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ブックマーク / finalvent.cocolog-nifty.com (158)

  • ダーウィン空爆戦死日本兵銘板除幕式: 極東ブログ

    朝日新聞や読売新聞にも掲載されているのかもしれないが、昨日カウラで開催されたダーウィン空爆戦死日兵の銘板除幕式について、ネットで見られる記事は共同”豪で日兵18人の銘板除幕 空爆の死亡、公式確認”(参照)と日経”豪で元日兵18人の墓銘碑を除幕”(参照)の二点だった。話は共同のほうがわかりやすい。 第2次世界大戦中にオーストラリア北部のダーウィンへの空爆で死亡し、無名戦士として埋葬されていた旧日軍兵士18人の名前がオーストラリア政府により公式に確認され、26日、東部カウラの日人戦没者墓地で遺族らが出席し18人の名前が刻まれた銘板の除幕式が行われた。 同記事では「キャンベラ在住の歴史家ロバート・パイパーさん(59)」が戦死者の名称確認作業に尽力されたことも簡単に伝えている。 日経の記事では銘板に記された兵士の関係者の話が中心になっていた。 広島市から参列した山崎光子さん(91)は「戦

  • 昭和天皇靖国参拝発言、雑感: 極東ブログ

    昭和天皇靖国参拝発言について簡単に思うこと書いておきたい。最初に疑問に思ったのは、この文書の出現の経緯である。私が見た最初の報道は日経”昭和天皇、A級戦犯靖国合祀に不快感・元宮内庁長官が発言メモ ”(参照)であり、それには次のように「日経済新聞が入手した」とある。 昭和天皇が1988年、靖国神社のA級戦犯合祀(ごうし)に強い不快感を示し、「だから私はあれ以来参拝していない。それが私の心だ」と、当時の宮内庁長官、富田朝彦氏(故人)に語っていたことが19日、日経済新聞が入手した富田氏のメモで分かった。 その後、朝日新聞”昭和天皇「私はあれ以来参拝していない」 A級戦犯合祀”(参照)でも見かけ、ネットで読む分にはこちらのほうが記事の量は多い。が、出現の経緯について触れていなかった。富田朝彦氏の親族からどのように報道機関に流れたのかについてジャーナリズムは沈黙しているように思えるのが訝しい。あ

    Ereni
    Ereni 2006/07/23
    松岡洋右 コメント欄 けろやん。何やってんだ。
  • 「奮って御参加下さい」とか: 極東ブログ

    学力低下問題にはあまり関心はないのだが、今日の読売新聞社説”[読み・書き・計算]「基礎学力向上への指導法を探れ」”(参照)の次の話にはちょっと首を傾げた。 「挙手」を「けんしゅ」と読む(小5)、「奮って」を「奪って」と書く(中3)などの誤答も多かった。 「挙手」を「きょしゅ」と読めたとしてその意味がわかるということではないだろう。その意味がわかるということは、ただ「手を挙げる」と解することに加え、「では、賛成のかたは挙手をお願いします」といった日語の状況を理解しないといけないはずだ。 というところで、「手を挙げる」と書くべきか、「手を上げる」と書くべきか、をきちんと学校では教えるのだろうか。「手を上げる」と書かせておいて、「挙手」をそれと並行で教えるとしたらそれは矛盾してないか。 とかいいながら「手を挙げる」ではなく「手を上げる」と書くべきだろう。では、「挙手」はどう教えるのか? そうい

  • 北朝鮮問題でのロシアの影: 極東ブログ

    エントリの前に。ココログが先週末から事実上利用不能状態に陥っている。そして今週は大規模メンテナンスということで、事実上エントリアップが不能になる。もしかすると、ココログ自体が終了ということになるかもしれない。 北朝鮮のミサイル実験問題については、現時点では、先日の「極東ブログ: テポど~ん」(参照)に加えることがあまりないのだが、九日付けのテレグラフ”Russia secretly offered North Korea nuclear technology”(参照)が多少気になった。以下、話は陰謀論臭いのでそのあたりは適当にフィルターして理解していただきたい。 テレグラフでの話は標題のとおり、「ロシアが秘密裏に北朝鮮に核技術を提供していた」ということで、北朝鮮のミサイル技術の背景にも旧ソ連(ロシア)があるのだがそこに直結しているわけではない、とりあえず。核技術以外にはIT技術での繋がりは

