ブックマーク / blog.tatsuru.com (73)

  • サコ先生のこと - 内田樹の研究室

    京都精華大学の学長(ということは私のボス)であるウスビ・サコ先生の『サコ学長、日を語る』というが朝日新聞出版から出た。頼まれて解説を書いた。以下に採録する。 サコ先生のことを思いつくままに書いていたら、依頼された字数の二倍以上になってしまいました。だから、「なれそめ」とかその他のエピソードは全部省略。日ではじめてアフリカ人・ムスリムの学長が誕生したことの教育史的意義についても、他の方がどこかできちんと書いてくれると思うので、それも割愛。「サコ先生はどうして日で大学の先生になる気になったのか?」という問いだけに絞って書きます。 僕はこれまで日で暮らす外国人とたくさん会ってきましたけれど、サコ先生ほどナチュラルに日語を話す人には会ったことがありません。大学教員の欧米人の中にはときどきば「意地でも日語を話さない」という人がいますから、ほんとうに例外的です。どうしてなんでしょう? も

    BUNTEN
    BUNTEN 2020/07/20
    内田樹先生によるサコ学長評、と見せかけて日本社会評なのかもしれない文章。▼うっかり『サコ学長、日本を語る』をポチってしまった。また黒崎のクエストがリストから落ちているのが悲しい。
  • コロナ後の世界 - 内田樹の研究室

    『月刊日』にロングインタビューが掲載された。「コロナ後の世界」について。 ■「独裁か、民主主義か」という歴史的分岐点 ―― 世界中がコロナ危機の対応に追われています。しかしたとえコロナが収束しても、もはや「元の世界」には戻らないと思います。内田さんはコロナ危機にどんな問題意識を持っていますか。 内田 新型コロナウイルス禍は、これからの世界のあり方を一変させると思います。「コロナ以前」と「コロナ以後」では世界の政治体制や経済体制は別のものになるでしょう。 最も危惧しているのは、「新型コロナウイルスが民主主義を殺すかもしれない」ということです。こういう危機に際しては民主国家よりも独裁国家の方が適切に対処できるのではないか・・・と人々が思い始めるリスクがある。今回は中国が都市閉鎖や「一夜城」的な病院建設や医療資源の集中という、民主国家ではまず実施できない政策を強権的に下して、結果的に感染の抑制

    BUNTEN
    BUNTEN 2020/04/23
    日本のコロナ対応の失敗の原因は「為政者が無能だったということに尽きます。」号泣。
  • 桜を見る会再論 - 内田樹の研究室

    もうこの話をするのにも飽き飽きしている。「桜を見る会」についての話である。 どうして「飽き飽き」しているかというと、ふつうの人間の受忍限度を超えて、この話が続いているからである。 続く理由は簡単で、ふつうは申し開きのできない証拠をつきつけられて「申し訳ありませんでした。私がやりました」として「犯人」が白状して、火曜サスペンス劇場が終わるところで、ぜんぜんドラマが終わらないからである。 でも、「私がやりました」と言わないというのは、ある意味では「合理的な」ふるまいなのである。 昔、東京地検に勤めていた友人から、推理ドラマはあれは嘘っぱちだという話を聴いたことがある。検察官に供述の矛盾を衝かれて、顔面蒼白となって、「もはやこれまで」と自白するのは「自分が知性的な人間である」ということにおのれの存在根拠を置いている人間だけだというのである。 「そんな人間は実はめったにいないんだよ。そんなのはね、

    BUNTEN
    BUNTEN 2020/02/02
    「自分の知性が健全に機能していないということを「切り札」にしている人間」が首相をやっている日本。大丈夫…じゃないよな。
  • 元号について - 内田樹の研究室

