最近男性の美容垢でデパートのコスメ売場で冷たくされたというお話がよく出ていて、皆が化粧品を気持ち良く買えないなんて悲しいなと思いながらもちょっとここでだけ美容部員の本音を書いてもいいですか
赤十字の献血ポスターで不自然に乳房が協調されたイラストを採用したとされる件について、イラストが性的だとか女性を搾取しているとか、逆に騒ぎすぎだとかこれくらい大したことないとか、お互いにたたき合うのは不毛なので、お互いの前提があまりにかみ合っていない点を話し合うべきだと思う。 togetter.com 政治的正しさを全て撤廃した私個人の心理としては、女性を搾取するような表現は焚書にしたいし女性をエロい目で見た男は打ち首獄門でいいと思っている。去勢した男だけがよい男。 で、なんで私がそのような過激な感情を持つに至ったかというと、そこに至るまでのそびえたつクソのような事柄を千切っちゃ投げ千切っちゃ投げしてこれまで戦ってきたからなわけです。密度の違いこそあれほとんどの女性は電車で尻を触られたり見知らぬ人に暴言を吐かれたりといった嫌な体験を積んできている。その前提において出てくるのが「エロは死ね」と
元鈴木さん @Motosuzukisan 今日ゴリラと車を観に行ったら、セールスマネージャーだと言うおじさまが担当だったんだけど、名刺をゴリラにしか渡さなかったの。買うのは私なのに。ずっとゴリラにばっか説明するから、『私は』こういう理由で車が欲しくてって言ったのよ。車が欲しいのは私なんだよって今のうちに教えとこうと思って 2019-06-17 03:52:11 元鈴木さん @Motosuzukisan でもあんまり真面目に取ってなかったみたい。私は悲しかった。私一人で行ってたらまた違ったかもしれないけど、私の隣に『ご主人』がいたらそっちと話すんだから、軽視されたと感じた。どうやら私に決定権はないと踏まれたようだと思った。だから試乗も全然面白くなかった。 2019-06-17 04:02:44 元鈴木さん @Motosuzukisan でも書類に名前を書いて契約しろと言うのよ。頭にきて「買う
男性オタクってひとくくりにすると「俺なんもやってないもん!」な人が出てくると思う。 そうだね。でも傍観してたよね。 たしなめてる人見たことないよ。 もっともそんなことしても女認定されて取り合ってもらえなかったかな。 十年前のネット界隈は「男にあらずんば人にあらず」だった。 なに不自由なく伸び伸びできてた人達には私が感じた屈辱はわからないだろう。 美少女の乳揺れやロリエロネタは垂れ流されるのに、イケメン男キャラへの称賛は罵られる。 書き込みが少しでも女っぽいと「女だろw」「くっさ」とまるでそれが悪いことかのように嘲られる。 美少女アニメが飽和してるなかで、ただ男キャラが二人並んでるだけの絵がでると「腐向けかよ」「女に媚びてる」「腐女子に侵食された」と非難囂々。 少年漫画は腐女子に駄目にされた! オタク文化は腐女子に駄目にされた! 女はなんでも男の後追い!って主張を真に受けて悲しくなってたけど
「女性版があったらいいのに」という感想 今ごろになってなぜ、と言わないでほしい。これから連続ドラマ『おっさんずラブ』について書きます。 正直なところ、私は男性同士の恋愛が描かれている、それも好意的に描かれている漫画や映画に触れるのが苦手だ。 それらの作品が「こういう生き方でもよいのだ」と提示する範囲を広げてくれる場合が多いのはわかっている。けれども、その拡大した範囲の中にすら私のゲイとしての(もっとぐちゃぐちゃしていて、にっちもさっちもいかないような)生き方は多分含まれていない。 フィクションの受容と自分の実人生との距離のとり方がうまくない、と言われればそれまでなのだが、どこかで「私のような人間のことはどうせ描かれないだろうな」と思ってしまう(本当は「絶望してしまう」と言いたいくらいだ)ので、物語世界の中で起きている「他人事」としてきちんと楽しめないのだ。 ということで、2018年4月から