  • [書評]心の探究(佐々木孝次): 極東ブログ

    佐々木孝次「心の探究」(せりか書房)はアマゾンではもう見かけなかった。文庫化していることもないと思う。初版は一九八〇年なのでそう古いでもなく、古書店などでは比較的容易に見つかるだろう。サブタイトルに「精神分析の日記」とあるように、ラカン派の著者がフランスでラカン派の精神分析を七十二回に渡り受けていた足かけ二年を扱っている。 私は折に触れてこのを読み続けてきた。そうしなければならない内的な理由があるからだ。この以外では出会うことのない恐ろしいインサイトに自分の精神を晒さなくてはならなかった。気が付くと、今の自分が佐々木が分析を受けていた年齢を超えている。 精神分析とは、単純に言ってしまえば、疑似科学であろう。そこで終わりとなればいいのだが先日のニューズウィークに蘇るフロイトの記事があったが(それはそれなりに浅薄なものだったが)、フロイトはそう容易く葬り去られはしない。理由はある意味で

    Ereni
    Ereni 2006/07/08
    精神分析
  • 橋本龍太郎の死、雑感: 極東ブログ

    龍太郎が死んだ。享年六十八。平均寿命から考えると十年は早いような気もするが、古来希なりとする七十に手が届くくらいまで生きたら幸運の部類だろう。 橋龍太郎は、死なれてみてると、印象としては「晩節を汚す」という感じか。汚職と中国女性スパイのスキャンダルを払拭する間もなし。それも政治家としては無念だったろうが、そういう世間の悪評というより、彼自身の一番の無念は一九九八年参議院議員選挙の敗北を受けて辞任を表明したことだろう。ここで人生の勝負は決まった。二〇〇一年、森総裁後任の自民党総裁選に出馬して小泉に負けたのは滑稽というか悲哀というかよくわからん。勝ち目があると思ったのだろうか。 九八年参院選敗北の理由は失政である。結果として失政になったということかもしれないのだが。 橋は前年公共投資を削減し、国債の発行額を減らした。歳出削減である。同時に、消費税を三%から五%に引き上げ、二兆円の所得減

    Ereni
    Ereni 2006/07/02
    橋本龍太郎
  • 韓国人拉致被害者金英男さん会見、雑感: 極東ブログ

    私は自分の関心の持ち方ということから言えば、北朝鮮による拉致事件そのものにはそれほど関心はない。国際政治的に見れば、北朝鮮のミサイル核武装化や中国への難民の問題のほうが大きいし、人道的に見ればこの独裁政治の被害にあっている北朝鮮の人々が優先的な課題に思える。あまり指摘されていないような気もするのだが、北朝鮮から中国へ逃げた人はなぜか脱北者と呼ばれているが、これは明らかに難民であり、難民であれば国際的な規定に中国は従わなければいけないし、国際社会は中国を従わせなくてはいけない。ダルフール危機問題でも思うのだが、なにか日のジャーナリズムは意図的なのか、人道問題の基のネジが抜けているような気がする。が、それはさておき。 韓国人拉致被害者金英男さんの会見だが、あまり映像を見ない私でもさすがに見かける。映像で伝えられることは予想された以上はないのだが、それでも北朝鮮という国の残酷さというものが伝

    Ereni
    Ereni 2006/06/30
    これも素朴な感想ですが、拉致被害者が日本に戻ってきた時、なぜ女性が美人ばかりなのかと思った覚えがあります。田口八重子さんも美人ですし、偶然にしてはちょっとと、漠然と思うことがあります。
  • 戦争犯罪としてのダルフール危機: 極東ブログ

