社会に関するEmmausのブックマーク (3)

  • 「終(つい)のすみか」と「身寄り」 - 記憶の彼方へ

    [ 日付失念^^; 先週、朝日新聞の社会面の片隅に「群馬『たまゆら』火災の背景」(上、下)と題された記事が二日連続で掲載された。「上」の見出しは「劣悪施設 目つむり紹介」、署名は石村祐輔、佐々波幸子。「下」の見出しは「終のすみか探るNPO」、署名は根理香、太田啓之。 約1ヶ月前に、10人の死者を出した群馬の高齢者専用施設「静養ホームたまゆら」の火災の背景に取材した大きな記事に触発されて、この国の「棄民政策」、さらには他人事ではない「無自覚自滅症候群」とでもいうべきますます強まる傾向について書いた。 高齢者の「漂流」、若者の「逆流」(2009年03月23日) また、1週間前には、同じ関心から、高齢者対象ではないが、宮城県で僧侶・真壁太隆(まかべたいりゅう)さんが6年前に始めた不忘山行持院(ふもうさんぎょうじいん)における生活保護さえ受けられない人々のためのいわば「駆け込み寺」での肝っ玉のす

    「終(つい)のすみか」と「身寄り」 - 記憶の彼方へ
    Emmaus
    Emmaus 2009/04/30
    身を寄せる すみか 
  • 一理は百害に通ずることもある - 記憶の彼方へ

    人生や世の中が百の要素が相互に複雑に絡まり合って進行するものだとすると、一部の専門家や物知り顔の評論家が一の要素に関して主張するその時点での「真理」を鵜呑みにすることは、百の要素から成る世の中、人生にとってはそれこそ百害を及ぼしかねないと私は思う。非常に限られた視野での「真理」が、少しでも広い視野からみたときに「正しい判断」に直結するとは限らないからである。むしろ逆のことが多い気がする。もちろん、百の要素が絡まり合って巨大な「悪」を進行させつつある時に、一理を根拠に闘わなければならない場面はあることはさておき。 ピンぼけだけど、夜の藻岩山。毎朝見ている南斜面のゲレンデがライトアップされている。

    一理は百害に通ずることもある - 記憶の彼方へ
    Emmaus
    Emmaus 2007/12/31
    体系とエレメント
  • 豊かな時代の教育とは:「こいつらにはやっぱかなわねー」と思うこと - michikaifu’s diary

    こんなエントリーを読んで、私はちょっと事情は違うけれど、当にそのとおりだなー、と思った。 談合社会の崩壊の中で「お母さん」たちが担っているもの - アンカテ 今日も今日とて、息子の学校での「対策会議」に行ってきた。ウチの子の学校は、アメリカの中では「レベルが低い」と言われるカリフォルニア州の、お金持ちでもない小さい学区のフツーの公立校。それでも、いつも対策会議のたびに、そのノウハウや仕組みにいちいち感心してしまう。 ウチの息子は読み書きの学習障害があるが(詳細は「視覚発達障害」カテゴリー参照)、ビジョン・セラピーやここまでの種々の対策のおかげで、読むほうはだいぶよくなってきた。今回は、これまでの進歩の様子を確認して、この先どういった対策が必要かを判断するためのテストをした結果の報告と、その後の方針を話し合うミーティングだった。 スピーチ・セラピーの先生は、一種の「IQテスト」のようなフォ

    豊かな時代の教育とは:「こいつらにはやっぱかなわねー」と思うこと - michikaifu’s diary
    Emmaus
    Emmaus 2007/06/06
    確かに実をとるアメリカのノウハウや社会の仕組み。豊かさにある教育。単なるアメリカVs日本の対比としてでなく参考にすべきものがあるのかも知れない。学ぶべきこと多し。
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