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ブックマーク / pledgecrew.hatenadiary.org (9)

  • ブコメへの補足(大幅に加筆) - 遠方からの手紙(別館)

    http://d.hatena.ne.jp/toled/20100124/p1 http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/toled/20100124/p1 PledgeCrew [在特会][支持する] 「非暴力」を旗印にした戦略家気取りのブコメには反吐がでる。問題は逮捕された少年を見捨てるかどうか。司法判断など関係ない。在特会の言うように彼が帰国子弟であるなら、彼にとってこれはただのゲームではない 一定の状況の中で、結果としてある行為をおこした者について、そこに一定の正当性を認め、そちらの側に立つということを表明したからといって、それはただちにそのような行為そのものを礼賛し、他の者にも同様の行為をとるよう呼びかけることを意味するわけではない。上の記事を読む限り、toledさんが言っているのもそういうことではあるまい。 もしも、そのような理屈が成

    ブコメへの補足(大幅に加筆) - 遠方からの手紙(別館)
    Doen
    Doen 2010/01/27
  • 「社会的差別」とはなにか - 遠方からの手紙(別館)

    こことの関連で、「社会的差別」という問題について、ちょっと書きたくなったので書いてみる。結論をあらかじめ述べておくと、種々の「社会的差別」と、たんなる個人的な不利益一般の問題とは、まったく別の問題だということだ。そのへんをごっちゃにしてしまうと、あれも差別、これも差別、ということになって、話がどんどん拡散してしまうよと。 たとえば、先生が特定の生徒をひいきしたり、スケベな社長さんがお気に入りの女性社員を優遇するというようなことは、世間では珍しくもない。それは、たしかに他の生徒や社員からすれば不当ではある。しかし、その理由が、相手が「ゴマすり上手」とか「言うことをよくきく」、「容姿がいい」などといった、その先生や社長さんの個人的な好みや利害から発する限り、それは「社会的差別」の問題ではない(厳密に言えば、そこでもなんらかの「社会的価値観」が働いているということはなくはないが)。 「社会的差別

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    Doen
    Doen 2009/06/04
  • 丸山真男が「昔のサヨの教祖」だったって? - 遠方からの手紙(別館)

    http://pc11.2ch.net/test/read.cgi/net/1241019914/553 553 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2009/05/16(土) 09:36:04 id:P85aKpOW0 >>551 >「日には市民革命が起こらなかったからフンダララ」 典型的な「反証不可能な議論」だよな。 そもそも、アメリカの独立戦争は「市民革命」で日の明治維新はそうでないってんだから、 最初から基準が恣意的きわまりないわけで。 要は、何が何でも日はダメだとか言いたいumetenみたいな奴の後付けの理屈。 昔のサヨの教祖だった丸山真男とかって所詮その程度でしょ。上野千鶴子と一緒で、 一般向けにはそういう俗耳に入りやすいけど根拠薄弱なことを断定的に言うみたいな。 ヨニウム先生なんかはやっぱりその辺を忠実に見習ったんだろうねw 丸山真男は、かつて共産党系などの理論

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    Doen
    Doen 2009/05/17
  • それはただの「自己陶酔」 - 遠方からの手紙(別館)

    なんだか既視感たっぷりのことを得々と言っている人がいますね。そんなものは、全然新しくもなんともないというのに。 いまさらあらためて批判しなければならないほどのことでもないので、「陰謀論」に関する過去記事へのリンクだけ張っておきます。直接の論点は違うにしても、根っこにあるものはまったく同じでしょう。 実際、「歴史の見直し」を主張する者らが、これまでそのような「歴史の真実」が覆い隠されてきた理由として、フリーメーソンだのロスチャイルドだのと、歴史を捏造するほどの絶対的力を持っているらしい、なんらかの「陰謀主体」の存在を仄めかすのは珍しくありません。 たしかに、第二次大戦中に4,000人を超えるポーランド軍の将校が虐殺された「カティンの森」事件のように、現代史においても「歴史の真実」が覆い隠されていた例はあります。しかし、それはかつてのソビエトのような社会全体を統制する強力な全体主義的権力が成立

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    Doen
    Doen 2009/03/23
  • 「無敵論法」についてのサンプル - 遠方からの手紙(別館)

    「無敵な論法」の数々 1. 具体的な問題を抽象的で陳腐な一般論に還元して、それが意味のないものであるかのように装う論法 彼が言いたかったことが君の言うとおりだとすると、「全体最適の方法は常に正しいわけではない、危険な方向に暴走する可能性もありうる」というだけのことだ。 そういう一般論ですむのなら、どんな機械や道具の「取扱説明書」にも、乱用や誤操作に対する警告を記載する必要はない。彼がもともと言い出した原子力発電所の例であっても、操作についての具体的な注意や、誤操作をした場合の警告を徹底させる必要もない。 なぜなら、どんな装置にも「危険な方向に暴走する可能性」はありうるのであり、「そんなことは猿でもわかる」のだから。 2. 自分の誤りを認めることを拒否する後出しじゃんけん論法 hokusyu君が言っていたことと私の言っていたことに共通部分があってはいけないという論法が理解不能。 だれも「共通