    話は少し古くなるのだがこの間日の報道や人道問題に関心を持つブロガーの動向などをブラウズしても話題になっていないようなので、やはりここで書くしかないのだろうか。 話は、戦争犯罪としてのダルフール危機の問題である。私はダルフール危機の質はジェノサイドではないかと考えている。ジェノサイドは集団虐殺とも訳されるが、genocideの語源から考えても欧米では語感があると思うが、特定の民族への組織的な抹殺である。日人の場合、人道に関心があると思われる人たちですら、massacre(虐殺)との区別が付かない、あるいは区別を曖昧にしたいと意図する人たちが多いようなので困惑する。 ダルフール危機の質がジェノサイドであるとするなら、ポイントは組織的な殺害であることと民族の特定である。前者については、スーダン政府が関わっていることはすでに覆うべくもないことだが、後者については難しい問題があった。ダルフー

    Ereni
    Ereni 2006/06/27
    バシル大統領はダルフールに国連平和維持軍が投入されることへの拒否をエスカーレートさせ、こうした政策を推進しているのは新植民地主義者だと言い、ユダヤ人組織を非難している。
  • 極東ブログ: 貧乏について

    雑談。このところ、時折貧乏について思う。貧乏といっても、世代によってすごく感受が異なるのではないか。私は昭和三十二年生まれなので、ある意味で上の世代のすさまじい貧乏を知らないと同時に、下の世代のように、おや?この人たちは貧乏というのを知らないかと思うこともある。もっとも貧乏は世代の問題じゃないというのもあるだろうが、世代の問題というのもある。床屋談義に向いている。 私はたぶん最古参のネットワーカーだと思うがネットに触れたとき、ほぉ文学なんて恥ずかしいものを読んでいる人が広い世間にはやっぱりいるのだと思った。身近な周りにはいなかったし、というか世界って広いもんだ、東京には出てみるべさ的な感じがした。そうした中で十歳も上の世代の人の交流もありいろいろ伺ったが、なんというかなにかと貧乏だな、この人たちと思った。けっこう中流家庭の人でもなんか世代的な貧乏なのである。コッペパンにマーガリンを薄く塗っ

  • Don't be evil. 邪悪になるな。: 極東ブログ

    Don't be evil. 邪悪になるな。ということだが、Googleという会社のモットーである。DO NO EVILのマントラとも言われる。英語版ウィキペディアにも項目がある(参照)。「ザ・サーチ グーグルが世界を変えた」(参照)などからよく知られているところだが、さっき届いた日版ニューズウィーク記事”IT業界の優等生はどっちだ(Actions and Intentions)”にも簡単に由来が書かれている。 グーグルで大事にされるのは自由な雰囲気。普通の大企業のようになることを恐れたある社員は、社中のホワイトボードの隅に「邪悪になるな」という言葉を書きつけた。これが社訓となった。 正確ではないかもだが、そんなところ。そのグーグルが邪悪になった。 日語で読める記事としてはITPro”米Google,自身が「evil」であることを認める ”(参照)がある。 予想よりも早い展開だった。

  • 中国の対外武器販売が世界の紛争を悪化させている: 極東ブログ

    BBCが十一日付けのニュース記事”China arms sales 'fuel conflicts' ”(参照)で、中国の対外武器販売が世界の紛争を悪化させているとするアムネスティ・インターナショナルの報告書を取り上げていた。国内ニュースが出ないようなら、また日のアムネスティが例によって中国に配慮してか取り上げないようなら、少し極東ブログのほうに書こうかと思っていた。が、共同”中国の武器輸出非難 アムネスティ報告書”(参照)でベタ記事になっているようだ。 同団体は、兵器の輸出入データを国連に提出するよう促す「国連軍備登録制度」への参加を中国が拒否していることなどを批判。武器輸出の情報公開に向け「国連安全保障理事会の常任理事国、また主要な武器輸出国としての責務を果たすべきだ」と指摘している。 とりあえずそれだけ書いてあればマシなほうかな。ほいじゃ、今日のエントリはなし、とも思ったのだが、な