1月24 ジェンダーは既に撹乱している カテゴリ:femi/gender/sexsociology Twitterで議論されている「トランス女性とシス女性の対立」について自分が思ったこと、感じたことをまとめてみようと思います。 色々な人が色々な立場で色々なことを話ししていますが、 なぜ一部の女性がこれほど「差別主義者」「ヘイト」「フォビア」と言われていても、それをやめないのかを丁寧に説明しているものは、あまりありません。 フェミニストを名乗り、差別に反対してきた人たちがなぜ黙らないのか。それは本当に「フォビア」なのか。 その辺りをまとめられればと思います。 まず、私について 私は生まれた時からペニスは付いていませんでした。世界と自分の境界も曖昧だったそのころに「女」と名付けられました。いわゆるシスジェンダーヘテロセクシャルの「女」です。前思春期に初潮がきました。その頃をから自分の身体は嫌い
2019.02.16 21:05 「女性専用スペースからトランス女性を排除しなければならない」という主張に、フェミニストやトランスはどう抵抗してきたか 昨年の2018年7月、お茶の水女子大学がトランスジェンダー女性の入学受け入れを発表したとき、ただちにツイッターで、トランスフォビックな仕方で懸念や怒りを表明するフェミニストがあらわれた。私はそのようなツイートを見て、非常に暗い気持ちになった。 第一には、むき出しのトランスフォビアの言葉そのものが原因だ。だが、とりわけ私が暗い気持ちになったのは、次のようなことを考えたからだ――ついに、この手の言説が日本にもこの強度であらわれた、これからこの種のトランスフォビアと、正面切ってたたかわなければならなくなるのだろうか、と(※1)。 (※1 あくまでも私にはそう感じられた、ということであり、日本のフェミニズムの歴史やネット上のフェミニズムの言説に詳し
Twitterでずいぶん酷い意見が散見されるので、当日、シンポジウムに登壇していた立場から考えをまとめておく。引用するのは、情報発信源となっている山口弁護士のツイート。 なお、私はジェンダー法学会会員ではなく、書くのは個人としての意見です。 「質問時間を奪われた」 は妥当なのか2018年12月1日2日に行われたジェンダー法学会。私は2日目のシンポジウム「メディアとジェンダー」に登壇した。質疑応答の時間はかなり長くとられ、質問紙を記入する時間を考慮した2回の休憩を挟むものだったが、 全体的に質問挙手は少なめだった。 MeToo発言があったのは、質疑応答の最後の方。登壇者による総括が16時40(正しくは50)分から予定されており、MeTooが終わったのは16時37(正しくは47)分ぐらいだったと思う。山口弁護士の挙手が見えた時、私は、「この質問を受けると40(正しくは50)分を超えるな」と考え
思い出すたびもう二度と布団から出たくないと絶望する記憶はたくさんあるが、とりわけよく思い出すもののひとつが、数年前に受けたテレビのごく短いインタビューでの出来事だ。私はたしかにそのとき小説家として呼ばれ、小説家としてカメラの前に立った。しかし、緊張してぼんやりしている私に、インタビュアーの人は「得意な家事はなんですか」と尋ねた。 家事? 私はますますぼんやりしたが、それでも自分がにやにやと笑っているのがわかった。にやにやしている私はおそらく「洗濯ですかね……」と答えたと思う。「洗濯は、洗濯機に入れるだけだから……」そんなようなことを言いながら、でも干すのはきらいだ、あれはめんどくさいと考えていた。体に、ハンガーをむりやりTシャツの襟元にねじこむときの感触が走った。 私は自分に嫌悪感をおぼえた。にやにや笑っている自分の顔を想像すると、反吐が出そうだった。私が笑ったのは、うしろめたくていてもた