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  • 個人は抽象的カテゴリの単なるサンプルではない - 遠方からの手紙(別館)

    生きている具体的な個人というものは、どんな場合にもある一つのカテゴリーだけにすっぽり収まるものではない。たとえば、川田龍平さんがエイズ患者であるとしても、彼のすべてがそのことに還元されるわけではないし、乙武さんが障害者だとしても彼の存在のすべてがそのことだけで説明されるわけでもない。 だからこそ、彼らがエイズ患者であり、あるいは障害者であったとしても、それとは別に、個人としての彼らを批判すること自体にはなんの問題もない(その内容や方法の是非はともかくとして)。 同様に、ある人が現に「派遣社員」であって、そのことが今の彼にとって非常に重い意味を持っているのだとしても、その人の存在は、そういうカテゴリーだけに収まるものではないだろう。もし、彼が自分で自分をそのように考え、そのように主張しているのだとすれば、それこそがおかしな話である。なぜなら、それは、自分は「派遣社員」であるということを除いて

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    Doen
    Doen 2008/09/02
  • 「差別」についてのメモ - PledgeCrewの日記

    いつの時代も、社会の中の差別は、「おれはお前らを差別してやるぞー」などという悪意と差別意識をむき出しにした「差別主義者」などという者らによって支えられているわけではない。 社会の中に埋め込まれた多様な差別を実際に支えているのは、多くの場合、むしろ善意の人々の「優しさ」という無意識の差別である。それが不当な差別であることが、最初から誰の目にも明らかであるのなら、そのような差別などそもそも成立するはずがない。 だからこそ、親や家族、社会の「愛」によって圧殺され続けてきた脳性マヒ者の団体である「青い芝の会」は、「われらは愛と正義を否定する」と宣言したのではなかったのか。 社会の中の多様な差別には、それぞれに異なる社会的な根拠とイデオロギー的な根拠がある。ある差別と闘っている人が、別の差別については無自覚に肯定している例など、探し出せばいくらでも見つかる。 自分がある差別のために苦しんだことがあり

    「差別」についてのメモ - PledgeCrewの日記
    Doen
    Doen 2008/07/24
    『社会の中の多様な差別には、それぞれに異なる社会的な根拠とイデオロギー的な根拠がある。ある差別と闘っている人が、別の差別については無自覚に肯定している例など、探し出せばいくらでも見つかる。』
  • ホームレスのアルミ缶回収を禁止する自治体 - 遠方からの手紙(別館)

    http://www5.ocn.ne.jp/~kumamsu/tayori_0702.html 連帯と寛容の精神を!      益田牧子 熊市は、2月26日からの定例議会に資源物などの持ち去りを禁止し、違反者には罰金を求める条例を提案します。私たちは、昨年12月の段階で、生活と健康を守る会の皆さんと一緒に「ホームレス支援」の立場からも提案の中止を求めました。その後も、ホームレス支援団体や、熊クレ・サラ・日掛け被害をなくす会や弁護士・司法書士連名での提出中止と再考を求める意見書が提出されました。 意見書では、ホームレスの方々のおかれた実態を直視し、「廃品回収が生きていくための最後の手段となっている人々にとっては、その手段を断たれます。これは死を意味します」と危惧し、憲法25条に反すると指摘しています。また、集積所に出された資源物を市の所有とすることにも民法違反の可能性があると問題点を指摘

    ホームレスのアルミ缶回収を禁止する自治体 - 遠方からの手紙(別館)
    Doen
    Doen 2008/04/13
  • 花岡信昭という不実で怠惰な精神 - 遠方からの手紙(別館)

    花岡信昭の言葉の端々から窺えるのは、自分は素朴な善意の人であるという強い信念だ。それは、たとえば 「ヒステリックにこの事件を伝え、米軍基地は出て行けとののしった一部メディア、とくにテレビは、いま、どう考えているのだろうか。正義派ぶったコメンテーターらのおぞましい顔がいくつも浮かんでくる。」*1といった言葉からも窺える。自分は、彼らのように建前や理念ばかりを振りかざす「正義派」などではないというわけだろう。 たとえば、「こういう事件を前にしては、人間の尊厳に対してどこまでも誠実でありたい。」*2という、最初の言葉にしても、彼自身にとっては心から出たものであり、別に「偽善」などという意識はないのだろう。だから、一部の批判者から「鬼畜」だの「外道」だのといった激しい言葉を投げつけられたことには、当惑する以外になかったのだろう。 そのため、彼としてはそのような激しい言葉で避難されたことに対して、

    花岡信昭という不実で怠惰な精神 - 遠方からの手紙(別館)
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