    朝日新聞から元号について取材を受けた。 私は西暦と元号の併用という「不便」に耐えるくらいのことはしても罰は当たるまいという立場である。 世の中には「話を簡単にすること」を端的に「よいこと」だと考える人が多いが、私はそれには与さない。 「簡単にするにはあまりに複雑な話」も世の中にはある。それについては「複雑なものは複雑なまま取り扱う」という技術が必要である。 以下は少し前の『GQ』に掲載したものである。少し加筆してある。 019年4月30日に平成が終わって、5月1日から新元号が始まることになる。となると、この年は平成31年生まれと新元号元年生まれが半々混在することになって、ややこしい。お役所の書類も、昭和があって平成があって、新元号もあって、西暦もあると、ますますもってややこしい。いまの時代、元号なんて必要なのか? というのがQで、以下が私の方からのA 元号を廃して、西暦に統一しようというよ

    BUNTEN
    BUNTEN 2019/01/03
    俺は元号を廃しろとまでは言わないが改元するのやめたら、とは言う、つか昭和の終わりに、このまま昭和を使い続けたらええやん、とか言っていたし、今も基本的に変わらない意見を持っている。
  • 福島原発事故 Nature誌から - (内田樹の研究室)

    9月3日のNature のEditorialに福島原発からの汚染水漏洩への日政府および東電の対応について、つよい不信感を表明する編集委員からのコメントが掲載された。 自然科学のジャーナルが一国の政府の政策についてここまできびしい言葉を連ねるのは例外的なことである。 東電と安倍政府がどれほど国際社会から信頼されていないか、私たちは知らされていない。 この『ネイチャー』の記事もこれまでの海外メディアの原発報道同様、日のマスメディアからはほぼ組織的に無視されている。 汚染水の漏洩で海洋汚染が今も進行しているとき、世界の科学者の知恵を結集して対応策を講ずべきときに、日政府は五輪招致と米軍のシリア攻撃への「理解をしめす」ことの方が優先順位の高い課題だと信じている。 五輪招致を成功させたければ、まず事故処理について日政府は最大限の努力をもって取り組んでいるということを国際社会に理解してもらうの

    BUNTEN
    BUNTEN 2013/09/07
    「政府の過去の対応と情報政策から判断する限り、日本政府も、東電と同じく、この状況を制御し、パブリックに対して情報を開示する能力がもうないのではないかという疑念を抱かせ」ているのが最大の問題だろう。
  • 最低賃金制の廃止について (内田樹の研究室)

    維新の会が選挙公約として「最低賃金制の廃止」を打ち出し、波紋を呼んでいる。 公約発表時点では、私の知る限りどの新聞もこの公約について主題的に検討しなかった。 無視したのである。 その後、ネット上で反対論が噴出して、それを承けてはじめて報道するに至った。 この問題についてのマスメディアの無関心と危機感の希薄さが気になる。 これまで繰り返し書いているとおり、現在日のエスタブリッシュメントは政官財メディアを挙げて「若年労働者の雇用条件の切り下げ」をめざしている。 その理由は何度も書いてきた。 「日中国化」である。 大飯原発再稼働のときの財界の主張をご記憶だろう。 日にはもう生産拠点を置き続けることはできない。 その理由として指摘されたのが、人件費が高い、法人税率が高い、公害規制がきびしい、電力料金をふくむ生産コストが高い、という点である。 ここで原発を止めて火力に切り替えるなら、もう

    BUNTEN
    BUNTEN 2012/12/01
    (ぼそ)日本が「高賃金」という話は現在の円高水準前提ってのは内田先生にも疑われてないよなぁ…。▼ここしばらくの財界トップの言動で、彼らがデフレ前提で奴隷を欲しがっているらしいことはわかった。:-p
  • いじめについての続き - 内田樹の研究室

    ある媒体で、「いじめ」についてコメントした。それは昨日のブログに書いた通り。 それについて追加質問が来たので、これも追記として書き留めておく。 Q: 学校という場は社会の雰囲気とは切り離されたものではなく、一定程度の影響を受けていると思います。現実に、リストラが激しくなる一方ですし、1分1秒ごとに自己成長を求められる息苦しい世界になりました。この状況にあって、学校だけを過度な競争社会から切り離してある種のユートピアにすることは可能なのか、それとも競争を是とする今の社会を根底から変えない限り、社会に蔓延するいじめ体質はなくならないのか。この点はどう思われるでしょうか。 A: 学校は来は苛烈な実社会から「子供を守る」ことを務とするものです。それは学校というものの歴史的発生から明らかだと思います。 ヨーロッパで近代の学校教育を担った主体のひとつは、イエズス会ですけれど、それは「親の暴力から子

