タグ

中東と高橋和夫に関するAmrakのブックマーク (24)

  • 『「渋さ」を見せるオマーン外交(1)』

    評価される地域関係での立ち位置 3月下旬にオマーンを訪れた。アラビア半島の東南端の国である。この国は、ホルムズ海峡をはさんでイランと向かい合っている。日が8割以上を依存するペルシア湾岸産の原油は、このホルムズ海峡を通る。日にとっては、重要な国である。 その首都マスカットで驚かされた。観光客であふれていたのだ。ヨーロッパから客船が次々と入り、街路は訪問客で埋め尽くされていた。ホテルも満室状態であった。この賑わいを、どう理解したら良いのだろうか。 人も風景も素晴らしいオマーンの魅力が、発見されつつあるばかりではない。治安の不安定さゆえに、伝統的に中東で最大の観光国であるトルコとエジプトが、敬遠されている。チュニジアやイスラエル・パレスチナもテロ対策に不安がある。となると安心して休暇を過ごせる国が中東では当に少なくなっている。治安が良い、テロの心配がないというのが、今オマーンの最大の魅力に

    『「渋さ」を見せるオマーン外交(1)』
  • 『日本にとって、いちばん危険な戦争』

    現在の中東ではいくつもの戦争が同時に戦われている。いわゆる「イスラム国」と各国の戦争、トルコとクルド人の戦争、リビア人とリビア人の内戦、そしてイエメンでの戦争である。その中で比較的に注目度が低いのが、イエメンでの戦争だろうか。ヨーロッパから遠く、難民が押し寄せる心配がないからだろうか、欧米や日のメディアは、この問題に関して多くを語らない。 この戦争は、イエメン人同士が戦っている内戦である。しかし、同時にサウジアラビアなどが介入しており、単なる内戦ではない。いずれにしろアラブ世界の最貧国であるイエメンを豊かな産油諸国が爆撃している。その混乱の中でアルカーイダ系の組織が増殖している。もともと貧しかったイメメンの民衆の生活はさらに悪くなった。戦火の中で多くの人々が苦しんでいる。国際機関の援助も滞りがちである。シリアの情勢にも比べられる程の地獄絵ではないだろうか。 この地獄絵の背景となった「アラ

    『日本にとって、いちばん危険な戦争』
  • 『宗教戦争!?今度はサウジvsイラン-背景にあるのは「人権問題」(1)』

    中東の大国サウジアラビアとイランの関係が悪化していると聞きます。どうしてこんなことになったのでしょうか。 今年1月、サウジアラビア政府は、同国のシーア派の指導者のニムル師を処刑します。これに対して世界各地のシーア派が反発しました。とくにシーア派の大国イランでは、同国にあるサウジアラビアの大使館が焼き討ちにあいました。これを受けるかたちでサウジアラビアはイランとの外交関係の断絶を発表したのです。サウジアラビアの近隣諸国の一部も大使を召還するなどイランとの外交関係を格下げにしました。 一見するとサウジアラビアの国内問題に過ぎないような問題が、たちまちサウジアラビアによるイランとの国交断絶にまで至りました。なぜでしょうか。 その背景には、それまでの両国間の対立があります。まず、理解しておかねばならないのはイランがペルシア人の国であり、アラブ人ではないという事実です。サウジアラビアは、「アラビア」

    『宗教戦争!?今度はサウジvsイラン-背景にあるのは「人権問題」(1)』
  • 『ロシアとトルコ 撃墜事件でよみがえる500年来の対立の歴史』

    11月24日に起きたトルコによるロシア機撃墜は、両国の深刻な対立を招きました。「領空侵犯」をめぐる双方の言い分はい違っていますが、ロシア側は外相のトルコ訪問を中止したり、トルコに対する経済制裁を決定したりしています。しかし、トルコとロシアの対立の歴史は今に始まったことではありません。15世紀以降の「帝国」時代から第二次大戦後の現代にいたるまでの両国の歴史を、放送大学教授の高橋和夫氏に振り返ってもらいました。 15世紀以降で17回の戦争 11月末にトルコとシリアの国境付近でトルコ空軍機がロシア軍機を撃墜しました。撃墜されたロシア軍機のパイロット二人はパラシュートで脱出しました。一人は無事に救助されましたが、他の一人は地上からの銃撃で死亡しました。一方でトルコはロシア機が領空を侵犯したので警告を与えた後に撃墜したと主張し、他方ロシアは領空の侵犯はしていない。また警告もなかったとしています。こ

