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ブックマーク / fullkichi1964.hatenadiary.org (2)

  • 名レフリー山本小鉄なればこそ抑えきった新日テレビ中継史上最大の修羅場〜もしくはダイナマイト・キッドの悲劇の始まり。 - ふるきちの、家はあれども帰るを得ず。

    日、山小鉄さん5周忌につき、当ブログ緊急再開(まあ休止していたわけでもないのですが・苦笑)。 例によって、以下駄文ツイート転載。 >日、山小鉄さん5周忌。「あっ、ちょっと待ってください!」の著書を持つ名解説者として知られた小鉄さんですが、プロレスラーとしてはこれまた故人となった星野勘太郎さんと組んでのヤマハ・ブラザーズで活躍し、そしてもう一つ、新日プロレスきっての名レフリーとしても知られていたのは(続) >言うまでもないところ。特にレフリーとしての小鉄さんはスペシャル感がありましたね。ミスター高橋さんや故・柴田勝久さんとはまた一味違う(スミマセンw)重厚感があった。場外カウントを数えるときにマイク使って「イレブン!…トゥエルブ!!…」と数えるときの重々しさと言ったらね…(続) >「この試合は小鉄さんが裁くんだ」と知っただけでも、そのカードに特別感が加わる趣があり。その山小鉄さん

    名レフリー山本小鉄なればこそ抑えきった新日テレビ中継史上最大の修羅場〜もしくはダイナマイト・キッドの悲劇の始まり。 - ふるきちの、家はあれども帰るを得ず。
    FUKAMACHI
    FUKAMACHI 2015/08/28
    おもしろい。割ったビール瓶で小鉄やタイガーを刺そうとするキッド。かつてのリングにはシャレにならない殺気があった……。
  • ゴッチについて書き留めておくべき二つのこと。 - ふるきちの、家はあれども帰るを得ず。

    逝去から3日経った今でも気持ちの整理がつかずにいる。 その昔、75年の猪木対ロビンソンの立会人として初めて「カール・ゴッチ」という名を認識して以来30年以上ゴッチ関連の記事を読みあさってきた一フアンとして、書き留めておかねばならない二つのことを記しておく。 (1)昭和40年代前半(1960年代後半)すでにゴッチ人気は凄まじいものがあったということ。 よく「猪木がゴッチを神格化しなければゴッチはただの隠遁者として世を終わっただろう」というような意見が見られるが、これは必ずしも正しくない。 昭和40年代前半の月刊ゴングのバックナンバーあたりを見れば分かるが、新日プロレス旗揚げ以前にして既にカール・ゴッチは日のフアンに熱狂的に支持されていたのである。 昭和43年インターナショナル王者として不動の地位を確立していた馬場に、ゴング編集部(竹内宏介氏?)がいくつかの提言をしており、その中で「基礎体

    ゴッチについて書き留めておくべき二つのこと。 - ふるきちの、家はあれども帰るを得ず。
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