    BUNTEN
    BUNTEN 2012/07/13
    「「やめなさい。それは人間として恥ずかしいふるまいだ」と言」った瞬間、いじめられるターゲットにされてしかも教師や警察を含めた誰からも見放される。だから俺にはそれを言う勇気はない。orz
  • いじめについて - 内田樹の研究室

    ある媒体から、大津市のいじめについてコメントを求められた。 書いたけれど長くなったので、たぶん半分くらいに切られてしまうだろう。 以下にオリジナルヴァージョンを録しておく。 今回の事件はさまざまな意味で学校教育の解体的危機の徴候だと思います。 それは学校と教育委員会が学校教育をコントロールできていないということではなく、「コントロールする」ということが自己目的化して、学校が「子供の市民的成熟を支援する」ための次世代育成のためのものだということをみんなが忘れているということです。 私の見るところ、「いじめ」というのは教育の失敗ではなく、むしろ教育の成果です。 子供たちがお互いの成長を相互に支援しあうというマインドをもつことを、学校教育はもう求めていません。むしろ、子供たちを競争させ、能力に応じて、格付けを行い、高い評点を得た子供には報償を与え、低い評点をつけられた子供には罰を与えるという「人

    BUNTEN
    BUNTEN 2012/07/12
    当たり前のことしか言っていないように見える。▼orz
  • 内田樹の研究室

    ローカリズム宣言 地方移住のための情報誌「TURNS」で2年間ほど連載していたインタビューを採録しました。グローバル資主義の終焉、少子高齢化による過疎化と限界集落化という現実を踏まえて、「地方移住・帰農・山河の回復」というオルタナティブについて提言をしております。 昨日うかがった話では、地方移住支援のためのある NPO の窓口を訪れた人は去年一年で 25,000 人、10 年前の 10 倍にのぼるそうです。半数以上が 20 代 30 代とのこと。 この趨勢はもう止まることがないでしょう。 デコ/2017-12-07 変調「日の古典」講義 安田登さんと二人であちこちで行った対談の集成。話題は『論語』から能楽まで多岐にわたります。安田さんが何か驚くべきことを言うとこちらも負けじとさらに驚くべきことを言い、安田さんがそのような挑発を受け流すはずもなく、さらに驚くべき話で切り返す・・・という悪

    BUNTEN
    BUNTEN 2012/06/08
    「「散らかっているものを全部押し入れに押し込む」ことを「部屋を片付けた」と言い張る」え、それ間違いなの? Σ(゜Д゜;
  • 原発供養 - 内田樹の研究室

    昨日の話の続き。 それぞれの社会集団は、「恐るべきもの」と折り合うために、それぞれ固有の「霊的作法」を持っているという話だった。 日人は外来のものを排除せず、それを受け容れ、「アマルガム」を作る。 ユーラシア大陸の東端にあり、これから先はない、という辺境民が採用したのは、いわば、「ピジン型」の文明摂取方法だった。 これはヨーロッパの辺境、アイルランドの文明史的地位と構造的に似ている。 聖パトリキウスはケルトやドルイドの土着の神々たちとのまじわりの中でキリスト教を布教した。 そのときに土着の神々を「根絶」するというユダヤの神の苛烈さを避け、地祇たちを生き残らせた。 それがアイルランドに今も生き残る「妖精たち」である。 前に中沢新一さんとおしゃべりしたときに、『伊勢物語』に出てくる「在原業平」というのは固有名詞ではなく、ある種の「集団」ではなかったのか、という話になったことがある。 彼らは「

