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細野晴臣に関するAnnatto60のブックマーク (4)

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    Annatto60
    Annatto60 2016/05/23
    "NHK BSプレミアム「細野晴臣 A NIGHT in CHINATOWN」放送決定!" *BSは観れないから、しばらくしたら地上波でも頼むよ。
  • 細野晴臣が40年ぶりに中華街でライブを開催! - サンレコ 〜音楽制作と音響のすべてを届けるメディア

    國崎晋(サウンド&レコーディング・マガジン編集部) 1976年5月8日、横浜中華街の名店、同發新館において、細野晴臣は“ハリー細野& TIN PAN ALLEY IN CHINATOWN”と題したコンベンション・ライブを行った。同年4月に発売したシングル「北京ダック」と6月からスタートする“パラダイス・ツアー”のプロモーションを目的に開催されたもので、メディアやディーラー、そして谷川俊太郎や加藤和彦といったオピニオン・リーダーを招き、中華料理のフルコースをふるまいつつ演奏を披露するという豪華な企画であった。 演奏メンバーは、鈴木茂(g、banjo)、林立夫(ds)、矢野顕子(a.p、cho)、坂龍一(e.p)、田中章弘(b)、浜口茂外也(perc、fl)、村岡建(sax)、羽鳥幸次(tp)、新井英治(tb)というこれまた豪華な面々(ちなみに坂龍一と矢野顕子はこのときが初共演だった)。そ

    細野晴臣が40年ぶりに中華街でライブを開催! - サンレコ 〜音楽制作と音響のすべてを届けるメディア
    Annatto60
    Annatto60 2016/05/14
    わ〜、撮るか、録るかしてないのか? せめて録っててくれないか。そして、公開もしくは発売してくれないか。
  • 鈴木茂のギターで記念碑的な名曲となった、はっぴいえんど「12月の雨の日」

    「12月の雨の日」は作詞・松隆、作曲・大瀧詠一、その後の日音楽シーンに一時代を築いていく二人の表現者が、まだ20歳を過ぎたばかりの若かりし頃、出会い頭に誕生した名曲である。 ファースト・アルバム『はっぴいえんど』のB面2曲目に収録されて1970年8月5日に発表されたが、バンドにとっては記念碑的な作品となった。 師走の慌ただしい都会の風景から半歩引いて、モノクロームのような感じで描くスケッチは、セカンド・アルバム『風街ろまん』にもつながっている。 細野と松が参加していたロック・バンドのエイプリル・フールが、アルバムのリリースと同時に解散したのは1969年の9月である。 そこに大滝詠一が加わって「ばれんたいん・ぶるう」となり、すぐに原曲となる「雨上がり」が生まれた。 高校生ながらギターの腕前が評判だった鈴木茂に、細野から電話がかかってきたは10月に入ったある日のことだ。 その頃、細野晴

    鈴木茂のギターで記念碑的な名曲となった、はっぴいえんど「12月の雨の日」
  • 細野晴臣と鈴木惣一朗が語り合う、『録音術』のツボ「『できちゃったものは仕方ない』というのが、僕のやり方」

    細野晴臣と鈴木惣一朗が語り合う、『録音術』のツボ「『できちゃったものは仕方ない』というのが、僕のやり方」 鈴木惣一朗著『細野晴臣 録音術』(DU BOOKS)は、間違いなく労作だ。だが同時に、もしこれを音楽の録音に興味がある人が読む専門書とするならば、これほど不思議な一冊もなかなかないだろう。 “録音術”と書いてあれば、たいていの読者は「あのとき、あのアルバムでこういう機材でこんな作業を行った」という類の実証的な証言や資料を期待する。もちろん、そうした作業面、資料面でのリサーチも行われてはいるのだが、書がより明確に焦点を当てているのは、細野とのレコーディングに付き合ったレコーディング・エンジニアその人たちがどんな出自で、どんな性格で、そのとき何を考えながら仕事をしていたのかを探るというもの。1972年の『HOSONO HOUSE』に始まり、2013年の『Heavenly Music』に至

    細野晴臣と鈴木惣一朗が語り合う、『録音術』のツボ「『できちゃったものは仕方ない』というのが、僕のやり方」
    Annatto60
    Annatto60 2016/03/22
    うどんこぷっぷのすけ
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