「心から深くお詫びします」極めて異例の謝罪となった。85歳という高齢のローマ教皇フランシスコが、7月25日、カナダ西部のエドモントン郊外を訪れた。カナダ国内で最大級の寄宿学校があった跡地だ。集まった先住…
というツイートがありました。現在、このツイート主はいったん鍵をかけて、その後にツイート削除したのでそこまで拡散はされていないでしょうが、今回はこのツイートについての真偽の話でも。 ツイートのネタ元 まずこのツイート自体のネタ元ですが、杉森久英による小説『天皇の料理番』がでしょう。その後のツイート主のやり取りを見ると認めていますし。そして該当箇所は以下の通り。 (1946年)五月十一日の日曜日、世田谷区下馬の新生活集団内広場で「米よこせ区民大会」が開かれ、集まった労働組合員、太子堂町会有志、共産党機関紙「アカハタ」の人たち、ざっと千余名は、口々に食糧の不安を叫んだ。 (中略。共産党代議士野坂参三による訴え) 「この上は、天皇に直接会って、責任を問わねばならない。われわれの行く先は宮城である。」 (中略。皇宮警察の衛士に制止されたが、日曜で職員も少なく数の力でそのまま中まで押し入り、岩瀬事務官
風俗業・水商売は大好物だけど誰よりも下に見てるってとこが、自民党とJCの共通点よな。
東京都の小池百合子知事は9日の定例記者会見で、9月1日に行われる関東大震災の朝鮮人犠牲者追悼式典(実行委員会主催)に追悼文を出すかどうか問われ、「昨年と同様、追悼文を出す予定はない」と明言しました。 これに先立つ8日、日本共産党都議団(曽根はじめ団長、18人)は、追悼文を送付するよう小池知事に申し入れました。 1923年の関東大震災では、混乱の中で「朝鮮人が暴動を起こした」などのデマが流され、軍隊や警察、自警団などによって多数の朝鮮人らが虐殺されました。73年に追悼碑が都議会全会派の賛同で墨田区横網町公園に設置されてから、追悼式典は毎年行われ、歴代知事が追悼文を送付していましたが、小池知事は就任翌年の2017年から送付を中止しています。 小池知事は会見で、追悼文を送付しない理由について、「毎年9月と3月に全ての犠牲者への哀悼を表明している」と述べました。 風化につながる 党都議団が批判 共
by Schwerdhoefer ドラマや映画の中の犯罪捜査で使われる「うそ発見器」は、実はアメリカの裁判では証拠として認められたことがないもの。心理学者や弁護士から「うそ発見器に信頼性はない」とされながらも、なぜ現代にまでうそ発見器の技術が発展しているのか、「本当はどのくらいのうそを見抜けるのか?」ということで、IEEEスペクトラムがその歴史をひもといています。 A Brief History Of The Lie Detector - IEEE Spectrum https://spectrum.ieee.org/tech-history/heroic-failures/a-brief-history-of-the-lie-detector 皮膚電気活動、呼吸、心拍などを測定してうそをついているかどうかを判別するポリグラフはうそ発見器として有名ですが、もともとは心臓の異常を発見したり手
接待と聞くと、すぐに思い浮かべるのが「ノーパンしゃぶしゃぶ」です。別にフルチンでシャブ(覚せい剤)をダブルでキメるとか、そういうことではありません。食べるのは普通のしゃぶしゃぶなのですが、お肉を持ってくるウェイトレスさんがパンツ履いていないのです。うっかりパンツを履き忘れたとかそういうことではなくて、意図的にパンツを履いていないのです。そんなことをしたらお腹が冷えるじゃないかと思いますが、そういうことが問題ではありません。 パンツの線を見えないようにするため、着物の時やジーパンの時にパンツを履かないということもありますが、「ノーパンしゃぶしゃぶ」はそういう意味ではありません。「ノーパンしゃぶしゃぶ」に行って、ウェイトレスさんがジーパンを履いていたら、たぶん大蔵省官僚は激怒するでしょうし、MOF担の人たちは大慌てで「きみたち、何をしているんだ!ジーパンを脱ぎなさい!」とセクハラまがい……とい