  • 社会保険庁による国民年金保険料の不正免除問題がわからん: 極東ブログ

    社会保険庁による国民年金保険料の不正免除問題について私はよくわからないし、ブロガーにはakazawa namiさん(参照)のように専門家もいらっしゃるのだし(特に「社会保険庁改革案の成立と施行規則改正をめざせ」(参照))、特に私なんぞが言うことはないでしょ、と思っていた。今でもそう思っているのだが、ブログだしな、「わかんないよ」と言ってみてもいいかもしれない。 わかんないのは私だけではないようだ。鳥越俊太郎もわかんないと言っていたらしい。話の枕にJANJAN記事”国会ウオッチ!・国会NOW:「偽造」は、やはり悪い 社会保険庁問題”(参照)を引く。 社会保険庁の国民年金保険料免除「偽造」の問題は、制度が難しいと思われているためか、一般に理解が十分でないようである。というも、5月29日朝、テレビ朝日の情報番組で、コメンテーターの鳥越俊太郎氏が不正免除について「なぜ悪いのかわからない」と発言した

    Ereni
    Ereni 2006/06/12
    前半、ほぼ同じ様な事考えていたなあ。てかnamiさん、その話は関係ない(苦笑)
  • 李鍾郁WHO事務局長の死を悼む: 極東ブログ

    李鍾郁WHO事務局長について私がよく知っているわけではないし、このブログもいつまで残るかわからないが、記しておきたい。彼は国連傘下の国際機構を率いる長としては韓国人として初の人であった(加盟国選出)。スイス・ジュネーブのカントン病院で二十二日、死去。享年、六十一。 国内ニュースとしては産経新聞”「ワクチンの皇帝」、WHOの李事務局長が死去”(参照)が詳しい。 世界保健機関(WHO)の李鍾郁事務局長が22日、ジュネーブ市内の病院で死去した。61歳。WHO総会に参加中の韓国代表団関係者らが明らかにした。李氏は21日、脳出血の手術を受けたが、意識が戻らなかった。李事務局長は感染症対策に尽力したことで知られ、「ワクチンの皇帝」との異名をとった。最近は世界的な蔓延(まんえん)が危惧(きぐ)される鳥インフルエンザ対策にも精力的に取り組んでいた。 過労もあったと言われる。 夫人は東京都出身の日人鏑木玲

    Ereni
    Ereni 2006/05/30
    李鍾郁 慶州ナザレ園
  • 多分、胡錦濤の屈辱: 極東ブログ

    中国とバチカンの争いについて少し書いておきたい。まず前提となるのは中国における宗教の扱いだが、ざっくりと言えば信教の自由はない(憲法上はあることになっているが)。というのも宗教活動は中国政府の公認を必要とするからである。日人などの考えからすれば、まず宗教団体がありそれが政府に公認を求めるといった図を描きがちだが、そのあたりの宗教団体側の主体性というものがまず根底から否定されていると見ていいだろう。 中国のカトリックは、国家公認の「天主教愛国会」と「天主教主教団」がある。後者のほうがより中国に批判的ではないと言われているが、その違いについては私はわからない。昨今の話題としては天主教愛国会になる。同会は四月三十日と今月三日、雲南省昆明教区と安徽省蕪湖教区について新司教の任命式典を開催した。多少世界史というか西洋史に関心がある人ならバチカン側からの命令と考えたくなるが、この任命(人選)は天主教

    Ereni
    Ereni 2006/05/30
    一度和解にかなり近付いた時、中国が北京オリンピックで和解を大々的に演出することも考えているようだという報道を見て、うんざりした事を思い出しました。中国にとっては、全てその程度の認識なんでしょうが。
  • オウム事件のころをまた思い出す: 極東ブログ

