことを思い出さなければならない、でないと人びとは同じことを繰り返す、という考え方です。でも、たと

    今日の大手紙社説 - finalventの日記
    ume-y
    ume-y 2008/08/16
    「 今の世界の平和に寄与できなければ日本の終戦とその後の平和国家に意味なんかない」
  • 対馬丸メモリアルデー: 極東ブログ

    1944年の8月22日、那覇港から出た学童疎開船「対馬丸」が、鹿児島県悪石島付近で米海軍潜水艦ボーフィン号の魚雷により撃沈された。氏名判明者に限定すれば、学童775人を含む1418人の民間人がこの攻撃で殺された。僅かに59人の学童は救出された。この殺戮については日では当時機密ということになったが、県民の多くは戦中この惨劇を知っていたようだ。 それから60年を経た今日、この惨事を追悼すべく、那覇市若狭の遭難学童慰霊「小桜の塔」近くに「対馬丸記念館」(参照)が開館されることになった。 なぜこれほどの惨事になったのか、なぜ米軍は民間人を大量殺戮したのか。しかし、冷徹に歴史を見ればそれほど不思議はない。当時187隻の疎開船により約8万人にもが安全に疎開できていた。また、米軍はすでに商船も攻撃対象としていた。対馬丸は商船と見られていた。 当時、潜水艦ボーフィン号で魚雷発射任務に就いていた米海軍下士

  • 毎日社説 社説:沖縄戦学習 力合わせ実りあるものに - 毎日jp(毎日新聞) - finalventの日記

    沖縄戦は実際に現地で自分で調べた範囲ではかなり重要なことが依然わかっていない。古老の証言からは、通説と違う証言もある。 部分によっては右派左派にとっても都合の悪いさまざまなディテールがあり、こうしたイデオロギー的な枠組みをいったん除いたほうがいいと思うのだが、そうもいかないのだろう。 学童疎開船「対馬丸」撃沈の惨劇。そして今の中学、高校生の年代に相当する男女学徒らを「鉄の暴風」と呼ばれる戦場に動員した沖縄戦は、学校教育の場で児童生徒の心をより深くとらえ、考えさせる。 一般住民を巻き込み、犠牲を強いる総力戦。土決戦準備のための時間稼ぎをする「捨て石」とされた沖縄戦は、最後は住民も見捨て、集団自決にも追い込んだ。さらに戦後の米軍統治、復帰後も続く広大な基地の圧迫。今もあの戦いの延長上に沖縄はある。 対馬丸には以前少し触れた。 ⇒極東ブログ: 対馬丸メモリアルデー このころはまだ自分は沖縄生活

    ume-y
    ume-y 2008/07/01
    「戦後日本が米国から独立した52年から72年まで日本国から見捨てられた沖縄米軍統治時代とはなんだったかを本土の人が学習しないと、いつまでたっても現代の沖縄理解など得られない」
  • 朝日社説 原爆症判決―これを機に幅広い認定を : asahi.com:朝日新聞社説 - finalventの日記

    このニュースを聞いたとき、台湾人はどういう扱いになるかなとちょっと気になった。あと、移民の人かな。 以前にも書いたと思うが高校の時の懇意にしていた地学の先生が原爆症の後遺症で突然亡くなった。あの葬儀の暑い日が忘れられない。彼は今の私より若いのではなかった。彼の親友でもある倫理・政治の先生は授業に泣き出して、自習といってクラスの済みに座って呆然としていた。私が文明論的に世界を見る観点をふかしてると文明論過ぎるなと軽く言った。原爆廃墟のなかで死体処理をした現国の先生のあのときの相貌は思い出せない。私を評価もしたし厳しくもあったが奇妙に距離も置いていた。高校を踏み台にメディアに登り、大学の先生となった。60年代闘争で挫折した組であろうが世渡りのうまい人だった。

    朝日社説 原爆症判決―これを機に幅広い認定を : asahi.com:朝日新聞社説 - finalventの日記
  • 朝日社説 集団自決検定―教科書会社は筋を通せ説 - finalventの日記