    『ロシアとトルコ 撃墜事件でよみがえる500年来の対立の歴史』
  • 『歴史的なイラン核合意と中東の今後(1)』

    アメリカとイランの協力が進む一方でイスラエルの孤立が浮き彫りに~ イランと諸大国が7月14日に合意した、イランの核開発をめぐる包括的な協定は歴史的な意義を持っている。なぜ歴史的なのだろうか。また、この合意によって中東を中心とする国際情勢は、どう変わるのだろうか。 論に入る前に、合意の内容に簡単に触れておきたい。まずイランは保有する濃縮ウランの量の削減、ウラン濃縮活動の制限、核関連施設への厳しい査察の受け入れなどを承諾した。こうした条件が10年以上にわたってイランに科される。これらが履行されれば、短期間でイランが秘密裏に核兵器を製造することはできなくなる。逆に大国側はイランにこれまで科してきたさまざまな経済制裁を解除する。 イランと交渉した諸大国は6カ国である。国際連合の安保理の常任理事国の5カ国とドイツである。アメリカ、イギリス、フランス、ロシア中国の常任理事国5カ国を英語でパーマ

    『歴史的なイラン核合意と中東の今後(1)』
  • 『戦後70年日本が中東イスラム世界で積み上げてきたもの(3)』

    ●難民キャンプにて 日は中東で植民地を持った経験がないばかりか、ヨーロッパの植民地支配が残した重い後遺症への対処にも貢献してきた。この後遺症の一つがパレスチナ問題である。 この問題の起源は19世紀末にある。ヨーロッパで迫害を受けたユダヤ人たちがパレスチナへ移民を始めた。そして先住のパレスチナ人との争いが起こった。1948年のイスラエルの成立と前後し70万人ともされるパレスチナ人が故郷を追われて難民となった。それから67年の時間が経過したが、故郷に戻った難民は一人もいない。難民の子孫を含め数百万人が難民キャンプでの生活を迫られている。 このパレスチナ難民支援のために日は1970年代から多額の支援を行ってきた。イスラエル占領下のガザ地区やヨルダン川西岸地区はもちろんのこと、隣国ヨルダンの難民キャンプにも支援を行ってきた。ヨルダンの首都アンマンの周辺の難民キャンプには日の支援で建設された学

    『戦後70年日本が中東イスラム世界で積み上げてきたもの(3)』
  • 『戦後70年日本が中東イスラム世界で積み上げてきたもの(2)』

    ●善意のインフラ 日の中東における貢献で、目立たないものもある。それは社会・経済インフラ(基盤)整備である。まさに縁の下の力持ち的な貢献である。たとえば、イランの通信インフラを建設したのは日企業である。これは革命以前の王制の時代であった。また隣国のイラクでも、サダム・フセインの時代に日企業が同国のインフラ整備で活躍した。1970年代、サダム・フセインという政治家が独裁者への道を歩み始めたのと呼応するかのように石油価格が上昇した。急増した石油収入の多くをインフラ整備に投入してサダム・フセインは国民の支持を集めた。道路、病院、発電所、大学、博物館などが建設された。フセインの時代にイラクは一変した。 松清張が1960年代に発表した小説に『砂漠の塩』がある。71年には『愛と死の砂漠』というタイトルでテレビ化されている。許されぬ仲になった日人のカップルがイラクへ旅し、一人が病に倒れるという

    『戦後70年日本が中東イスラム世界で積み上げてきたもの(2)』
  • 『戦後70年日本が中東イスラム世界で積み上げてきたもの(1)』

    ●中東の地球儀 外国の地球儀で日を見ると面白い。その国の人に、どう日が見えているかがわかるからだ。たとえば上海で買った地球儀では日人が尖閣諸島と呼ぶ島が中国風に釣魚島と記されている。それは予想されることだ。予想外なのは、島が異常に大きなサイズに描かれている点だ。沖縄や台湾並みである。もちろん、これは装飾用の地球儀で地理的な正確さを目的とはしていない。しかし、制作した中国人には、この問題が、これほど大きく見えているのかと考えさせられた。 もう一つ例をあげよう。イラクとイスラエルに挟まれた王国であるヨルダンの土産物店で地球儀を見たことがある。日を見ると、四つの都市が記されている。東京、大阪、広島、長崎である。広島と長崎の悲劇は中東でも知れ渡っており、都市の大きさにかかわりなく地球儀に広島と長崎が描かれているのだろう。原爆の被害という悲劇を乗り越えて日が復興し発展した事実も良く知られて