論点1 最近の男子大学生〜30代半ばはそういうのに敏感だから、自分で取り分けるのがほとんどで、そういう人たちに対して女は取り分け禁止ですぅ!って恥ずかしくなる。それより上の世代にはリーチしないので無意味だし。 論点2 割と、若いうちから、世間的には高いキャリアを積めてるけど、なんだかんだで、お偉いさんに媚を売りたいときはある。そういうときの会食でサラダとりわけは絶好のチャンス。女の身体の見せ方を意識してれば、大半の男はジロジロ見てくれる。 それだって女の武器でしょ。大学教師くらいのアガリの人が、呑気に禁止ぃ!とか言うのは自由だけど、こちとらまだまだあがってないわけ。頼むから邪魔しないでくれ。本当にウザい。 追記 オンナの武器を使わせろはおっさん感性の嘘松だぁ!と喚いてるバカが複数湧いてるようだけど、 オンナに理想持ちすぎの童貞なのかな?笑 大学生くらいなら、普通にキャバだので稼げる体験をし
説教したがらない男の皆さん、安心してください 「マンスプレイニング」(mansplaining)という言葉をご存じだろうか。「マン」(man、「男性」)+「エクスプレイン」(explain、「説明する」) を縮めて動詞「マンスプレイン」(mansplain)、その動名詞が「マンスプレイニング」だ。知っている方も多いと思うが、一応オクスフォード英語辞典で定義を確認してみよう。 男性について使う言葉。(通常は女性に話しかけている時に)必要もないのに、横柄だったり、相手を見下していたりするようなそぶりでものごとを説明すること。とりわけ保護者ぶっていたり、男性優越主義的な態度を示していたりすると思われるような口ぶりの時に使う。(拙訳) つまり、相手の女性が既に知っていたり、説明してもらう必要がないと思っていたりするのに、男性が偉そうに説明をするのが「マンスプレイニング」だ。とくに女性の健康とか、性
『かぐや姫の物語』を観た。強い衝撃を受けた。昔話のあらすじそのままでありながら、昔話ではなかった。これは、あきらかに現代を生きる女の話だった。震えた。 思春期を迎える頃に、かぐや姫は生まれ育った山を離れ、都へと連れていかれる。この時点でいくつかの喪失がある。子供時代の喪失。野山を駆け巡る生活の喪失。遊び仲間の喪失。姫は、このときまだ自分が何を失ったのか理解していないが、「子供時代の喪失」は、女にとって、人間性を一度失うことと同じである。女にとって、大人になるということは、ただ子供から大人になるということではない。大人ではなく、「女」になれ、という周囲からの強制が必ず働く。ただ自分の意志で好きなことをし、気持ちをそのままに表現できた子供時代を失い、人目を気にして誰から見られても恥ずかしくない「女」になれと強いられるのは、自分自身を捨てろと言われているのに等しい。都に移り住んだ姫は、走り回るこ
今日は思いついたまま書くのでまとまりがないかもしれませんが、良かったら読んでください。 読売新聞に「人生案内」という、読者からのお悩み相談コーナーがあるのをご存じでしょうか。 そこは毎日老若男女問わず色々な人からの相談が寄せられているのですが、月に数回ほど「ひどい夫案件」があるんです。 それはたいてい妻からの「こんな夫と生活していくのに耐えきれないけけれど、子供の為に家庭は維持するべきか?」みたいな相談なのですが、日々読んでいると「これ、こないだと同一人物じゃない?」と思うことがよくあります。 実際には同じ人の投稿はダメみたいなので、みんな別人なんですが、まるで妻たちが1人のダメ夫について話してるのかと思えるほど、どの夫も根底の部分に同じ精神を共有しているというか「マザーコンピューターで脳の意識が繋がってる」かのようにそれらのダメ夫は同じことを妻に言ったり、やったりしてるんです。 例 20
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く