    おや?と思った。今日も共産党大会の話題がない。これはなんかあるな。なんだろ。大筋で朝日は上海閥の鼻息フンっがなければ傍観的暢気な胡耀邦シンパだろうと思うのでその流れでなんとなく親胡錦濤系だろう。現状の流れでいうと上海閥掃討みたいなことは不可能っぽいし。 で、煙幕社説は何の話題か? と読むと、どうでもいいや、こんなの。私は文科省イラネだし。というのと、朝日のこの社説に顕著なんだけど、実は史実に関心ないのな。それと何が問題かを明確にしない。「日軍に強いられた」のは否定できるわけでもない。それが問題なのかとすればほぼナンセンス(否定できるわけないのだから)、それとも問題は日軍が軍の指揮系として住民を軍に組織化して自殺を命じたかということかというと、そのあたりはボケている。というか、大筋で「日軍に強いられた」のは否定できるわけでもないのだから、その指揮系の問題をどう評価するか。そしてその史実

    朝日社説 集団自決検定―教科書会社は筋を通せ説 - finalventの日記
    ume-y
    ume-y 2007/10/17
    "なにより、実際の戦死者の個別の状況の解明やいまだにガマに眠る住民の遺骨収集などを進めて記録していただきたい、というか、それを事実上放置しているに近い状況では沖縄戦の史実の解明が進んでいるとは思えない"
  • ジョー・オダネル(Joe O'Donnell)のこと: 極東ブログ

    今年の8月はブログに戦争の話題を書きたくなかった。ブログも4年を越え、自分なりの考えはもうあらかた書いたような気がしていたし、しだいに8月15日という日が、自分には日の独善的な欺瞞にしか思えなくなりつつある。が、ジョー・オダネル(Joe O'Donnell)の死については書いておくべきなんじゃないかとふと思った。ためらった。私が書いたところでまた誤解されるだけなのだ。でも、書いておこう。 ジョー・オダネルの死を朝日新聞は少し奇妙な伝え方をしてた。11日付”「焼き場に立つ少年」の写真家ジョー・オダネルさんが死去”(参照)より。 ジョー・オダネルさん(米国の写真家)が米テネシー州の地元インターネットニュースサイトによると、10日、同州ナッシュビルで脳卒中のため死去、85歳。 奇妙な感じがしたのは、新聞社が「地元インターネットニュースサイトによると」みたいな書き方をしていいのだろうかということ

  • 時代小説 黄宝全: 極東ブログ

    手すさびに時代小説を書いてみた。もちろん、文学的価値なんかないけど。 「時代小説 黄宝全」 盧溝橋事件の知らせを電報で聞いた時、蒋介石はそっけなく私に視線を向けて戻した。部下たちは気が付かなかったようだが、私にはその意味はわかった。その後、彼は私を呼んで「なるほど、日と戦うことになったわけだ」と言った。 私は「そのために閣下の軍事顧問としてドイツから派遣されています」と答えた。蒋介石はわかっているという表情をした。西安事件の翌年にこうなった。これが抗日を飲むということなのだ、選択の余地はない、飲まなければ消されるだけのことだ、蒋介石の無言の思いは伝わってきた。 「日人と戦うのはいやですか」私はあえて訊いてみた。彼は私のそういう外国人らしい率直さが気に入っていたからだ。蒋介石は答えなかった。ややうつろな表情は東京のことを思い返しているかのようだった。彼は士官学校予備校振武学校を終え高田の

    ume-y
    ume-y 2007/07/09
    盧溝橋事件からの日中独
  • 毎日社説 視点 「空白の10年」を埋めるのは国の責任だ - finalventの日記

    原爆投下からほぼ10年間、つまり昭和20年代に重なる年月を被爆者は「空白の10年」と呼ぶ。文字通り、公的な援護制度や政策もなく、被爆者たちを差別や偏見にさらされるままにした10年であり、当時最も支援を必要とした人たちが次々に亡くなった。 それまでの「空白の10年」の実態を今のうちに被爆者から聞き取り記録しておきたい。そう願い、広島県原爆被害者団体協議会が昨年から3年計画で調査を進めている。その第1段階のアンケート結果が最近まとまった。回答者は県内の生存被爆者のうち7096人。被爆時に胎児から30代だった人にまでわたり、被爆後10年の記憶に限定して尋ねた。 まあ、それに異論があるわけでもないが。 この空白には米国側に資料がけっこうあるはずで、それはどの程度研究されているのだろう。頭がぼうっとしているからというのを弁解に放言すると、日の原爆はジェノサイドだったよというのはさすがに放言が過ぎて

    毎日社説 視点 「空白の10年」を埋めるのは国の責任だ - finalventの日記
    ume-y
    ume-y 2007/06/18
    「なぜ広島がウラン型で、長崎がプルトニウム型なんだ? やってみたかったんだよ、実験。なにがNecessary Evilだよ」
  • 中国新聞 地域ニュース-資料館展示見直しに中韓の声

    米海軍ドック型揚陸艦アシュランド、岩国基地に初寄港 「物資補給のため」 (2/25) 米海軍のドック型揚陸艦アシュランドが25日、米軍岩国基地(岩国市)に初めて寄港した。中国四国防衛局...

