コミュニケーションが生まれるツイートまとめツール
オッカム @oxomckoe 僕が初めて内地に上陸したのは、高校の修学旅行で青函トンネルで青森を通った時。衝撃だった。日本昔話で見たような風景。こんなに違うのかと思った。その後、さらに東京や京都に行ったのだけれど、僕は「青森と京都の違いは誤差だな。どっちも完全に日本だな」と思った。これが異邦人の視点なんだな。 2016-01-08 01:45:32 オッカム @oxomckoe 僕は高校時代、古文・漢文が最強得意科目でセンター試験模試も本試験でも失点してことがない。国文科に進学しようと思ってた。『伊勢物語』読んで恍惚として。でもどうも自分は古典文学を根本的に分かってなかったと修学旅行で気づいたんだな。季節とか花とか。僕の人生にはいつも文化が立ちはだかる。 2016-01-08 01:54:34
S.Shiiku @shinshukeshiiku 変な話、うちの家系はアイヌの中でもかなり有名所の名字を持つ家系なんだが、俺だって自分が育った地域以外のアイヌのコミュニティに入って行くのは大変なんだから。 S.Shiiku @shinshukeshiiku 極端な話「お前はどの誰だ?」からだからね、それに対してキチンとした説明出来なかったり、ちょっとでも変だな?と思われたら終わり。もうそこには入れないと思った方がいい。 S.Shiiku @shinshukeshiiku 「どこの誰?」と言う質問に対し「どこそこの○○です」だけで済むかと言えば大間違い!、「自分は▽▽の△△の子孫の○○です、××は自分の□□で、今は◇◇で(以下略)」と長い自己紹介をしなくてはならない、その上で一族親戚に関する質問にも答えられなければならないので成り済ましは無理
タイトルに尽きますが,一応。こうやって考えていくと、アイヌ民族の定義があいまいなまま、政策的資源をここに無理矢理投入しようとすることがやはり混乱の原因だと思えてなりません。長い歴史の間でアイヌとそれ以外の人々の混血が進み、いま先祖代々純粋アイヌという方は数少ないはずです。茅葺きのチセで漁労採集生活を送っている人もいまはいません。アイヌ文化の担い手は、本当にアイヌ民族なのか?: 札幌市議会 金子やすゆき ホームページ つまり金子やすゆき札幌市議は現在も日常的にフンドシを着用して和服を着て電気も水道もない木造家屋に暮らしていらっしゃるわけなんですね! まさかアスファルトで舗装された道を自動車を使って移動したり電車に乗ったりスーツなどの洋服を着用していたり洋間のある住宅に住んでなんかいませんよね!*1 この辺のことは,過去に書いたので引用して済ませたい。 (……)日本人が洋服を着てiPodを使っ
面積の90%が山林という、平成17年に士別市と合併した朝日町地区で、『朝日の山野草を食す』という公民館講座が開催されるというので、どんな風に下ごしらえをするのか見に行ってきました。 地元の山は、宝の山 ソウルフード、笹寿司を去年ごちそうになった朝日町地区の人たちは、自然と山に親しんで暮らしてきました。山菜を山で採取し味わうことも地域の大切な文化。人口が少なくなる中、この文化を次の世代に引き継ごうと「知恵の蔵運営委員会」の人たちが中心になって開催されたこの講座。試食用に準備されたのは、なんと17種類の山野草を使用した料理です! 書かないと調理している方もわからなくなるほどの種類の多さ!! この表を見て思わず、「改めて見ると、山にはこんなに食べられるものがあるんだねえ~。すごいねえ!」という声が上がります。地元の人たちにとっても、毎年食べる山野草の定番はフキ、ウド、アイヌネギといったところなの
ラッコがいつ日本の史料に出てくるのか。一つの問題は「独◻︎(けものへんに干)」をどう判断するか、ということである。アザラシ説、北方の犬説、ラッコ説がある。アザラシ説は「独◻︎」が「水豹」と並べて記されており、しかも「水豹」に「アザラシ」と訓が振ってあることを考えれば成り立たず、また北方の犬もそれが貴重なものであるとは考えられないことから、若月義小氏はラッコと考える。ただそれをラッコと考える積極的な論拠もないところから、通説では「安藤陸奥守宛室町殿御内書」をラッコの確実な初出としているようである。 もし8~9世紀の「独◻︎」がラッコであるとすれば、当時ラッコの生息域に分布していたオホーツク文化の荷負集団から擦文文化の荷負集団を通じて入手していたのだろうと考えられる。ということは、オホーツク文化の変動、オホーツク文化と擦文文化との関係の変動、擦文文化と日本との関係の変動のいずれかが起こればラッ
ミントゥチ(mintuci)またはミントゥチカムイ(mintuci kamuy)は、アイヌに伝わる水棲の半人半獣の霊的存在。河童に類する妖怪ともいわれる。 名称[編集] ミントゥチ(mintuci)が、現在つかわれるアイヌ語表記であるが[1][2][注 1]、ミンツチというカナ表記も日本語で書かれた文献などにみられる[2][3][注 2]。 語釈[編集] ミントゥチは、湖または川に棲むという半人半獣の架空の動物、または霊的存在で[11][12][13]、水の精霊(コシンプク、コシンプ)の一種と考えられていた[10] 。また(日本本土の)河童と同類の妖怪ともされているが[14]、かりにそうであってもアイヌ特有の伝承が盛り込まれている[15]。 語源[編集] ミントゥチというアイヌ語は、いわば日本語からの外来語で、本土(東北地方)の伝承で河童を意味する「ミヅチ」系の名称が借用されたものと考えら
