戦闘開始は朝6時、先陣は山県隊。連合軍の右翼、徳川勢を攻撃。 このときたぶん、『戦場を間近でみると』で書いたように、鉄砲玉をかい潜るように前進し弓矢や鉄砲を山県隊も撃ったに違いない。徳川勢は織田勢と比べると兵力、兵器は劣っていると思われ、総勢約7千、多く見積もっても9千程度で、酒井隊(東三河衆?)が鳶ノ巣攻略に回っているので、弾正山、川路市場付近に陣取った徳川軍は本隊(旗本先手役|本多・大久保等)、及び西三河衆(信康、石川数正等)合わせて約四~六千程度と思われます。火縄は三百丁程度でしょう。多くて五百丁ぐらいだったと思います。 連合軍右翼、徳川勢は地形の利から武田一番手、山県隊を退けます。地形の利というのは、攻め口が限定されていたと考えるためです。当時の簡単な想像図を掲載していますが、山県隊は街道を進んで徳川勢とぶつかった(竹広周辺)と考えられ、防御の幅は比較的短いものであったでしょう。