ブックマーク / mmpolo.hatenadiary.com (11)

  • 銀座ギャラリーQの篠原愛展を見てほしい - mmpoloの日記

    篠原愛展が銀座のギャラリーQで開かれている(9月6日まで)。 若い娘の体の傷口から植物が生え、金魚がめり込んで血が流れている。水中のようにも見えるし、地上のようでもある。もう1枚の作品では、内緒話をしている少女たちの前に吊り下げられた金魚の体が激しくちぎられている。筋肉や内臓や血管が長く線になって伸びている。 篠原愛は不思議な絵を描いてきた。描写力が見事でイメージが独創的だ。若い娘たちが傷ついている。なぜこのように傷つけられているのか。彼女のシュールリアリズムは高踏的なそれではなく、現実から芽生えている。一昨年亡くなった石田徹也と共通するところがあるが、石田がいつも自虐的だったのに対して篠原は傷を見据えている。そして篠原の大きな特長は彼女の絵の美しさだ。絵として美しいことだ。 この完成度の高さで篠原は1984年生まれ、まだ24歳なのだ。おそるべき早熟! 技術の高さとイメージの独創性で群を抜

    銀座ギャラリーQの篠原愛展を見てほしい - mmpoloの日記
  • 井上隆夫展の作品がよく分からなかった - mmpoloの日記

    京橋の村松画廊で井上隆夫の彫刻展「黙する言語」を見た(6月30日〜7月5日)。これが不思議な作品だった。画廊には木のオブジェみたいなものが並んでいる。壁には古い墓標が立てかけられている。作品とは言え誰かの墓標を持ってきてしまって良いのかと考えた。作家がこれは親父の墓標ですと言う。長期間雨ざらしになっていて木は古び、土に埋められていた部分は腐っている。作家がこれは物ではなくて私が紙で作ったものですと言う。これが紙? 触ってみてもいいですよ。そんなやりとりを10分近く続けてやっと私は作家の言うことを信じた。形も表面の色も素材感も物と瓜二つだ。別に小さな木片のようなものが2個あり、これは実物と作品で、作品の成り立ちを考えるきっかけにしてもらうために2つ並べているのです、持ち上げてみてください。重さも合わせてあります。ついにどちらが作品でどちらが物か分からなかった。驚くほど精緻な作品、実物と

    井上隆夫展の作品がよく分からなかった - mmpoloの日記
    Emmaus
    Emmaus 2008/07/14
    作品ということ
  • 山本弘の作品解説(13)「青年」 - mmpoloの日記

    弘「青年」油彩、およそM25号(79.8cmx54.7cm) 1968年の飯田市中央公民館での個展で発表された。何を隠そう、この絵のモデルは20歳の時の私だ。横向きにも見えるが、おそらく正面を向いている顔なのだろう。10年ほど前、勤めていた会社の女性にこの絵の写真を見せたらひと言「ゾンビ」と言った。うまい! 私はモデルになった時2浪をしていた。長髪で身長174cm、体重50kg、ガリガリに痩せていた。将来の展望もなかった。暗かったのだろう。それを過不足なくこうして定着している。 飯田市美実博物館の資料には1958年作となっているが、それは誤りだ。第一にその頃とは作風が全く違うし、何より当のモデルが証言している。誤りの原因は作品の裏に書かれた年号だ。1958となっている。考えられるのは古い作品を潰して新しく描いたか、あるいは他人の絵を潰して描いたかだ。1958はその古い作品の制作年だろう

    山本弘の作品解説(13)「青年」 - mmpoloの日記
    Emmaus
    Emmaus 2008/03/12
    山本弘「青年」
  • 多木浩二「肖像写真」を読む、思わぬ収穫! - mmpoloの日記

    多木浩二「肖像写真ーー時代のまなざし」(岩波新書)を読む。そんなに期待していなかったのにこれは思わぬ収穫だった。多木はこので3人の写真家、19世紀後半のナダール、20世紀前半のザンダー、20世紀後半に活躍したアヴェドンを取り上げ、それぞれ「ブルジョワの理想」「20世紀の全体像をめざして」「パフォーマンスの真実」と題する章をあてる。 ナダールが撮影した肖像写真が紹介されている。ド・ネルヴァル、ゴーティエ、ボードレール、アレクサンドル・デュマ、ドラクロワ、マネ、コロー、ドーミエ、クールベ、ドーデ、オッフェンバック、ロッシーニ、ベルリオーズ、ミシュレ、バクーニン、プルードン、彼らをスタジオの単純なバックの前で撮っている。 ザンダーの撮影した人々は、小説のタイトルにもなった「舞踏会へ向かう3人の農夫」を始め、コーラス優勝チーム、村の楽隊、カード遊びをする農夫たち、小都市のブルジョワ家族、屋根葺き