2012年04月17日07:00 この場所どこか分かる?1960年代の写真だけど Tweet 1:名無し募集中。。。:2012/04/15(日) 19:26:00.16 ID:0 2: 名無し募集中。。。:2012/04/15(日) 19:32:06.19 ID:0 熱海かな 3: 名無し募集中。。。:2012/04/15(日) 19:32:18.51 ID:0 1962年の千歳(北海道) http://www.flickr.com/photos/29366079@N00/2214974602/ 5: 名無し募集中。。。:2012/04/15(日) 19:34:25.77 ID:0 >>3 すげえ ありがと 4: 名無し募集中。。。:2012/04/15(日) 19:34:15.93 ID:0 ここが出典のようだね http://asachitose.com/ChHokPhotoindex
高度な近世アイヌ農耕 遺跡から畝や鉄製農具 2008年01月22日10時28分 ヒグマ狩りやサケ漁などのイメージから、「狩猟・漁労の民」と見られることが多いアイヌの人々。そんな彼らが、近世以前にかなり高いレベルで農耕を営んでいたことが最近の研究で明らかになってきた。江戸時代の文献などに「畝(うね)も作らず、放置したままの粗雑な農業」と記された姿は、実は現地を支配していた松前藩などによって抑圧された結果である可能性が高いという。 研究をまとめたのは、北海道開拓記念館の山田悟郎・学芸部長。 サケや昆布を採り、それらを交易することで、米や漆器、刀、鉄鍋などを手に入れる――。私たちが考えているような、いわゆる「アイヌ文化」は、13世紀末(鎌倉時代後期)に生まれたと考えられている。 母体となったのは、ほぼ同じ地域に広がっていた「擦文(さつもん)文化」(7〜13世紀)だ。表面にハケ目のある土器を使うの
こないだ,このようなエントリを書きました。 チェロキーとアイヌとの不適切な比較について――誰が「民族」を認定すべきか? - Danas je lep dan. でまあ,それに対する反応をいただいたわけですが……うん,まあ予想通りの展開だな,としか。アイヌの子孫と証明された人だけに税金を使うべき。と書いたら差別者扱い。利権擁護もたいがいにしろよ、って感じ→チェロキーとアイヌとの不適切な比較について 誰が「民族」を認定すべきか?:Danas je lep dan. http://goo.gl/ICmchttp://twitter.com/miro_cherry/status/22388689326 えー,俺がいつmiro_cherryさんを差別者扱いしたんでしょーか? ていうかいつ「利権を擁護」したんでしょーか? 教えてくださいな。まあmiro_cherryさんを「先住民族について無知なのに先
何度か『正論』にアイヌ民族を否定する文章を書いていた的場光昭とやらいう医者が,とうとうアイヌ否定論の本を出した。「アイヌ先住民族」その真実―疑問だらけの国会決議と歴史の捏造作者: 的場光昭出版社/メーカー: 展転社発売日: 2009/11メディア: 単行本クリック: 1回この商品を含むブログ (4件) を見る 今のところ,このような議論はさほど目立ったものではない――南京事件否定論やホロコースト否定論に比べれば。だがこれをこのまま放置しておいてもいいものでは決してない。 的場の主張は,小林よしのり,西村眞悟,鎌田告人といった否定論者たちの主張と連動している。実質,彼と小林がこの分野における最も影響力のあるイデオローグとみていいだろう。彼の主張がどれだけ馬鹿げたものであるかを示すことで,このような主張の拠って立つ基盤を破壊したいと考える。 当たり前だが,これは議論ではない。 (……)たとえ敵
札幌圏 新キャラクターのリンカちゃん、展示案内などで一役 豊平川さけ科学館 (09/08 14:15) 札幌市豊平川さけ科学館(南区真駒内公園)がこのほど、館内展示やホームページの案内役に新しい応援キャラクター「リンカちゃん」を登場させた。23日には同館が開催する「さっぽろサケフェスタ2009」で作者を招いた発表会を開く。 「リンカ」はサケの学名オンコリンカス・ケタから名付けられた。サケの稚魚の斑紋「パーマーク」柄のワンピースを着た少女で、耳、両手足首などを色鮮やかなイクラで飾っている。二頭身の「ミニリンカちゃん」にも変身する。 「子供に喜んでもらえるように、イクラまみれにするイメージを膨らませた」と、作者のまんが家かじさやかさん(45)=南区在住=。同館は、リンカちゃんに「長く活躍してもらいたい」と期待している。 同館は、かじさんの原画展を12日から30日まで1階ロビーで開く。23
0.0点 (0票) H大好き 2009年07月15日 06:10| コメントを読む( 42 )/書く| 人気記事 Tweet 815 :名無し :02/03/07 15:10 ID:Eb5rdIB8 あれは何年前になるかな。 中学校の修学旅行でオレたちは北海道へ行ったんだ。 二日目の金曜日のことだった。 風呂から出て部屋に戻るとみんなが何やら騒いでいた。 何事か、と聞くとホテルのロビーから調達してきたと思われる新聞を渡された。 「テレビ欄を見てみろ!」 言われるままにオレは見た。そこには! 1:40 H大好き 深夜に「H大好き」とは…… 北海道のテレビ局は大胆なことをするなあ。 リアル厨房のオレたちのテンションはイッキにあがった。 そして深夜。 先生たちの見回りをタヌキ寝入りでやり過ごした。 女子の訪問も適当にあしらった。 オレたちの邪魔をする者は誰もいない。 いよいよオレたちのボルテージ
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