死に対する答えが見つからないままに人は生きていく。 人はいずれ死ぬ。 小学生でも理解していることに対して、誰一人答えが見つからないままに人はなんとなく生きていく。 どんだけ金持ってようがモテようが頭よかろうがオリンピックで金メダルとろうが、答えを見つけることは無い。 死に対する答え等見つかるはずも無い。何故なら、終わりを理解するということは、経過を不必要とすることだからだ。経過とはもちろん、生きている今のことである。 死を装飾するものとして生の彩りがある。人はそれを充実の人生というまやかしの言葉でなぞらえる。 そしてその彩りに、人はこだわる。こだわった結果が、あくまで死に対する答えであるかのように、執拗に人は生の内にある彩りにこだわる。 しかしそんなものに全く持って意味がない。死に対する答えが見つからないのだから。