一読者がした深読みを、「つまり作者はこう言いたいに違いない」と言いきってしまうようなことを何と表現するのかわからない。 作者にそんな意図はないにもかかわらず、読み手が勝手に深いメッセージ性を見出したりこじつけたりし、その個人的解釈を作者の思いと混同してしまい、「この作者は作品にこんなメッセージを込めているに違いない」と言い切ってしまうアレ。 深読みでも歪曲でも代弁でも違う気がする。ストローマンもちょっと違うかな。 しっくりくる表現が思い浮かばない。文章もうまくまとまらない。
一読者がした深読みを、「つまり作者はこう言いたいに違いない」と言いきってしまうようなことを何と表現するのかわからない。 作者にそんな意図はないにもかかわらず、読み手が勝手に深いメッセージ性を見出したりこじつけたりし、その個人的解釈を作者の思いと混同してしまい、「この作者は作品にこんなメッセージを込めているに違いない」と言い切ってしまうアレ。 深読みでも歪曲でも代弁でも違う気がする。ストローマンもちょっと違うかな。 しっくりくる表現が思い浮かばない。文章もうまくまとまらない。
2017 - 03 - 15 深く突き詰める事こそ正義という風潮 読書の話題になった時、作家で誰が好き?という話になれば私は必ず「 東野圭吾 」と言うようにしている。そして相手はどういう反応するのかな?と観察する。そこで「えー!私あれ嫌い!」と言う人、「 東野圭吾 読みやすくて良いよね!」という人、バカにしたように「あぁ...(笑)」と言いながらこの作家を読まないと読書する意味など無いと自分の好きな作家の話を始める人に分かれる。嫌いなのは好みなので構わない。そして私も 東野圭吾 が滅茶苦茶好きかと問われればそうでもないが好きなのは好きだ。時間があまり無くて読みたい本が無ければサラッと読めるので手に取ることは多々ある。問題は私が好きだと言っているものを「それダメ」と否定してくる人間である。 はぁ? 音楽でもある。色々なアーティストがいる中で、私が好きなアーティストは必ず「 THE BLUE
私はかつて差別主義的なケモナーだった。 ご存知のようにケモナーには様々な派閥が存在する。 メスケモ派、オスケモ派にはじまり、マッチョ派、モフモフ派、デブ派、ショタ派(なぜかロリはほとんど見ない)、モンスター派(極左人外連)、トランスファー帝国、肥大化公国、融合辺境伯領、ロイヤル竜奇兵連(ドラゴナーズ)、爬虫人類委員会(レプタリアンズ)、キグルミ派、母性探求派、海生動物会議(「海の人々」)、四ツ足派だけどズーフィリアじゃないもん派(愛ケモ主義的極右)、丸呑みだけが人生だ派、卵胎生出産教会、インターレイシャル(人×ケモ)派、反インターレイシャル派…… 「天はケモナーの上にケモナーを造らず、ただし、ケモナーの横には無限のケモナーを造った」 とは近代日本における先駆的ケモナー、福沢諭吉の名言である。 産業革命以降の通信技術の発達は、孤独だったケモナーたちに「同好の士」を発見する機会を与え、ファンダ
コンビニと幼児用オムツについて調べた漫画を描きました。 https://t.co/TMccUhrCZk
よく耳にする諺に「勝って兜の緒を締めよ」というものがあります。戦い勝っても油断せずにさらに用心が必要である、という意味です。大切なことである反面、そればかりやっていると、喜びの感情を置き去りにしてしまいます。 結果がでるまで、喜んではいけない? 最近、嬉しいできごとがあったときのこと。そのときのことを後から振り返ってみると、あまりその場で喜びを表現しなかったなぁと思います。それは今回に限ったことではなく、今までもそういう傾向があります。嬉しいできごとがあっても、喜ぶ前に、速攻で兜の緒を締めてしまうのです。 「まだまだこれから」 「これからしっかりしないと」 「もっとこうすればより良かったかもしれない」 という具合です。 この傾向は、自分だけではく、周囲にも感じます。例えば、スポーツの試合での勝利インタビュー。優勝会見を除き、満面の笑みで喜んでいる姿をあまり見かけません。 「まだまだ初戦なん
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