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漢字に関するFeZnのブックマーク (398)

  • しんにょうの点の数はいくつ?: ほぼ文字についてだけのブログ

    トナン・大熊肇の(ほぼ文字についての)覚え書きです。 充分に検証していないこともありますので、眉につばをつけてご覧ください。 連絡先:hajimeアットマークtonan.jp(「アットマーク」を「@」に変えてください) 『文字の骨組み』2刷の間違いとご指摘 『文字の骨組み』初刷の間違いとご指摘 『文字の組み方』訂正箇所 先日、府川充男さんに「大熊君、に『しんにょうの点は、くねる1点かくねらない2点』って書いてたけど、弘道軒清朝とか漢籍の版には2点でくねる字あるよね」とするどいご指摘をいただきました(汗) 「くねる2点しんにょう」については、手書きの字にはほとんど出てこないので、例外ってことででは割愛したんですが、もうちょっとくわしく書きます。 弘道軒清朝の四号のしんにょうの部首の字種です。 「くねる1点しんにょう」と「くねる2点しんにょう」が混ざっています。 もう一度、古代文字から見

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    FeZn 2008/05/13
     つくづく『書』って三次元なのだなぁと思考展開してしまう。
  • http://mainichi.jp/enta/art/news/20080513k0000m040122000c.html

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    FeZn 2008/05/13
  • 何種類もある「旧字体」(1) - もじのなまえ

    うっかりしたことに、今まで「戦前の人たちはどのような字体で書いていたのか」ということについて、あまり真剣に考えていませんでした。戦前? 旧字体でしょ、と。当はそんなに簡単なものじゃありません。そもそも「旧字体」として括れる明々白々とした単一の集合はないのです。そんなことを大熊肇さんの『tonan’s blog』は気づかせてくれました。感謝。 上記リンクで述べられているように、この「戦前の人たちはどのような字体で書いていたのか」という問いかけに、もっとも熱心に答えているのは江守賢治さんでしょう。この方は文部省在籍当時は書写、書道、美術の教科書調査官を務め*1、退職後は日習字普及協会で習字教育の指導にあたっておられる方。書家でもあります。著作も多いのですが、さしあたり入手しやすいものとしては『楷行草 筆順・字体字典』、それから短く端的にまとまっている『硬筆毛筆書写検定理論問題のすべて―文部

    何種類もある「旧字体」(1) - もじのなまえ
  • 字体インタビュー: ほぼ文字についてだけのブログ

    トナン・大熊肇の(ほぼ文字についての)覚え書きです。 充分に検証していないこともありますので、眉につばをつけてご覧ください。 連絡先:hajimeアットマークtonan.jp(「アットマーク」を「@」に変えてください) 『文字の骨組み』2刷の間違いとご指摘 『文字の骨組み』初刷の間違いとご指摘 『文字の組み方』訂正箇所 Kさん 性別:女性 終戦時の年齢:満11歳(昭和9年生まれ) テスト後のインタビュー 私:「衛」はこう書いていたんですか? K:そうです。 (明朝体の旧字体を示して) 私:こんな字じゃなかった? K:そんな字は書いたことないです。 私:「横」はこういう字だったんですか? K:そうです。 (明朝体の旧字体を示して) 私:こういう字じゃなかった? K:そんな字は書いたことないわ。 私:「穏」はこう書くんですか? K:そうだと思うんですけど。 (明朝体の旧字体を示して) 私:ここ

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    FeZn 2008/05/07
     あー。このフォーマット欲しいな。(今は無理だけど“GHQと仕事をした男”にインタビュウしに行けるかもしれない)
  • 野嵜さんのご教示まとめ: ほぼ文字についてだけのブログ