    多木浩二「肖像写真」を読む、思わぬ収穫! - mmpoloの日記
  • 画家をめざす若い人たちへ - mmpoloの日記

    偉大な画家たちについて考えてみたい。20世紀美術に革命を起こしたマルセル・デュシャン、抽象表現主義の雄バーネット・ニューマン、ミニマリズムのフランク・ステラ、日付絵画の河原温、戦後日の抽象の第一人者山口長男、彼らに共通するのは、絵のうまさでその地位を得たことではないということだ。では何か。発想だと思う。発想の特異さではないのか。発想とは何か。それは世界に対峙する姿勢と言いかえてもいい。あるいは物の見方だ。発想といい、姿勢といい、物の見方と言ったがすべて同じことだ。これが一番大事なことだと思う。 野見山暁治の1960年代の絵と山弘の1970年代の絵が似ていると思って、山弘没後に野見山さんに山弘の絵を見てもらったことがある。二人は全く面識がなく、お互いの絵を見たこともなかったはずだ。山の絵を見られた野見山さんは、似てますね、それは二人の物の見方が似ているからでしょうと言われた。 ミヅ

    画家をめざす若い人たちへ - mmpoloの日記
    Emmaus
    Emmaus 2007/10/29
    観るというすごさ
  • 「既視の街」の写真家・渡辺兼人 - mmpoloの日記

    渡辺兼人を知ったのは1980年に出版された金井美恵子との共著「既視の街」(新潮社)を買ったときだ。金井美恵子が同名の中編小説を書き、渡辺が白黒写真を提供している。その写真が印象的だった。こんな写真をそれまで見たことがなかった。人が写っていない街角、路地、古いショーウインドーの一部、このはずいぶん前に手放してしまったので、20数年前の記憶で書いているから正確ではないかも知れないが。要するに全く劇的ではないのだ。決定的瞬間ではない。日常の街角を淡々と撮っているように見える。が、そうでもないのだ。巧みにに人物は外されているし、日常のなかに不思議な裂け目を見出している。もう一度入手したいが再販はされていないし、古書では数千円の値段がついている。 渡辺は正方形の写真を撮っている。たしか二眼レフの首から提げて上からファインダーを覗き込むタイプのカメラだ。フィルムサイズが6センチ×6センチ、ブローニー

    「既視の街」の写真家・渡辺兼人 - mmpoloの日記
    Emmaus
    Emmaus 2007/09/30
    日常性のある裂け目
  • 吉松隆の武満徹批判 - mmpoloの日記

    武満徹が亡くなったとき、若い世代の作曲家の吉松隆が「レコード芸術」に次の文章を書いていた。亡くなった武満を皆が絶賛していたとき、この吉松と湯浅譲二の批判が印象に残った。長いけれど全文引用したい。 吉松隆「11月のカナリアは歌を歌いたかったのか? ーー武満徹のポップ・ソングを聴く」 武満さんの訃報を聞いた時、彼がしきりに「好きな作曲家はポール・マッカートニーだ」とか「ガーシュインみたいな作曲家になりたかった」とか言っていたということを思い出していた。 最後のCDが石川セリの歌うポップ・ソング風のアルバムだったのも象徴的だったが、二十世紀を代表する超一流の大作曲家「トオル・タケミツ」も残念ながらメロディ・メーカーとしては一流ではなかったことを最後に証明する結果になったのは少し悲しかった。 武満さんは、そもそも音楽に目覚めたのは防空壕で聴いたジョセフィン・ベイカーの歌だというし、戦後はアメリカ

    吉松隆の武満徹批判 - mmpoloの日記
    Emmaus
    Emmaus 2007/05/14
    人はその時代を生きるしかない。肯定するにしても批判するにも・・・
  • 作間敏宏展が導くもの - mmpoloの日記