    中国新聞 地域ニュース-資料館展示見直しに中韓の声
  • 読売社説 戦後補償裁判 「個人請求」に幕を引いた最高裁 - finalventの日記

    まあ、これもだが、台湾人について日は戦後ひどいこともしたよなと思う。台湾人は日人だったのに(十分補償されない)。まあ、それをいうと以下略。 全体論としては、戦争責任論というのもわからないではないし、歴史は研究されるべきだし、法理は法理としてあるべき。なのだが、もう一つ、国民意識へのコミュニケーションという問題がある。日戦争責任というのは、私の世代まではある種の実感とこの言葉の持つダブスタへの感性があった。しかし、私から下の世代にはそういう阿吽は通じない。歴史を勉強しろよとかつい言いたくなるが、あのダブスタ感がわからないと歴史の勉強はどのようにも仕上がってしまう。 あと困ったことに戦後文学における戦争っていうのは、極論すると知識階層の浮遊物であって、戦争が描かれていない。このあたり、できるだけ大衆カルチャーのなかから両義的に戦争を掬い取らないといけない。戦争というのは知的にはわからな

    読売社説 戦後補償裁判 「個人請求」に幕を引いた最高裁 - finalventの日記
    ume-y
    ume-y 2007/04/29
    「戦争というのは知的にはわからない部分があるし、大衆のなかにこそ平和思想がある、はずだ」
  • はてなQより 必要悪 - finalventの日記

    ⇒人力検索はてな - 「必要悪」を英語でなんと訳して良いのかわからず、いろいろ検索してみたのですが・・・ necessary evil だと2つの言葉に分かれていてなんだかちょっと変かな?と思うの.. 回答じゃないんだが。 こういう歴史がある⇒Necessary Evil - Wikipedia, the free encyclopedia あまり日では語られないように思うが。

    はてなQより 必要悪 - finalventの日記
  • Necessary Evil - Wikipedia

    Ethics[edit] Necessary evil, an evil that must be allowed for a greater good to result Lesser of two evils principle Film and television[edit] The Necessary Evil, a 1925 American silent film Necessary Evil (2008 film), an American thriller film Necessary Evil: Super-Villains of DC Comics, a 2013 documentary film "Necessary Evil" (Star Trek: Deep Space Nine), a television episode "A Necessary Evil"

    ume-y
    ume-y 2007/04/11
    「必要悪」と訳される英語 "necessary evil" の名を持つB29。1945/08/06広島, 1945/08/09長崎の飛行隊にいて、撮影を担当した。
  • [書評]その夜の終りに(三枝和子): 極東ブログ

    「その夜の終りに(三枝和子)」(参照)は、平成元年「群像」九月号に発表された後、単行となった。私の手元にある翌年刊行された初版奥付を見ると一九九〇年二月二三日とある。版を重ねたかどうかは知らない。 三枝和子(さえぐさ かずこ)は、一九二九年(昭和四年)三月三一日の生まれ。今日が誕生日であり、存命なら七八歳であったことだろう。が、二〇〇三年、亜急性小脳変性症により七四歳で亡くなった。その前年に癌の手術も受けていた。喪主となったのは夫の文芸評論家森川達也。彼は昨年五月五日肺気腫で亡くなった。八三歳。生年は一九二二年(大正十一年)。三枝とは七つ違いということになる。子供は無かったのか喪主は兵庫県加東市花蔵院梅谷快洋住職とのこと。 彼らの結婚がいつだったか手元の資料ではわからない。三枝和子は、兵庫師範学校科を経て、関西学院大学文学部哲学科を卒業し、同大学院文学研究科修士課程を中退。神戸と京都で

    ume-y
    ume-y 2007/04/02
    従軍慰安婦の物語。引用だけでも胃が重くなる。
  • [書評]海辺の生と死(島尾ミホ): 極東ブログ