ついに本性が…小池百合子が関東大震災朝鮮人犠牲者の追悼を拒否! 背後に朝鮮人虐殺を否定する在特会系ヘイト団体 小池百合子都知事が、9月1日に東京都墨田区の都立横網町公園で行われる関東大震災で虐殺された朝鮮人犠牲者への追悼メッセージを拒否したことが波紋を広げている。本サイトでは昨年の知事選の際から、小池氏とその側近の極右思想やヘイト団体との関係を指摘・批判してきたが、ここにきてその本性をモロにあらわしたということだろう。 1923年の関東大震災では、発生直後の混乱のなかで、「朝鮮人が暴動を起こした」「井戸に毒をいれた」「放火している」などのデマが広がり、警察や自警団など、日本人らによる大規模な朝鮮人の虐殺が行われた。震災戦災のメモリアルパークである横網町公園には、その悲劇を二度と繰りかえさぬよう願う朝鮮人犠牲者追悼碑が建てられており、日朝協会東京都連合会などでつくる実行委員会が主催する9月1
さる7月27日、蓮舫参議院議員が民進党代表を1年足らずで辞任する意向を表明した。彼女を追いつめた要因が一連の二重国籍騒動にあることは大方の察するところであろう。昨年9月の党代表選出後に蓮舫氏が「台湾籍離脱の手続きは済んだ」と記者会見で発表し、とうにほとぼりの冷めたはずであったこの問題が、あろうことか党内から攻撃の火の手が上がり、再燃した。口火を切ったのは今井雅人衆議院議員である。彼は7月9日にツイッター上で、東京都議選で民進党惨敗という結果を受け、その咎は蓮舫代表の二重国籍疑惑にあるとして、「自ら戸籍も見せて、ハッキリ説明することから始めなければいけない」などと述べ、蓮舫氏に戸籍の公開を要求した。 加計学園問題、稲田防衛相問題と、相次ぐマイナス材料を抱え込んだ安倍政権の支持率が下降線をたどる中で、巻き返しを図りたい民進党の党勢が後退している原因が、ひとえに蓮舫代表の二重国籍問題に帰するわけ
テロには屈しないという総理. その強い姿勢に感動する人がいるのかも知れない。 俺はそんな風には見えないが. 何年前か忘れた。大事なことだが. 自民党幹部の家が放火された。政府自民党幹部の家だ。 これは普通なら大事件だ.組織手な犯行ならテロだろう。 長崎市長が銃撃された. 暴力団が頭にきて殺害した.ホントにそんなことだろうか?言論弾圧のために圧力をかけている。 これってテロだろう. 政治的な信念で武力を行使しているのだから. 更に云えば、現在私立大学入試の季節であるが、朝日新聞元記者が講師を務める大学入試を脅迫した者がいる。 昨日、今日のニュースだ. これも実害がでたらテロだ. 日本国内でテロが起きている. その件で、絶対に許さない!とか、報復という言葉に近いニュアンスで絶対に償わせるという発言がなかった気がする。 少なくとも大学入試を脅迫するような輩に対して、断固として国の教育機関を脅すよ
既にご存知の方もおられることでしょうが、岡田靖内閣府経済社会研究所主任研究官が4月10日の晩にお亡くなりになられました。 twitter上で突然の訃報に触れ、頭が真っ白でいまだにその事実を受け止めることができないでいます。 今年の年明け頃に生死の境をさまよう病魔に襲われなさったこと、しかしながら、医師も驚くほどの奇跡的な回復を遂げご無事に職場復帰されたこと、については、mixiを通じて存じ上げておりました。 岡田先生とは残念ながら直接面と向かってお話をさせていただく機会を持つことはできませんでしたが、どういう経緯か、mixiや携帯メール等を通じて個人的なやりとりをさせていただいておりました。岡田先生が病院から一時退院なさった時には以下のようなメッセージを頂戴しました。 このさいだから「なんか川の向こうで是清とケインズやらフィッシャーが『まだ仕事終わってないから来るな』と叫んでいたので振り返
すでにtwitterでご存じの方もおられるかと思いますが,昨日(4月10日)夜にエコノミストの岡田靖さんが亡くなられました.1月半ばに入院されたものの,その後の回復は早く2月末には退院され,3月半ばには通常業務に復帰されていました.そのため,まさか突然このようなことになるとは考えていませんでした. 岡田さんは……びっくりするほど鋭く,あまりに(学問的に)潔癖で,呆れるほどに完全主義,そしてシャイな方だったため一般に名を知られることはなかった氏ですが,20年にわたって間違いなく日本の経済論壇のキーパーソンの一人でありつつけた方です.80年代の第一次翁岩田論争の頃から金融政策論争の影の主役として活躍され,90年代末にはまさにワンマンアーミーのような活躍でネットにおける経済論壇を確立し,近年もまた浜田宏一先生をサポートして金融政策論争の縁の下の力持ちとして活躍されていました.そして,大和証券・C