    オウム事件とその余波についてはこれまでも書いてきたし、あらためて書くこともないような気がしていたが、このところまた多少気になることがあり、その無意識のひっかかりにぼんやりと思いに沈んでいた。うまく書けることではないし、黙っているほうが賢いのだろうが、この問題のとてもタッチーな部分で書くことを促すものがある。いや、促されるものがあるというべきだろう。あるブロガーの力でもあるが。 ひっかかりは、こういう言い方も誤解を招くだろうが、とりあえず島田裕巳問題としよう。もう古い話になるのかと思うが、宗教学者島田裕巳が当時上九一色村のオウム施設を見てその陰謀を看破できず結果としてオウムは安全だとお墨付きを与えたかのようなできごとがあった。このため彼は社会的なバッシングを受けることになった。私はこのバッシングに与するものではない。また、率直に言って島田裕巳を宗教学者としてはそれほど評価はしていない。が、こ

  • アルメニア人虐殺から90年: 極東ブログ

    ではそれほど関心が寄せられなかったが、この24日、第一次世界大戦中、当時のオスマン・トルコ帝国領土内として起きたとされるアルメニア人虐殺事件から九〇周年の催しが世界各地で開催された。 日語で読める関連記事としては朝日新聞”アルメニア人虐殺から90年 パリなどで追悼の催し”(参照)があるがあまり詳しくない。アルメニアの首都エレバンでの追悼集会の模様は、英語だがCNN”Armenians mark Ottoman killings anniversary”(参照)も参照されるといいだろう。ハリウッドでの催しはAP”Armenian Americans march in Hollywood remembering mass killings”(参照)などが伝えている。 ハリウッドといえば映画だが、カナダ映画「アララトの聖母」を通して、初めてアルメニア人虐殺の史実を知ったという人も少なくはな

    Ereni
    Ereni 2006/05/11
    アルメニア人虐殺
  • 幻想のクルディスタン、クルド人: 極東ブログ

    クルド人問題に触れる。非常に難しい問題だし、極東ブログの姿勢などに政治的な一貫性を期待しているむきもたぶんないだろうが、イラク・シーア統治を述べたところで、ポロっと「シーア派を使ってクルド人を抑制するほうがいい」という趣旨の音を言ってしまった手前、補足しておきたい。「音」というが、心情としては音でもない。クルド人の歴史を見ると胸が熱くなる。クルド人が望むように支持してあげたい、そのほうがいいではないかという思いも強い。だが、なのに先のポロが出る背景を書いておきたい。 クルド人問題について、ネットではどんな情報が飛び交っているのか見ると、「クルド人問題研究」(参照)という良質なサイトがあった。内容を見るまえに参考文献とあるので、それを見たほうが見識がわかると思って見ると、国内文献が多くしかも新しいので、研究者ではないのかと多少落胆した。非難しているわけではない。専門家のサイトを期待しす

  • 老人の風貌: 極東ブログ

    今日で連休は終わり。天気図を見ると低気圧が日を縦断しているようなので関東などは午後には少し荒れるかもしれない。今日東京に帰る人たちは少し難儀するだろうか。話は、前回の「極東ブログ: 連休の感想」(参照)の続きのような話。あまり意味のない雑談である。しいて言えば、老人の風貌について。 リュックサックを背負った老人の列を、醜い、見られたもんじゃないと書いたところ、コメント欄などで、誰に迷惑をかけているわけじゃない、いいじゃないか、そういう批判はすべきではないというふうなコメントを貰った。という理解は誤解かもしれないが。 ブログをしながら思うのだが、エントリよりもいただいがコメントが優れていることが多い。特に特定の専門領域に関わることなどで識者の適切なコメント、しかもマスメディアには出にくい貴重なコメントをいただくことがあり、それはなんというか、そういう声が出る場であることにブログの意味がある