    BUNTEN
    BUNTEN 2011/04/11
    下水トンネルの現場で働いたことがある。「地鎮祭を執行しなければ、建築現場には誰も入らない」のは、現場の危険性が高いことの裏返しなのであるから、危険を減らすべきなのであって、地鎮祭をすべきなのではない。
  • 賛美歌と国歌について - 内田樹の研究室

    高橋源一郎さんが賛美歌と国旗と国歌についてツイッターで書いている。 私はほとんどの政治的論件について高橋さんと意見を同じくするけれど、この問題については、ちょっとだけ「う~ん」と唸ってしまったところがある。 もちろん、どのような政治的イシューについても「私は正しい、お前は間違っている」という語法では語らない、というのは高橋さんと私が共有する原則なので、以下に書くのは高橋さんの考え方への異議ではなく、同一の問題についての「別の見方もあるよ」というふうに読んで貰いたいと思う。 私は賛美歌と国旗国歌は同一の水準では論じられないと思う。 もちろん、高橋さんも同一の水準では論じていない。 賛美歌や校歌を歌うことについて違和感を覚えるというひとりの同僚の所論を紹介し、そこから高橋さん自身の国旗国歌論へ転じているのであって、その先生の所論に同意しているわけではない。 でも、私はこの先生の意見には簡単には

    BUNTEN
    BUNTEN 2011/03/03
    (備忘/非評価)「アメリカ国旗への損壊の罪を問わないという判決が、アメリカの建国理念に基づいてなされたように、ミッションスクールにおける儀礼への異議申し立ては、「ミッション」の名において行われるのが筋目」
  • 2010 年年頭のご挨拶 - 内田樹の研究室

    あけましておめでとうございます。 2010 年もどうぞよろしくお願いいたします。 とうとう 2010 年になってしまった。 『2010年宇宙の旅』が公開されたのが1984年。 そのときには「2010年なんてはるか未来」だと思っていた。 「2010年て、オレはそのとき60歳だぜ」とげらげら笑っていた。 想像力がなかったからではない。 うっかり想像してしまったせいである。 指摘するひとは少ないが、1950 年代に少年時代を過ごした私たちの世代の「21世紀」についての想像は小松崎茂先生のイラストによって深く決定的に規定されていた。 小松崎先生の空想世界では、21世紀の大人たちは銀色の宇宙服のようなツナギを着て、エアカーに乗って宇宙ステーション状のオフィスに出勤し、ロボット秘書にコーヒーを淹れてもらい、テレビ電話で会議をしていた。 私は「銀色のツナギを着て、エアカーで出勤する自分」をうまく想像でき

    BUNTEN
    BUNTEN 2010/01/01
    重力がいかに強大であるかについて。▼東京都心とかならそれなりに未来都市と言って良かろう。ロボットの代わりが派遣さんだったりするが、細かいことは気にしてはいけない。
  • 入試「改革」のご提言について - 内田樹の研究室

    センター入試の日に新聞の社説に入試改革の提言が載せられている。 毎日新聞の社説子はこう書いている。 「少子化や規制緩和の大学増設なので大学の学生獲得競争が次第に強まり、科目を減らしたり独自学力試験をしないなど、試験を安易にする傾向が現れた。 時間をかけ多角的に審査するはずのAO(アドミッション・オフィス)入試や従来の推薦入試も形骸化が指摘される。4割以上が学力検査をくぐらず入学するまでになっている。 一方で大学生の深刻な学力低下が報告される。6割の大学が高校レベルの補習をするなど基礎学力の補完をしている。そうしないととても専門教育ができないという。基的な教養の欠落も指摘されている。」 ご指摘の通りである。 そのことに私たち大学人も深く苦しんでいる。たぶん、日でいちばんそのことに苦しんでいるのは、「基礎的な学力」のない学生たちと現場で向き合っている私たちである。 そのわれわれに向かって論

    BUNTEN
    BUNTEN 2009/01/20
    「「自分の学力を上げる」よりも、「他人の学力を下げる」方が圧倒的に費用対効果がよい。」競争相手がクラスの中だけなら言えるかもしれんが、大学受験はそんなに甘くない。