洒落たことを書く意図はないが、時折「無門関」(参照)第十四則南泉斬猫を思う。 南泉和尚、東西の両堂が猫児を争うに因んで、泉、乃ち提起して云く、「大衆、道得ば即ち救わん、道得ずんば即ち斬却せん」。衆対無し。泉、遂に之を斬る。晩に趙州外より帰る。泉、州に挙似す。州乃ち履を脱して頭上に安じて出ず。泉云く「子、若し在らば、即ち猫児を救い得たらん」 古来難関とする所。私はわかったような気がしたことがあるが、今の気持ちとしてはとんとわからんな、いかれてるな南泉、と思うくらい……とまで言い切らないが、これを「異類中行」と呼ぶのであればむかつく。南泉斬猫を喝破し「異類中行」に一喝すべき禅師も日本いなかったじゃねえか。十年前によ。あのときに、いなかった。末法とはかくのごとし。という感じだがこの問題にはどうしようもなく暗いものがある。 禅の世界ではこの公案にいろいろ言う。だが私はなんか変だな、猫かわいそうじゃ