経験に関するEmmausのブックマーク (13)

  • 世界初!光学ファインダーと電子ビューファインダーを切り替え可能な「ハイブリッドビューファインダー」を搭載 デジタルカメラ「FinePix X100」新発売 : ニュースリリース | 富士フイルム

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    Emmaus 2011/03/07
    Finderの原点。見るとは何か?
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    Emmaus 2010/08/19
    体験もしてないものがこちらを圧倒する。
  • 生と死の輪舞 - 記憶の彼方へ

    西蔵放浪 (朝日文芸文庫) 作者: 藤原新也出版社/メーカー: 朝日新聞社発売日: 1995/06/01メディア: 文庫購入: 1人 クリック: 2回この商品を含むブログ (14件) を見る 「人間として退化した今を持った一日青年が、過去に向かって人間としてより進歩的である彼らの今の海の中に自己投入した、小さな記録である」(10頁)という藤原新也『西蔵放浪』を読んでいたら、先日初めて知った「妙音鳥(カラビンカ)」の話がでてきて、興味深かった。 藤原新也が二十代初めにインドで出会ったツリン・タンドールという名のひとりのチベット難民の男が語ったある話の中に妙音鳥(カラビンカ)が登場する。その男は乞同然の生活をしながらもその語り部としての才能によってとある居酒屋では人気者であり、いつもタダで酒にありついていた。そんな男の騙りには追われた故郷の記憶がまるで生と死が輪舞するごとく悲劇の相と喜劇の

    生と死の輪舞 - 記憶の彼方へ
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    Emmaus 2009/08/11
    孤独とエゴの隘路
  • 風太郎日記 - 記憶の彼方へ

    オムツ生活7日目の風太郎です。札幌は雨です。雨音で分かります。風の音は聞こえません。眠いので、今日はご挨拶だけで失礼します。ごきげんよう。でも、やっぱり、せっかくだから一言だけ。マサオも昔はそうだったけど、人間って鈍いよね。死ぬ間際になんないとホントに大事なことや大切なことに気づけないもんなのかね。死んでも気づけないんじゃないかと心配になる輩も少なくないよ。とにかく生きてるってことが「奇蹟」そのものなんだから、後は「おまけ」くらいの覚悟でどうして楽しく生きられないのか不思議でたまんないよ。おいらの見るところ、人間の中にもその辺がよく分かって生きている奴もいるけど、多くはないね。金ちゃん(id:simpleA)が藻岩山の頂上付近で、「犬がシッポ振る気持ちが分かったよ。」って書いてたけど、あいつは分かってるみたいだね。前世は犬族かもしれないね。マサオが少し前に読んでたシマオシンゾウとかいう写真

    風太郎日記 - 記憶の彼方へ
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    Emmaus 2009/06/29
    風太郎って呼んでみた。生きるってこと。
  • Mac Tips X / Mac OS X Tips

    Macintosh や Mac OS に関する使い方のコツを集めた Tips 集です。 Mac Tips X ページへのリンクはこの目次ページ及び個々の記事にご自由に張って結構です。私、井上への事前の連絡も不要です。 管理人:井上 圭司 最終更新 2008.10.01 : この Mac Tips X 更新を終了とさせていただきます。 Mac OS X 10.5 Leopard が出て OS としてほぼ不自由な点は無くなり、Tips を出す意味が無くなったと判断しました。よって勝手ながら更新を終了とさせていただく事としました。長い間ありがとうございました。 English page translated by Google (beta) AppleMac OS X Tips へのリンク 日語、English、Video podcast 目次 上の方が新しい記事になります。

  • 流れに身を任せて - 晴耕雨読ときどき昼寝の日々

    休日, 職場 | 17:44 | 場所が変わると人も変わる。人が変わるとすべてが変わる。研究室の雰囲気、その場所で大事にされる価値や判断の基準。それらに沿って研究の方法論が形成され、その方法論に依存し最適化された形で研究は進展する。だから、同じ仕事(実験)でも場所が変わるとやり方がガラリと変わることがしばしばある。たとえ研究や実験の目的は一緒でも。経験的には、新しい場所で似たような方法論の研究・実験をする時に自分のこれまでの方法論に固執してしまいがちだ。それは多分、自分にとっては未知の新しい方法・手法で失敗し無駄な時間を使うよりは、自分が既に身につけている方法でやった方が物事が確実に進むと思うし、何より「ラク」だからだ。自分の中ではそれを「保守的思考」と呼んでいる。そして、浅い自分の経験や考えだけを後生大事に生きることは個人的には好まない。それに、これまで自分の中で蓄積した方法論と新しい場

