原書読解ですが、えーと前言撤回で、フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』を読んでいます。面白い。ペンギン版で読んでいるのだけど、172ページの中編である。ペンギン版の『チャタレー夫人の恋人』は314ページであり、『ギャツビー』が長編であるという私が持っていた認識は改めなければならないのかもしれない。 ところで、物語のヒロイン、デイジーの魅力のなさはこの中編の一つの特徴である。デイジーはニックの回想の中では魅力的に見える。が、現実のデイジーはトムの凡庸な妻であり、ギャツビーが心を惹かれる理由も明確ではない。作者が意図的にデイジーを魅力的でない女性に造型したのかどうかは定かではない。ただ、デイジーの凡庸さはこの小説にある響きをもたらしている。それは、虚栄の響きである。グレートな存在であるはずのギャツビーは凡庸なる元カノに心を奪われたままでいることで、そのグレートさが虚構のものでしかないと