    『戦後70年日本が中東イスラム世界で積み上げてきたもの(1)』
  • 『核合意への道― イラン・アメリカ関係の軌跡』

    ※2015年10月23日に行われた、独立行政法人経済産業研究所BBLセミナーの議事録です。 スピーカー: 高橋 和夫 (放送大学教授) モデレータ: 岡田 江平 (経済産業省貿易経済協力局通商金融・経済協力課長(併)戦略輸出室長) イランという国 なぜ、中東のイスラムの国であるイランが核開発をしたり、米国に逆らって外交を展開したりするのか。一体、イランは何を考えてやっているのか、というお話をしたいと思います。イランという国は、地理的に大きな国で、国土面積は日の数倍もあります。米国でいえば、おそらく東海岸からミシシッピ川辺りまでありますから、イラン人は自分たちが大国であるという意識を強烈に持っています。 たとえば、イランの地図を欧州に移してみると、1国でドイツからギリシャまで届いてしまうような広さがあるわけです。大国である自分たちが国際政治で発言権を持つべきだと思うのは、イランの図体の大き

    『核合意への道― イラン・アメリカ関係の軌跡』
  • 『イラン核合意を批判 イスラエルはイランを攻撃するのか?』

    イランの核開発に関して同国と6大国の間で14日に合意が成立しました。6大国とは国連安保理の5常任理事国とドイツです。イランは、その核開発に関して軍事転用の疑いを払しょくするような厳しい査察などの条件を受け入れました。代わりに大国側はイランに科していた経済制裁を撤廃します。この合意によって、この問題をめぐる軍事衝突の可能性が劇的に低下しました。少なくとも合意の当事国であるアメリカがイランを攻撃するシナリオは、当分の間は消えたといえます。 イランが原子力開発能力を持つことに反対 国際社会の大半は合意を歓迎しています。その例外はイスラエルです。イスラエルは、イランが平和利用にしろ原子力開発の能力を保持すること自体に反対しています。イランは信用できない。いつの日か核兵器を製造するようになるだろうと懸念しているわけです。 しかし核不拡散条約では、締結国は核の平和的な利用を認められています。イランに、

    『イラン核合意を批判 イスラエルはイランを攻撃するのか?』
  • 『アリ・ハメネイとは誰か?(2)』

    イランのハメネイ最高指導者に関するアクバル・ガンジの評論によれば、革命以前のハメネイは、様々な思想的な潮流に触れている。 1953年にCIAなどが仕組んだクーデターで、民主的に選ばれたモサデク政権が倒されシャー(国王)の独裁が始まった。シャーはCIAやイスラエルの諜報機関モサドの支援を受けながらサヴァックと呼ばれる秘密警察を育成した。アメリカがサヴァックに関して援助をしたのは、共産主義者を一掃するためであった。シャーは、サヴァックを使って共産主義者を含む全ての反対派を一掃した。シャーの監獄は多様な反対派で満ちた。 実は、この監獄が多くの反政府活動家にとっては学びの場となった。「牢獄は革命の学校」という言葉がある。思想的な背景のない囚人は、ここで革命思想に染まる場合が多い。既に、ある種の思想的な背景を持っている囚人の場合は、ここで他の思想の潮流に触れる。興味を持って勉強をし始めると、監獄は他

    『アリ・ハメネイとは誰か?(2)』
  • 『2015上半期 ここだけは押さえたい-石油をめぐる民主主義出番はいつ?(2)』

    諸大国の側にも、それぞれのお家の事情がある。とくにアメリカの議会にはイスラエルの影響力が強い。とりわけ共和党には、である。イスラエルはイランを脅威とみなしており、同国のウラン濃縮施設そのものの解体を主張している。そして、2014年11月初めの中間選挙では、共和党がアメリカの上下両院で過半数を押さえた。共和党が支配するアメリカ議会はイランへの経済制裁への撤廃に反対するだろう。そればかりか、新たな制裁法案を可決する可能性すらある。議会の動きがオバマ政権の対イラン交渉の手を縛る役割を果たしそうある。 アメリカのジョー・バイデン副大統領が14年12月初旬にイランとの包括的な合意の可能性は50%以下と述べたのは、こうしたきびしい状況を踏まえてであろう。 イラクとシリアで勢力を伸ばした「イスラム国」に対抗し、イラクの中央政権を支持するという面では、イランとアメリカは同じ側に立っている。イランは、イスラ