    島尾ミホさんが亡くなった。八十七歳。とぅしびーは祝ったであろうし、満年齢なら、とーかちも祝ったか、と思い、いや彼女はカトリック教徒だったなと思いおこして自分を少し苦笑した。 書棚を見ると彼女の「海辺の生と死」(参照)がそこにある。この書物はこの十年以上の年月、私の存在をいつもじっと見つめている。干刈あがたのと一緒に、私が沖縄に出奔する前からいつも身近にあり、今もある。 「海辺の生と死」と島尾ミホさんについて、私の胸にこみ上げるような思いがいろいろとある。だが言葉にならない。死は悼むべきだが、彼女は天寿に近い。その死を強く悲しむものではないが、なにか泣きたいような思いだけはこみあげてくる。 を手に取りなんども読んだページをめくりながら、その感情のコアがどこにあるのかと問い直すまでもなく、それが何であるはわかる。だが、それをどう書いたらいいのだろうかとなるとまるでわからない。そこに記されて

    ume-y
    ume-y 2007/03/29
    「隊長さまはあの日を最後に姿を消しました。夢の中で隊長に会ったと話すと、敏雄は『ミホは昔の恋人に会ってきたんだね』と苦笑したものです」
  • 沖縄本土復帰記念日: 極東ブログ

    今日は沖縄土復帰記念日だが何十周年という節目でもないせいか、大手新聞でも社説で触れるところがなかった。社説執筆者が単に失念していただけのことかもしれないし、こんなのネタにならないよ、と見なされたのかもしれない。どっちだろうか。私も、なぜかこの話題に今日触れたいとも思わないのだが、昨日の琉球新報の記事を読んでしばし天を仰いだ。 記事は”「核密約」遺書でわびる 密使として関与の故・若泉敬氏”(参照)だ。標題を見て推測がつく人も多いだろう。 著書「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」の中で沖縄返還交渉において、自らが佐藤栄作首相=当時=の密使として核持ち込み密約にかかわったことを告白した元京都産業大学教授・若泉敬氏(1996年死去=享年66歳)の遺書の写しがこのほど、関係者の手により明らかになった。遺書は1994年6月23日の日付で、県民と、当時の大田昌秀県知事(現参院議員)あて。この中では、核持ち込

  • 朝日社説 下村発言―首相のおわびが台無しだ - finalventの日記

    こう言ってはなんだががんばれ朝日。どこまでも。 問われているのは、過去の日が女性たちの尊厳と人権を深く傷つけたという歴史の事実に、日を代表する立場の首相がいま、どれだけ真剣に向き合えるか、という問題にほかならない。「いま」の話なのだ。 この点はまったくそう思う。ただ、日人女性の戦後をきちんと顧みることがおろそかにされている感じがするが。というのは慰安婦の大半は日人であった。彼女たちの多くはあまり語ることもなく死んでいった。

    朝日社説 下村発言―首相のおわびが台無しだ - finalventの日記
    ume-y
    ume-y 2007/03/28
    「ただ、日本人女性の戦後をきちんと顧みることがおろそかにされている感じがするが。というのは慰安婦の大半は日本人であった。彼女たちの多くはあまり語ることもなく死んでいった」
  • 安部首相の従軍慰安婦発言 英エコノミスト「恥を知れ」 | 小林恭子の英国メディア・ウオッチ

    遅くなったが、安倍首相の従軍慰安婦発言に関し、英メディアの報道を見てみたい。 まず大前提として、英メディアの論調の中では、「日は過去=戦時中にやった残酷な行為を認めていない」、「慰安婦問題も含めた戦時中の事柄に正面から向き合っていない」という認識が広く共有されてきたように思う。これは今回の安倍発言に関する場合だけでなく、私が気づいた時からするともう数年(10年?)にもなる。 第2次世界大戦中、日はアジアで「悪行」を行い、これを十分に清算していないので、中国を始めとするほかのアジア諸国が怒っている、「過去を清算をせよ」、「不正行為を認めて、それから次の段階に進むべき」、今後の良いアジア関係発展のためにも、日が「過去を清算し、和解をすることが大切」という論調だ。 こうした論調や前提はほとんどの英メディアにある。基的に、日は第2次世界大戦でドイツと組んだ敵側にいたことを、英国は決して忘

    安部首相の従軍慰安婦発言 英エコノミスト「恥を知れ」 | 小林恭子の英国メディア・ウオッチ