  • JTPA シリコンバレー・カンファレンス 2009 参加者募集のお知らせ と「一年前の僕」へ - 読谷の飛行場に想う。

    JTPA シリコンバレー・カンファレンス 2009の募集が開始されました。 [シリコンバレー・ツアーはシリコンバレー・カンファレンスとして生まれ変わります!] 「今年のツアーはどうしようか?」という話になったとき、話題に上がったのは、「ちかごろの若い人たちはすごい!」ということでした。 多くの参加者たちが、用意されたコースの前後にプラスアルファで自ら企画して、ツアーで知り合った仲間を巻き込み、自分たちが見たいものを見に行き、会いたい人に会いに行く。 JTPA シリコンバレー・カンファレンス 2009 参加者募集のお知らせ - JTPA この部分を読むと、僕は「裏シリコンバレーツアー2008」を思い出す。 振り返れば、僕は家シリコンバレーツアー2008に応募し、そしてものの見事に落ちた(笑)落選が決定した後、僕はさもしく羨望の眼差しを抱きながら、悶々と日々を過ごしていた。そんなある日「運転

    JTPA シリコンバレー・カンファレンス 2009 参加者募集のお知らせ と「一年前の僕」へ - 読谷の飛行場に想う。
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    Emmaus 2008/11/17
    生きる
  • 嗅覚の指向性 - 記憶の彼方へ

    マジックでも明らかなように、感覚の中で一番人を欺くのは視覚だけど、さて一番正確な感覚は何かなと考えていた。嗅覚かな、いや、嗅覚はすぐに麻痺するから違うよな。触覚かな、そうかもしれないな。聴覚はどうだろう? ...... もちろん、諸感覚は混じり合っているので、一概には何も言えないかな。 風太郎と散歩しているときに、彼はほぼ完全に嗅覚の世界に生きているのを感じる(この「感じる」は何感覚なんだろう?)私の嗅覚が全く反応しない臭いに風太郎は敏感に反応し、しょっちゅう立ち止まり、くんくん嗅いでいる。私は私で、ライラックだとかニセアカシアだとかの甘い香りに吸い寄せられるのだが、そういうとき風太郎は「まだ?」といった表情で私を見上げる。彼にとって花の匂いは存在しないに等しいようだ。犬の嗅覚はヒトの数十万倍の能力を持つらしいが、どんな匂い、臭いに反応するかという嗅覚のいわば「指向性」の違いがとても大きい

    嗅覚の指向性 - 記憶の彼方へ
  • 日記の整理という仕事 - 記憶の彼方へ

    *1 「日記の整理」、「日記の仕事」という言葉に今更ながら驚いていた。ジョナス・メカス著『どこにもないところからの手紙』(村田郁夫訳、書肆山田、2005年)asin:4879956546の「第十の手紙 1995年1月」の中にこうある。 毎年一月になると、わが家はささやかな荷物をまとめ、ニューヨークを離れ、カナダに近いヴァーモント州に出かける。そこは寒く、雪がたくさんある。私たちはスケートに出かける。山はもう好きじゃない。首の骨を折るかもしれない。もっとも平地なら私でも悪魔のようにヒラリ、ヒラリと舞うことができる。十三歳になったばかりのセバスチャンも平地なら舞える。 けれども私たちが着いたのは、凍てついた草ばかりで、雪がまったくないところだった。でも奇蹟が起きて、雪が降るだろうと期待し、二日間滞在した。幸いタイプライターを持ってきたので日記の整理------戦時中と戦後の日記の仕事にとりかか

    日記の整理という仕事 - 記憶の彼方へ
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    Emmaus 2008/01/27
    日記の仕事
  • 過去は刺激的だ - 記憶の彼方へ