    トナン・大熊肇の(ほぼ文字についての)覚え書きです。 充分に検証していないこともありますので、眉につばをつけてご覧ください。 連絡先:hajimeアットマークtonan.jp(「アットマーク」を「@」に変えてください) 『文字の骨組み』2刷の間違いとご指摘 『文字の骨組み』初刷の間違いとご指摘 『文字の組み方』訂正箇所 野嵜さんのご教示をまとめます。 まず新鮮だったのは、 「明治期から昭和初期にかけては筆記字体と印刷字体の区別はない」 というご指摘です。 考えにいれなければならないのは筆記具の変化です。 僕は「手書き=筆書き」と考えてしまいますが、明治からは鉛筆が使われます。江戸時代までは寺子屋で読み書きを覚えるのに最初から筆を使いましたが、明治以降はまず鉛筆で文字を習う。 僕は鉛筆で書いても無意識に筆脈や筆勢を再現してしまいますが、もし硬い芯を入れたシャープペンシルやロットリングなどの製

  • 筆記体と正字体03: ほぼ文字についてだけのブログ

    うーん、魅力的な説ですが、ちょっと疑問があります。 古典籍は専門外なので間違っていたらどなたかご指摘いただきたいのですが、版では版面の上部余白(天頭とよびます)が比較的大きく空いていて、読者はここに気づいたことを書き込みます。有名な学者の書き込みなどは、それ自体に価値があるので、後日これを註として文に取り込んで出版されたりします。そこまでいかなくとも、こうした書き込みに価値があるは多いので、題目の後に「○○蔵」などと付けて称されるわけです。 申し上げたいのは、この例が示すように版において天頭というのは文とは言わば別世界の扱いでして、だから康熙字典諸の篆書というのは、版元がつけた「おまけ」であり、これを文と同一視するのは危険ではないかと思うのです。 実際、このエントリの2番目の「『康煕字典』初版」(余談ですがこの、上海古籍出版社版王引之校改と同じ版木であるように思いますが

  • 旧漢字の書き取り本 - FeZn/Firework/inVox

    コンセプトも作りもOKだと思う。 ただし疑問点いくつか。 代表例 ・p221、字。あってない気がする。気のせい? ねむくてよくワカラヌが…… しまらない、気がする。 あと、件の「2点シンニョウ」とか…… (資料調べなければ。)

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    FeZn 2008/04/28
     あとでexblogに書くための資料その1
  • 正字を書いていない正字の提唱者: ほぼ文字についてだけのブログ

    「等慈寺碑」顔師古(581~645年) 顔師古は唐代の正字を定める元になった『顔氏字様』の著者なのだが、彼が書いた「等慈寺碑」には正字が書かれていない。 『顔氏字様』を参考にしてつくられた『干禄字書』は、顔師古の子孫の顔元孫(7~8世紀)がまとめたものだが、「等慈寺碑」にある「聡」は、『干禄字書』の最初に出ている通字だ。「目+月」の「明」も通字。 『干禄字書』顔元孫文 顔真卿書 顔元孫(7~8世紀)を子孫の顔真卿が紹興年間に書いたもの。 字体をはじめて「正・通・俗」に分けた。 「開成石経」開成2年(837) 「周易」「尚書」「毛詩」「周礼」「儀礼」「礼記」「左氏春秋」「公羊春秋」「穀梁春秋」「孝経」「論語」「爾雅」の十二経を正字で著したもの。

  • 500ポイント献呈。ナゾナゾ漢字の答え教えてください。…

    500ポイント献呈。ナゾナゾ漢字の答え教えてください。 困っています。 友人から、下記URL画像のような二次熟語(?)を「読める?」と聞かれたのですが、 皆目わかりません。Google先生にも聞いてみたのですが、先生も「自分で考えなさい」と 突き放すばかりで、正直困っています。 おそらく普通の漢字ではない創作の漢字だと思うので、ウルトラC的な発想を しないといけないと思うんですが、僕にはお手上げです。 正答っぽいのをお答えいただいた方には500ポイントを進呈いたします。 宜しくお願いします。 (問題画像) http://d.hatena.ne.jp/images/diary/t/tamahoso/2008-04-24.gif 追伸 僕の貧困な発想力では、以下のようなイマイチな回答を思いついたのですが、 どうみても誤読です。当にありがとうございました。 (誤答例) 上の字を「トリカエ」と読

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    FeZn 2008/04/28
  • tonan's blog: 筆記字体と正字体02

