タグ

2010年8月22日のブックマーク (4件)

  • そろそろ遺伝子組み換え食品を認めてはどうか? - A Successful Failure

    国内で入手可能な加工品の多くには「遺伝子組み換えでない」原材料を使っている事を明記されている場合が多い。国内ではロシア科学アカデミーのイリーナ・エルマコバ博士(Dr.Irina Ermakova)による遺伝子組み換え品の危険性への警鐘が大手マスコミで大々的に報道されるなど、遺伝子組み換え品が敬遠される傾向にあり、輸入量の8割を占める米国ではわざわざ日向け非遺伝子組み換え大豆を選別している。 入手が困難になる非遺伝子組み換え大豆 米国は遺伝子組み換え大豆を日向けに輸出しないのではなく、遺伝子組み換えでない大豆をわざわざ日向けに作って選別して日に輸出している。昨年の実績では米国で作られる大豆の実に9割が遺伝子組み換え大豆で、日は僅か9%しか無い非遺伝子組み換え大豆を割高な金額を払って買い付けているのである。 世界的な糧不足の中にあって、今後より一層、日以外に需要のない遺伝子

    そろそろ遺伝子組み換え食品を認めてはどうか? - A Successful Failure
  • 食品添加物の解説記事を機関誌に掲載する生協は「変節」したのか? - 食の安全情報blog

    とあるブログに、コープかながわが機関誌MIOに掲載した品添加物の解説記事についてヒドすぎるとしたエントリを掲載していました。(すでに、エントリは削除されています) 問題となった機関誌はインターネットで公開されているため、組合員ではなくても読むことができます。 コープかながわ機関誌 MIO 9月号 より 詳細はリンク先を読んでもらうとして、非常に分かりやすい品添加物の解説記事だと思います。ブログ主も記事の主張を次のように要約していました。 品添加物は、保存性を良くしたり、見た目を良くしたりするために必要。無添加は安全の代名詞と言われているが、むしろ使わないことで保存性が悪くなることもある。安全性評価は徹底的にやっています。一日の摂取量は、耳かき1杯くらいと微量なので、蓄積も複合作用もありえない。 ですが、この記事に対してブログ主は「添加物はバンバン使っている品でも気にするな」という主

  • TBSラジオ Dig「ホメオパシー問題から代替医療を考える」を聴いて - Not so open-minded that our brains drop out.

    TBSラジオのDigという番組の8月19日の放送で「ホメオパシー問題から代替医療を考える」というテーマが扱われた。パーソナリティは荻上チキ氏*1と外山惠理氏でゲストは医療ジャーナリストを自称する田辺功氏*2。阪大の菊池誠氏と民主党参院議員の櫻井充医師*3も電話出演した。その内容は今では番組のサイトからmp3形式でダウンロードできるようになっている*4。 冒頭で山口の訴訟を発端にした一連のホメオパシー報道が紹介されたこともあり、番組の内容はテーマ通りホメオパシーを社会的な「問題」として位置づけたものだった。専門家として呼ばれたであろう田辺氏の暴走にはいささか驚かされたが、パーソナリティの二人の適切なツッコミとフォローで番組の公正さは保たれていたように思う。 田辺氏のホメオパシーに対する不十分な認識と不公正な態度 田辺氏は番組の前半でホメオパシーの概略について説明を始めた。田辺氏は始め「一言で

  • ホメオパシーに科学的根拠はありません(キリッ - すべての夢のたび。

    そんなことを言ってなにかを言ったような気になっている、面白い「科学の人」がいたので、ちょっと書いてみようかなと思いました。 科学というものも実のところは、世界を説明することができるいくつか並立して存在する信念体系群のうちのひとつに過ぎません。しかし、そういう考え方をすることがどうしてもできない人たちがいるのですね。たしかに、そういう考え方ができるようになるためには、ちょっとしたコツが要ります。そしてそのコツは言葉では伝えることができない。ただ、なにかのきっかけで「あ、そうか」と分かるほかない。 たとえて言えばあの「回転する女性の人影」の錯視のようなものです。どうしても、どうしても時計回り(あるいは反時計回り)にしか見えず、これが反対に回って見えるだなんてウソとしか思えない。でも、ずっと見つめているうちに、ちょっと目を逸らした一瞬にパッと逆回りになったりして、あれ?ってなることが起きる。まぁ

    ホメオパシーに科学的根拠はありません(キリッ - すべての夢のたび。
    Asay
    Asay 2010/08/22
    とある批判に対して、言葉の使い方が極端だったり大袈裟に見えたりして、カチンと来ることは多い。それでも、批判批判は元の批判対象・論点に対して無理解のままされるべきではない。議論がふりだしに戻っちゃう。