    (大判→ Mt. Moiwa, January 6th, 2008) こうしてほぼ毎日ブログに考えたことや感じたことを書き綴ったり、flickrに写真をYouTubeにビデオをアップしたりすることは、美崎薫さんに倣って言えば*1、自分の人生をデジタル・アーカイブ化する試みの一環である。それは人生を記録するということだが、その記録が誰かに届くことで思いも寄らぬ出会いが生まれることの喜びは一方に確かにある。しかし、忘れがちなのが、せっかくの記録がどんどん埋もれてゆくことである。記録は追体験できなければ、しなければ、死蔵されたに等しい。ところが、ウェブは追体験しにくい。よほどのことがなければ、過去に書いたブログのエントリーを読み直したり、過去にアップした写真やビデオを見直したりしない。記録しっぱなしで終わりかねない。 (林) 年末からある事情があったお陰で、2005年9月から始めたこのはてなダイ

    過去は刺激的だ - 記憶の彼方へ
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    Emmaus 2008/01/06
    記憶 記録 過去
  • 今日1日 - rairakku6’s blog

    ミカンの収穫も早生ミカンが終わり、少し間をおいて12月始めごろまでしばしのお休み。たまにしか手伝っていない身でありながら、それでもほっとする気持ちです。農業をバリバリこなすには(他の仕事でもそうでしょうが)体力をもっと付けないとだめだとつくづく思うこの頃です。 他の仕事も目の前に溜まってきていますが、ブログの更新も習慣にしたいと思うところもあって、きょうは少しだけでも書いておきます。 見に来てくださった方がどんな記事を読まれたのだろうとときどきアクセスの内容を辿って見ることがありますが、自分が書いたエントリーなのに”なつかしい”気持ちになることがしょっちゅうです。家に閉じこもっていると社会との接点が少なく、自分の存在価値に疑問さえ持ちたくなりそうですが、何か行動している事でその気持ちが薄らぐのではないかと、そんな事を考える時もあります。 私の日記を読んで元気になってくださる方が少しでもある

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    Emmaus 2007/11/22
    立ち止まる風景
  • 藻岩山を振り返る - 記憶の彼方へ

    札幌、晴。寒い。 藻岩山。手袋なしでは手がかじかむ。立ち枯れたタチアオイやノラニンジン、萎れたコスモスが目につく。抵抗するように花を、色を探すが、クルミの黄葉やナナカマドの橙色の実ばかりが目につく。ホソバウンランは倒れていた。 関口涼子著『グラナダ詩編』(書肆山田, asin:4879957100)56頁の図版「ペソアによって描かれたデッサン。婚約者オフェーリアを会社から家まで送る際、どれだけ遠回りできるかを計算したもの。」(91頁)のことを考えていた。生が刻々と迂回し、遠回りしながら死へと至る過程であるとするならば……。「物語」とは畢竟「迂回」の手段に過ぎないのか。それに、物語には「始め」と「終り」があるが、人生はいつも「始め」も「終り」も不明瞭な「途上」である、等々。 藻岩山を振り返る(21sec.)

    藻岩山を振り返る - 記憶の彼方へ
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    Emmaus 2007/10/16
    関口涼子著『グラナダ詩編』
  • ヒロシマナガサキ - karpos’s blog

    ヒロシマナガサキを観て来た。岩波ホール。 渋谷を歩いている若い人は1945年8月6日に何があったかを知らない。そんな場面から始まり、東京の原宿かどこか知らないが、若い人がかき弾くエレキギター、ロックバンド、そして、渋谷かどこか知らないが人々の雑踏の映像で終る。 その間に挟まれた「被爆者の記憶」という世界が、「被爆者の証言」によって、観客の脳裡の内に映像となる。心が掻きむしられる。 おそらく被爆者の証言によって観客が思い描くことができる想像という映像は、観客が原子爆弾とどう向き合ってきたかによってずいぶん違うだろう。いや、もしかすると、証言が一であるなら、証言によって再現される脳裡を満たす映像も一なのかもしれない。もしもそうだったら・・・ この映画の製作に25年もかかっている訳がよくわかる。 ここまでのインタビュー、ここまでのドキュメンタリーにするには監督ご自身の自己追究も相当だったはずだ。

    ヒロシマナガサキ - karpos’s blog
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    Emmaus 2007/08/20
    ヒロシマということナガサキということ
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