    説文解字の字体は、甲骨、金文、戦国古璽などにみつからない。 熹平石経ではすでに一部省略されている。 九経字様には説文の字体のものと、一部省略された熹平石経の字体のものの両方がある。 康煕字典には説文から一部省略された熹平石経の字体のものと、伝統的筆記体の両方がある。 文字によっては正字体にひっぱられる文部省活字も、この字種については伝統的筆記体を採用している。 正字は為政者が正当と認めた文字であって、正しい文字、という意味ではない。正当の根拠は説文解字である。 現在の当用漢字、常用漢字も為政者が認めた文字だが、正当の根拠がない。 当用漢字字体表の字体が伝統的筆記体とすべて一致するわけではない。この字種については一致しているだけである。

  • Re: 「昔は旧字体で書いていた」なんてウソだ! - fuzzy Weblog@hatena (更新終了)

    1949年、当用漢字字体表が発表され新字体が採用された。 これによってそれまで使われていた字体は、旧字体とか旧漢字と呼ばれることになった。 ただしこれは印刷についてのことである。 当用漢字字体表の発表前には、印刷字体と手書き字体は違うものだったのである。 「昔は旧字体で書いていた」なんてウソだ!: ほぼ文字についてだけのブログ(tonan’s blog改) コメント欄も含めて興味深い展開となっています。 この種の議論では、用語の定義をきちんと詰めて合意しておかないと話が噛み合わないものなので、そのためにも根拠となる文書を共有できる形にすることが重要です。個別的・特殊的な事例から一般的・普遍的な規則であるとする主張はいわゆる帰納法としかみなされないことがあるので、十分に裏づけとなりうる情報をオープンにしておく必要性が高いです。このようなときにMyOpenArchiveは活用できるのではないか

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    FeZn 2008/04/28
  • サービス終了のお知らせ

    サービス終了のお知らせ いつもYahoo! JAPANのサービスをご利用いただき誠にありがとうございます。 お客様がアクセスされたサービスは日までにサービスを終了いたしました。 今後ともYahoo! JAPANのサービスをご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。

  • 筆記体と正字体-01: ほぼ文字についてだけのブログ

    トナン・大熊肇の(ほぼ文字についての)覚え書きです。 充分に検証していないこともありますので、眉につばをつけてご覧ください。 連絡先:hajimeアットマークtonan.jp(「アットマーク」を「@」に変えてください) 『文字の骨組み』2刷の間違いとご指摘 『文字の骨組み』初刷の間違いとご指摘 『文字の組み方』訂正箇所 筆記体と正字体で異なる字を順番にあげていきます。 篆書の時代にあった「工」は紀元前にすでに失われていましたが、唐代に説文解字に倣って正字としてよみがえりました。この正字は皇帝からの問いに対する答えなど限られた用途にしか使われませんでした。 日には伝統的な筆記体が伝わりました。 清代にまたしても説文解字に倣って康煕字典の文字が作られました。この字体は明治以降、印刷字体として採用されました。文部省活字にも採用されていますから、昭和初期には手書き字体としても流通していたのかもし

  • 1950年代初頭に略字体が一般的に使われていたことの意味 - もじのなまえ

    さて、先日の発表を粗っぽくまとめると、「1950年代初頭には表外字に略字体が、かなり使われていた」ということになりましょうか。ここで「かなり」と書きましたが、具体的には新聞社のうち朝日新聞、印刷会社のうち大日印刷について、明確な資料があるということです。つまり「略字体が主流だった」とまで言っている訳ではない。しかし無視し得ないほどの広さで使われていたとは言い得る、そんなところです。この「かなり」をもう少し精密に計測したいところですが、今後まだ資料は出てきて、範囲はもう少し広がるような感触を持っています。 ところで、この'50年代における略字体使用が、現代に生きる我々にとって、どのような意味を持つのでしょう? レジュメにも書きましたが、大日印刷では1993年にCTSラインにおける社内ルール「基文字規定」が制定されるまで、『活版の栞』にある略字体が使用されたと考えられます(活版のラインに

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    FeZn 2008/04/22
  • 異体字の世界―旧字・俗字・略字の漢字百科: ほぼ文字についてだけのブログ