    『2015上半期 ここだけは押さえたい-石油をめぐる民主主義出番はいつ?(2)』
    Amrak
    Amrak 2014/12/30
    “交渉の延長は、経済制裁の続行を意味している。最近の石油価格の下落とあいまって経済制裁の続行は、産油国のイラン経済には大きな打撃となるだろう”
  • 『24日が交渉期限「イラン核協議」の行方はどうなる?』

    国連安保理の5常任理事国にドイツを加えた「P5+1」と呼ばれる諸国とイランとの間での同国の核開発をめぐる交渉が大詰めに入っています。この交渉には11月24日という期限が設定されています。この期限を前に18日にオーストリアの首都ウィーンで最終的な話し合いが始まりました。 遠心分離装置の数など大きい隔たり イランの核開発に関しては、同国は平和利用のためであるとしています。しかしアメリカやEU(欧州連合諸国)は軍事転用を疑いイランに対する経済制裁を実施してきました。 2013年にイランでロウハニ新大統領が誕生すると、同国はP5+1との積極的な対話路線へと方向を転換しました。そして同年末に暫定的な合意が成立しました。この合意に基づいてイランは保有する濃縮ウランを核兵器に転用しにくくするなどの措置を取りました。引き換えに諸大国は経済制裁の一部解除などで応じました。そして半年後の最終的な合意を目指して

    『24日が交渉期限「イラン核協議」の行方はどうなる?』
  • 『大統領と大女優二人のパースキ(1)』

    9月初旬イスラエルの前大統領で元首相のシモン・ペレスが、ローマ法王フランシスコとの会談で「宗教の国連」の創設を提案して注目を浴びた。ローマ法王庁によれば、宗教対立などの問題を対処する「国連形式の組織」をペレスが提案した。この提案が実現するかどうかは不明だ。 そもそも、こうした組織が望ましいのかも疑わしい。というのは、一つには、こうした宗教間の対話組織はすでに存在するからだ。また、イランのモハマド・ハタミ元大統領が在職中に「文明の衝突」ではなく「文明間の対話」を訴え、国連総会が2001年を「文明間の対話の年」と宣言している。にもかかわらず、世界では紛争がつづいている。 もっと重要な点は、宗教紛争とされる世界の多くの問題は、宗教をめぐっての争いではない。パレスチナ問題がその最たる例である。だれもユダヤ教が正しいとか、イスラム教が正しいとか言い争っているのではない。問題は土地争いである。宗教を強

    『大統領と大女優二人のパースキ(1)』
  • 溶解始まる中東の秩序140825.pdf

  • 『アメリカのイラク北部爆撃とクルドの独立願望』

    朝日新聞のWEBRONZAに8月20日に掲載された解説です。ただ全文は、朝日新聞との関係上、高橋のブログにはアップできません。 ---------------------------------- 8月に入ってアメリカ軍がイラク北部への空爆を開始した。作戦は現在も続行されている。 目標は、イラク北部のIS(イスラム国)の部隊である。ISは、ISIS(イラクとシリアのイスラム国)として知られていた組織である。6月にイラク北部の大都市モスルを制圧するなど急激にシリアとイラクで支配地域を拡大させた。7月には、その指導者のアブ―バクル・バグダーディをカリフ(イスラムの預言者ムハンマドの後継者)に指名してイスラム国の樹立を宣言した。 モスルなどが簡単に陥落したのは、ひとつにはイラク軍の指揮が乱れており、兵に戦う意志がなかったからだ。イラクのマリキ前首相は、2011年にアメリカ軍がイラクから撤退した後

