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ブックマーク / www.kojinkaratani.com (1)

  • 柄谷行人【建築の不純さ】

    私は建築家でもないし、建築の理論家でもない。しかし、私が建築に関心をもつのは、プラトンが言ったように、建築家がテクネーの首領であり根元であるからというのではない。私が関心を持つのは、さしあたって言えば、それがあらゆる芸術の領域において、最も不純だからである。たぶんそれに匹敵するのは映画であろう。正確に言えば、それらが特別に不純なのではなく、他の領域のように不純さを隠すことが困難だからである。 建築は、その最もありふれた家屋の建築から、国家的・宗教的なモニュメントや都市計画にいたるまで、政治的・経済的な次元と結びついている。それは実際的な生活の必要に根ざしていて、且つ美的である。つまり、さまざまな次元がそこに輻輳している。われわれはそこから、たとえば美学的次元だけを純粋に取り出すことができない。それが美術との大きな違いである。もちろん、美術が純粋なのではなく、美術においてはあたかもそのような

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