    小池和夫著 すごいなんだけど、限られたページに詰め込みすぎだよ。たぶん元の原稿は3~4倍あったんだろうな。 そういうわけで初心者には少々親切じゃないかもしれないけど、内容はすこぶる濃い。お得なので是非読んでいただきたい。これをネタにして事例と図版を入れ、もうちょっと詳しい解説を入れれば数冊のができるだろう。 アマゾンに「著者の主張がない」という批評があったが、主張などなくてよい。まずは実例をあげることだ。その中から読者が考えれば良い。

  • 角川書道字典: ほぼ文字についてだけのブログ

    僕がもっとも頻繁に使う書道字典。書道を始める人がまず最初に買う字典。 「書道大字典」(1974年刊)に収録された漢字のうち使用頻度の高い7700字(異体字を含む)を親字とし、その各体6万字を収録した字典。「書道大字典」と比べ、明清人の行書が多数追加された。付録として中国書道史約述、仮名字典、書道史略年表、収載碑帖書人目録等を掲載。巻末に総画索引、音訓索引を付す。―書体字典の最高峰として書道界の評価を確立した名著、「書道大字典」の縮約・携帯版。

  • 五體字類 改訂第3版: ほぼ文字についてだけのブログ

    書道字典としてはいささか古すぎ、楷、行、草が主で隷書は隷辨のみ、篆書は説文解字しか載っていない。 だがこの字書には他の書道字典にない特色がある。唐時代の正字が掲載されているのだ。通常の書道字典には通(伝統的な字体)は載っているが正(字)は載っていない。 字体を調べるものは必ず揃えておきたい字書である。 改訂第3版は正(字)がより補強されている。

  • 字体変遷字典(姻引飲院陰隠): ほぼ文字についてだけのブログ

    トナン・大熊肇の(ほぼ文字についての)覚え書きです。 充分に検証していないこともありますので、眉につばをつけてご覧ください。 連絡先:hajimeアットマークtonan.jp(「アットマーク」を「@」に変えてください) 『文字の骨組み』2刷の間違いとご指摘 『文字の骨組み』初刷の間違いとご指摘 『文字の組み方』訂正箇所 【姻】日の明朝体も教科書体も「因」の中の「大」は右ハライがあるのに「姻」ではハラわずに止めている。 【引】旁は、隷書や草書まで湾曲しているのだが、なぜ説文ではまっすぐなのだろうか。 【飲(飮)】甲骨文と金文では酒樽の横に人がいる。酒樽には蓋がついていて、人は口を空いているようだ。この蓋のついた酒樽がいつ「偏」にかわったのかというと、どうも篆書から隷書に移る時らしい。欧陽詢は楷書で最終画を払うものと止めるもの二種を書いている。五経文字には二種類の字体が載っている。康煕字典

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    FeZn 2008/04/22
  • 「小説新潮」オンライン連載[漢字こぼれ話]

  • 人名用漢字の新字旧字:「闘」と「鬪」と「鬭」

    新字の「闘」は常用漢字なので子供の名づけに使えるのですが、旧字の「鬪」は子供の名づけに使えません。実は、旧字の「鬪」も、昭和56年9月30日までは子供の名づけに使えたのですが、翌10月1日以降は使えなくなりました。つまり、昭和56年9月の時点では、「闘」も「鬪」も出生届に書いてOKだったのが、10月になって、「闘」はOKだが「鬪」はダメ、という風に変わったのです。旧字の「鬪」が使えなくなった背後には、「鬭」という別の旧字の存在がありました。 昭和21年11月16日に内閣告示された当用漢字表には、旧字の「鬪」が収録されていました。当用漢字表は部首画数順に漢字を並べており、とうがまえ(鬥)という部首には、たった一字「鬪」が収録されているだけでした。昭和23年1月1日の戸籍法改正で、子供の名づけに使える漢字は、この時点の当用漢字表1850字に制限されました。当用漢字表には、旧字の「鬪」が収録され

    人名用漢字の新字旧字:「闘」と「鬪」と「鬭」