    『アメリカのイラク北部爆撃とクルドの独立願望』
  • 『イスラエルのガザ攻撃は「戦争犯罪」ではないのか?』

    6月に始まったイスラエルのガザ攻撃によってパレスチナ人約2000名が死亡しました。その内の多くは女性であり子どもです。つまり非戦闘員です。また負傷者も1万名に達しています。しかもガザに生活する180万人の内の4分の1が住居を破壊されて難民化しています。その上、人々の生活を支える発電所、病院、学校、モスク、海水淡水化工場なども被害を受けています。 国連事務総長「受け入れがたい」 戦争時における非戦闘員の保護などを決めた1949年のジュネーブ条約に違反している疑いが濃厚です。イスラエルに抵抗するガザの武装勢力が人口密集地に軍事拠点を設置してロケットを発射するなど民間人を人質としているという実態は一部には存在します。しかし、非戦闘員の被害の大きさに照らして判断すると、イスラエルの攻撃は、バランスを欠いており、戦争犯罪を構成する意見が強いのです。イスラエルでの民間人の死者3人に対しガザでの2千名の

    『イスラエルのガザ攻撃は「戦争犯罪」ではないのか?』
  • 『米国が「イスラム国」空爆 イラクで何が起こっているのか?』

    8日にアメリカ軍がイラク北部で「イスラム国」(IS)の部隊を爆撃しました。2011年にイラクから撤退したアメリカ軍が、空軍力の行使のみとはいえ、再び直接に軍事介入を行ったわけです。イラクに戻ってきたわけです。 モスル制圧時はクルド人地域に侵入せず イスラム国は、それまでISIS(イラクとシリアのイスラム国)という名称の下で活動していたスンニ派の急進派が、7月にイラク北部の大都市モスルで成立を宣言した国家です。その指導者はアブ―バクル・バグダーディでイスラムの預言者ムハンマドのカリフ(正統な後継者)であると自称し、全ムスリムに自らに従うように呼びかけています。 この勢力は、6月に数日にしてイラク西北部の広い地域を制圧しました。シーア派のマリキ首相の率いるバグダッドの「中央」政府に対する不満を高めていたスンニ派の様々な勢力の協力が、この成功の背景にありました。 このイスラム国の軍事部門は、一時

    『米国が「イスラム国」空爆 イラクで何が起こっているのか?』
  • パレスチナの人口動態(ぱれすちなのじんこうどうたい)とは? 意味や使い方 - コトバンク

    パレスチナ(イスラエルおよびガザ地区、ヨルダン川西岸地区)には約530万人のユダヤ人と約550万人のパレスチナ人が生活している。ユダヤ人はすべてイスラエル人である。パレスチナ人のうち約170万人がイスラエル市民である。残りの約380万人がガザ地区とヨルダン川西岸地区に生活している。パレスチナ全体でみればすでにパレスチナ人の数が上回っており、しかもユダヤ人女性の出生率が2.7人であるのに対し、パレスチナ人女性は4.6人で、ユダヤ人の比率は構造的な低下傾向にある。ガザ撤退も西岸での分離壁建設も、パレスチナ人をイスラエルの支配地域から切り離そうとの試みである。イスラエルの政策を人口動態が動かしている。 (高橋和夫 放送大学助教授 / 2007年)

    パレスチナの人口動態(ぱれすちなのじんこうどうたい)とは? 意味や使い方 - コトバンク
  • 『スンニ派過激派が「イスラム国」樹立 狙いと今後の影響は?』

    6月末にISIS(イラクとシリアのイスラム国家)という組織が、「イスラム国家(IS)」の樹立を宣言し、その指導者のアブ―バクル・アルバグダーディを「カリフ」に選びました。 支配地域はシリア西部からイラク北西部 そもそもイラクで活動していたISISという組織は、その活動範囲をシリアにも広げ力をつけてきました。当初はアルカーイダの系統とされていました。だが、処刑場面をネットで公開するなどの手法を批判してアルカーイダは、ISISを破門した形になっています。 そのISISが6月にイラク北部で攻勢に出ました。シーア派のマリキ首相の政権に不満なスンニー派部族やフセイン時代の支配政党であった旧バース党の残党などの協力を得て、イラク第二の都市モスルを含む北西部の大半を電撃的に制圧しました。この勝利を受けての前述のイスラム国の樹立でありカリフの選出でした。 その支配地域はシリアの西部からイラクの北西部に広が

    『スンニ派過激派が「イスラム国」樹立 狙いと今後の影響は?』