昭和恐慌研究会、『エコノミストミシュラン』などで常に私たちリフレ派の重鎮であった岡田靖さんがお亡くなりになりました。悲しいことです。2001年の暮れに、岩田規久男先生の『デフレの経済学』と野口旭さんと私の『構造改革論の誤解』のダブルの打ち上げの席で、初めて岡田さんにお会いしました。10年にも足らぬお付き合いでしたが、もちろん多くの勉強をさせていただきました。経済学は単なる学問ではない実践的なものである、ということも岡田さんから学んだことです。そして石橋湛山が「リフレ」という言葉を初めて日本に紹介し、そして岡田さんは「リフレ派」としてその言葉を受け継ぎ、90年代から今日まで、ネットの世界を中心にしてリフレ派を事実上形成した影の立役者です。岡田さんのような天才肌の人がリフレ派に多いことも私のようなものには大きな励みとそれ以上に頼りでもありました。半月ほど前にみんなと一緒に快気祝いをしたばかりな
デフレ問題に果敢に挑戦し、大きな影響と業績を上げてきたエコノミスト岡田靖さんが昨日、急逝されました。 謹んで哀悼の意を表し、ご冥福を心から、お祈り申し上げます。 岡田靖さんは、岩田規久男先生とともに1990年代末からいち早くデフレの問題に着目し、活発な議論を行ってきた、まさにデフレ克服のパイオニアでした。 現在、活躍している飯田泰之さんや矢野浩一さんのような若手経済学者も、デフレ問題について岡田さんの活躍があったからこそ、大きく踏み込んだとお伺いしています。 私は岡田靖さんとは、直接面識はありませんでしたが、イェール大学の浜田宏一先生から、岡田さんの功績についてはいろいろと、お伺いしておりました。 今年はじめに脳梗塞に倒れられた後も、回復され、これから浜田先生の新しい研究へのサポートを行うと言うことを、浜田先生がうれしそうに話していたことを、思い出します。そんな中、昨日、悲報が届きました。
東京都足立区内の区立中学校で、2年の学年主任の女性教諭(52)が、忘れ物をした生徒に「愚か者の誓い」として「私が愚かでした。もう忘れません」などと繰り返し書かせていたことが31日、明らかになった。教諭は「忘れ物をしてほしくないという思いで指導したが、行き過ぎた」と話しているという。 学校などによると、この教諭は宿題や提出物を忘れた生徒に、「私は、愚かにも(○○)を忘れました」という文章のかっこ内を埋めさせ、その下に「私が愚かでした。もう○○を忘れません」と7回書かせていた。さらに、何度も提出を忘れた場合は「○○未提出の愚か者」として名前を張り出していた。4年ほど前から行っていたという。 区教委の事情聴取に教諭は「『ばか者』という言葉より『愚か者』の方がソフトだと思ったが、配慮が欠けていた」と反省しているという。区教委は「しかるべき対応をとりたい」としている。
東京都足立区立第九中学校で、数学を担当する2年生の学年主任の女性教諭(52)が授業中、宿題などを忘れた生徒に、「愚か者の誓い」というプリントを渡し、「私が愚か者でした」などと何度も記入させていたことが分かった。 区教委によると、教諭は4年ほど前から、忘れ物をした生徒に「私は、愚かにも(○○○)を忘れました」と書かれたプリントの空欄を埋めさせたうえで、「私が愚かでした。もう○○○を忘れません」と7回書かせていた。さらに繰り返し忘れる生徒の名前を「○○○未提出の愚か者」として教室内に張り出していた。 10月30日、区教委に教諭の行動を問題視する匿名の手紙が届き、教諭に事情を聴いて発覚した。教諭は「忘れ物をしてほしくないと思って指導した。『ばか者』より『愚か者』という言葉の方がソフトだと思ってしまったが、配慮に欠けていた。反省している」と話しているという。 鈴木啓一校長は「熱心な教え方ではあるが
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く