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2015年6月11日のブックマーク (5件)

  • 語るに落ちちゃった人 - Apeman’s diary

    先日、「きれいなヘイト」認定されておかんむりだった木村幹・神戸大学教授。 https://twitter.com/dogu_fm/status/603267761322610688 https://twitter.com/kankimura/status/603560832836833280 https://twitter.com/kankimura/status/603563636066361344 「どこがどうヘイトだというのか、具体的に指摘しろ」という要求そのものは至極まっとうではあるものの、その後「全く名字帯刀も許されていない庶民の考える事はわからん」ツイートで馬脚を現しちゃいました。関連ツイートのうち特にひどいのがこれ。 https://twitter.com/kankimura/status/608847621961097217 これ、もし相手が実際に在日コリアンだったり韓国

    語るに落ちちゃった人 - Apeman’s diary
    D_Amon
    D_Amon 2015/06/11
    出自認定とそれによる論の否定は主張する側の心の卑しさの表明でしかないと思う
  • 隅田金属日誌(墨田金属日誌) 騙された娘を奴隷労働で性的搾取したのが問題なんだけどね

    自衛隊には正解がある。ライト・イズ・ライトで、右っぽいことを言っておけば安牌というものだ。まずは事なかれ主義のようなものだ。 だが、それが世間に通用すると思い込むアレ隊員も出てくる。SAPIOやボイスで読んだ「正解」を、相手を見ず誰彼なく話すアレ下士官やアレ幹部がそれだ。 直前の講話で田由紀の「やりがい搾取」の話をした己にもするくらいだから、まずは何も見えてはいない。全ての隊員は「正解」をいうと喜ぶと思っているのだろう。大概はアレな宗教に染まった隊員と同じで、やる気はあるが周りが見えないから出世は足踏み状態で外に出さないから問題はない。 しかし、中にはそれでも出世する奴が出てくる。元空幕長ほかいろいろ居るものだが、特に世間と焦点が合致していないのが森清勇さんである。 「戦後70年、中韓が建設急ぐ『虚の楼閣』」は、まずは自衛隊の中の正解を外に持ちだしたいい例である。 [従軍慰安婦は]前述の

    D_Amon
    D_Amon 2015/06/11
    「森さんは騙されて連れて来られたフィリピン人にも同じことが言えるのだろうか?」現代日本の問題であり、いわゆる現代の性奴隷問題でもある。
  • 東京新聞:官房長官 合憲論学者「数ではない」 安保法案 与党、会期延長検討:政治(TOKYO Web)

    他国を武力で守る集団的自衛権の行使を柱とする安全保障関連法案に関する衆院特別委員会は十日午前、関係閣僚が出席して一般質疑を行った。菅義偉(すがよしひで)官房長官は二百人以上の憲法学者が安保法案を違憲だと批判していることについて「数(の問題)ではない」と述べ、合憲の主張が少数派であることを認めた。その上で、合憲と主張する憲法学者三人の実名を挙げた。  三人は百地章日大教授、長尾一紘中央大名誉教授、西修駒沢大名誉教授。菅氏は「憲法の番人は最高裁だから、その見解に基づき法案を提出した」と述べ、安保法案は合憲だと重ねて主張した。

    D_Amon
    D_Amon 2015/06/11
    「たくさんいる」という根拠は当然示せないので「数ではない」に後退。それは総突っ込み状態になって当然で、代案を出す必要もなく駄目なものはやめてしまえばいいのだ。
  • サービス終了のお知らせ

    サービス終了のお知らせ いつもYahoo! JAPANのサービスをご利用いただき誠にありがとうございます。 お客様がアクセスされたサービスは日までにサービスを終了いたしました。 今後ともYahoo! JAPANのサービスをご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。

    D_Amon
    D_Amon 2015/06/11
    「日本は「ハル・ノート」以前に事実上の開戦決意を行っていますので、少なくとも「ハル・ノートの要求が無茶苦茶なものだったから日本は戦争せざるを得なかった」という俗なイメージは、はっきりと誤りです」
  • 『エスパー魔美』の名言は、批判を忘れておしまいにしようという主張ではない - 法華狼の日記

    表現の自由から批判の自由が話題になる時、よく『エスパー魔美』から引用される頁がある。「くたばれ評論家」で、主人公と父親が会話する場面だ*1。 公表した表現が批判されることを覚悟すべきこと。批判することも反発しかえすことも自由であること。 そうした表現の自由にまつわる主張が、表現者である父親の人格とともに描かれ、この頁だけでも普遍性をもっている。 しかし、この頁だけがひとりあるきしていることは残念だ*2。 物語が知られていないのはしかたないとしても、書かれていない主張が読みとられることまでいいとは思えない。描かれているのは絵画への批判なのに、政府や司法への抗議と同一視する主張すらある。 誰が靖国に英霊を公表したのか - 法華狼の日記 そのように批判を自由にさせることと抗議を放置することを混同してしまえば、とるべき責任まで消されてしまう。 まず、父親は「おしまい!!」といっているが、批判を単純

    『エスパー魔美』の名言は、批判を忘れておしまいにしようという主張ではない - 法華狼の日記
    D_Amon
    D_Amon 2015/06/11
    「そのように批判を自由にさせることと抗議を放置することを混同してしまえば、とるべき責任まで消されてしまう」人によってはそれを承知で「免罪符」として利用しようとしているのかもしれないと思う