タグ

ブックマーク / www.sinseihikikomori.com (2)

  • 捏造しキチガイ呼ばわりし誹謗中傷を行い逃げた挙げ句、俺は攻撃されたと言う24時間残念営業

    24時間残念営業の人には、キチガイと言われた事がある。 そのやり口があまりにも下劣だったのでよく覚えている。 24時間残念営業の何某は、僕が書いたブログのエントリーを取り上げて、「インターネットでは多くの人がこれを書いた奴はキチガイだと言っている」と書いたのだが、そんな発言はどこにも存在していなかった。件のエントリーを指して僕を気違いと呼んだのは24時間残念営業の人、ただ1人だけである。 たとえば誰かが、僕の事をキチガイと言うならば、それは全然構わない。そう思うのならそう言えばいい。そう書きたいなら書けばいい。好きにすればいい。インターネットとはそういうものだ。僕の事を気違いだと思う人が居ても、なんらおかしな事ではない。思った、書いた、というのなら誰でも勝手にやればいい。自由である。しかし24時間残念営業がやった事は、思った、書いた、というのとはまったく違う、別の話である。 「キチガイと言

  • 誰がブログを殺すのか。

    幾つかのブログの真性引き篭もりに対する言及を見ていると、頭が痛くなってくる。 かつて、俺たちはインターネットだった かなり名の知れたブロガーでさえ、この程度の事しか書かない。 だから僕はこんな糞エントリーを書かざるをえない事態に追い込まれた。 菊千代は死んだ。 なぜだ。 菊千代は死なない。 なぜか。 「菊千代はなぜ死んだのか。」 その問いに対する回答は、完結にして明瞭である。 映画だからだ。 映画だから菊千代は死んだ。 映画だから菊千代は死んだのだ。 映画であるが故に菊千代は殺されたのである。 誰が菊千代を殺したのか? 愚問である。黒沢明である。 黒沢明に殺されたのである。 即ち、菊千代は死なない。 ここは映画ではない。 即ち、菊千代は死なない。 黒澤明はもういない。 黒澤明は死んでしまったのだ。 それでも僕等は生きている。 生きているから生きねばならない。 ブログを書いて、生きねばならな

    Erlkonig
    Erlkonig 2011/11/27
    物語への苛立ち。
  • 1