博士(文学)。日本の「特撮(特殊撮影)」作品を誘致資源とした観光「特撮ツーリズム」を提唱し、これまで包括的な研究を実施。国内の各学術学会や、海外を拠点とした国際会議へも精力的に参加。200を超える国内外の特撮・アニメ催事に参加してきた経験を生かし、国内学術会議や国際会議にて日本の特撮・アニメ作品を通じた観光研究を多数発表、数多くの賞を受賞する。国際会議の事務局メンバーのほか、講演、執筆、観光ツアーの企画等、多岐に渡り活動中。東海大学総合社会科学研究所・特任助教。
※この記事は映画の重要な部分についてネタバレがある。映画をまっさらな気持ちで見たい方は、ぜひ観賞後に読んでください。私は7月30日、公開2日目に『シン・ゴジラ』を見に行って衝撃を受け、その日のうちにこんな記事を書いた。 →日本のスクラップ&ビルド、東宝映画のスクラップ&ビルド 『シン・ゴジラ』(Yahoo!個人/7月30日) この記事では触れなかったが、エンドロールに出てきた「製作 市川南」のクレジットを見て秘かに歓喜した。市川氏は以前宣伝部にいて、コピーライターとして私は仕事をご一緒したことがある。その後、映画調整部に移ってヒット作をプロデュースしていたことは知っていたが、このゴジラのリニューアルというヘビーな作業も市川氏が指揮していたのは感激だ。そこで、十数年ぶりに市川氏にお会いし、『シン・ゴジラ』誕生についてお話をうかがった。そのインタビューのエッセンスをここでみなさんに読んでいただ
ゴジラは何度も生まれ変わろうとして再生できずにいた60年代生まれの私にとって、生まれて初めて映画館で観た劇映画は『ゴジラ対ヘドラ』だった。幼い私は大興奮したが、連れていってくれた昭和一桁生まれの父は、少し不満だったようだ。父は1954年の第一作から劇場で見ており、その後テレビで初期の頃のゴジラ映画が放送されると、いろいろ解説してくれた。最初から数作のゴジラ映画は大人向けだったのだ。ところが私が物心ついた頃から子どもっぽくなり、『ヘドラ』の翌年の『ゴジラ対ガイガン』ではゴジラとアンギラスが吹き出しで会話して、子ども心にもがっかりした。 ゴジラシリーズは昭和のシリーズ製作を75年でやめてしまい、84年からまたシリーズを再開したが95年で中断し、99年からまた製作をはじめて2004年で途絶えていた。そのたんびに、第一作へ回帰するのだと大人っぽく生まれ変わろうとして結局興行的には子ども向けにならざ
こんにちは、空想科学研究所の柳田理科雄です。マンガやアニメ、特撮番組などを、空想科学の視点から、楽しく考察しています。さて、今回の研究レポートは……。 5月13日に公開された『シン・ウルトラマン』が大ヒットしている! 56年前の元祖『ウルトラマン』の雰囲気を残しながら、現在ならではのアレンジを施し、「もしウルトラマンが存在したら……」という世界をていねいに描いているスバラシイ作品だ。 ウルトラマンが人間についての情報を集めようとする(難解な『野生の思考』を1秒に1ページくらいのペースで読む!)など、斬新な視点も面白かったし、団地や居酒屋など妙に昭和っぽい舞台がちょいちょい出てくるのも楽しかった。 しかし、筆者が見る前から興味津々だったのは、シン・ウルトラマンの体格や能力である。 1966年の元祖ウルトラマンは、身長40m・体重3万5千t、マッハ5で空を飛ぶ。活動時間は3分間。 幼い頃にこれ
こんにちは、空想科学研究所の柳田理科雄です。マンガやアニメ、特撮番組などを、空想科学の視点から、楽しく考察しています。さて、今回の研究レポートは……。 ウルトラマンが地球上で活動できる時間は、わずかに3分。ボクシングの1ラウンドと同じで、極端に短い。 それであんなに活躍できたのは、彼がスペシウム光線という必殺技を持っていたからだ。左右の腕を十字に組むと、右手から放たれて怪獣を爆破する必殺光線! ところがウルトラマンは、この技をなかなか出さない。怪獣と対峙しても、初めは殴ったり蹴ったり投げ飛ばしたりして、制限時間ギリギリになってようやくスペシウム光線を放つ。 なぜだ!? そんなすごいワザがあるなら、最初から撃てばいいのに――と多くの人が思ってきたに違いない。もちろん、筆者も子どもの頃から不思議だった。 ところが『ウルトラマン』全39話を見直して、スペシウム光線の発射状況を確認したところ、意外
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く