    12月に銀座のギャラリー巷房とSpace Kobo & Tomoで行われた作間敏宏個展「接着/交換」に関して私も一度報告したが(id:mmpolo:20061228)、このたび作家がその展示のパンフレットを作り送ってくれた。 そこに東京国立近代美術館の大谷省吾さんから作家への公開書簡が掲載されており、それに対する作家からの返信が掲載されている。きわめて興味深いことが記されているのでここに紹介したい。 まず大谷省吾さんの書簡から ……ミツバチを扱った3階の展示と、ヌードを扱った地下の展示が、それぞれの部屋の蜜蝋による柱とガーゼによる柱とでゆるやかに関連づけられ、その対比にも興味がそそられましたが、ここでは何より、今回初めて発表された、ヌードの作品についての感想を書いてみたいと思います。 (中略) 1点の作品につき100人、つまり(9点で)合計900人分の裸体のイメージが重ね合わされていること

    作間敏宏展が導くもの - mmpoloの日記
    Emmaus
    Emmaus 2007/03/16
    インスタレーション
  • 上方商法は芸だね - mmpoloの日記

    まず司馬遼太郎のエッセイ「上方についての小さな憂噴」から。 東京で小さな貿易会社をやっている知人が、繊維の関係で京都に常駐するようになり、上方の商法に惚れこんでしまった。 「商売というより、芸だね」 という。 京都の飲み屋の奥の小さな座敷でのことである。東京と上方の商人が入りみだれるようにして、商談とも寄合酒ともつかぬ酒の飲み方をしているところへ、たまたま私が入ってきて、一座の末席にまぎれこむはめになった。 席上、東京方は、最初から肝を打ち割って、原価はこれこれだから手前どもは何%の利益だけは確保したい、それ以下はだめだ、といっているのに、上方勢は肝を見せず、話題を容易に損得の核のなかに入れようとせず、その周辺で饒舌をつかい、冗談ばかり飛ばして相手の肝にさらに奥があるのかどうか、あるいはもっとうまい利益がひき出せないものかどうかなどと、耳もとに飛ぶ羽虫のように口さわがしくやっている。一方、

    上方商法は芸だね - mmpoloの日記
    Emmaus
    Emmaus 2007/03/12
    東京方の志の自己催眠、上方勢の欲と修辞。あるいは大阪方の即物的露骨。
  • 他者は理解できるのか - mmpoloの日記

    理解できることと、何だか理解できること、そして理解できないことがある。 生理になるとお腹が張るのと言った女性に、それってどんな感じ? と聞くと、お腹が一杯になったときと一緒よと言われて何だか分かった気がした。 私は空腹になると手足が震え出し、あげくの果ては発汗しながら大きく震えていくという体質を持っている。医者によると空腹になると血糖値が下がり、相対的にインシュリンの量が高まり、それで震えて発汗するのだという。すぐ甘いもの、たとえば砂糖を摂れとアドバイスされた。ほっておくとどうなりますか? 意識混濁だ。恐い。医者に相談して数時間後に空腹で震え始めた。喫茶店に飛び込みコーヒー1杯に砂糖をスプーン3杯入れて飲んだら見事に収まった。 空腹時にいつもふるえが来るとは限らない。ふるえが来るときは10分くらい前に分かる。体の中からある感じが起こるのだ。どんな感じかと聞かれたが、答えられなかった。たとえ

    他者は理解できるのか - mmpoloの日記
    Emmaus
    Emmaus 2007/03/11
    他者を理解することの根拠
  • 寺山修司の「路地」論 - mmpoloの日記

    「三上のブログ」の三上さんが「路地」に興味を持っていると書かれていた(http://d.hatena.ne.jp/elmikamino/20070304)。寺山修司も晩年「路地」に関するを出す予定で、目次も作っていたとコメントしたら、その目次を知りたいと言われる。 杉山正樹「寺山修司・遊戯の人」(河出文庫)より。 席につくとすぐさま、かれ(寺山)は「路地」の執筆意図を説明しはじめた。(中略) ーーぼくらがふつう路地というと、両手を伸ばすとどちらかが塀に触れる幅だよね。ところが日の近代はそういうものをどんどん無用化し封鎖してしまい、道は人間中心から車中心になって、散歩という思想を切り捨ててしまった。だから、人間が通れる道についてもういっぺん観察して、そこから人間の捉え直しをしてみてもいいんじゃないかと思った。文学や映画に描かれた路地あたりをひとつの手がかりにして、消えてゆく路地について考

    寺山修司の「路地」論 - mmpoloの日記
    Emmaus
    Emmaus 2007/03/10
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