ある調査レポートによると、待ちたい行列では遊園地の乗り物、飲食店の行列が挙げられ、反対に待ちたくない行列はコンビニのレジ、銀行窓口が挙げられているそうです。行列の先に楽しみがあると待てると感じる人が多いようで、この調査の結果を図書館の窓口にあてはめてみると、どちらかというと待ちたくない部類に入るのかと感じます。 行列が出来ていなくても最近の図書館の利用スタイルをみると自宅からインターネットで予約をして、受け取りに来るだけという人が多いのかもしれません。さらに、通勤時間が長くゆっくり本を選ぶ時間のない人にとっては、借りるだけ借りて帰りたいと思うのは確かでしょう。 ところで、カップラーメンの待ち時間3分も、単に調理時間の問題だけでないと言います。日清食品のホームページには「心理的にも人間がお湯をかけて食べられるまでの待てる時間は 「3分前後」だと言われており、「3分間」は短くもなく、長くも
昔話をしよう。 自分が小学生だった頃、図書館の仕事に興味を持った。その当時、図書館の仕事を体験しようと思ったら学校で図書委員になるしかなかった。しかし、そこで体験できる図書館の仕事といえば、カウンターでの貸出の仕事、壁新聞の作成、そして書架整理の仕事が相場だった。 図書委員として仕事をしていたある日、図書担当の先生から、寄贈本の目録カードを書いてほしいと頼まれた。その当時の自分は、正式なカードの書き方など知る由もない。先生から渡された見本のカードを手本に必死になってカードを書いた記憶は今でも鮮明に覚えている。そしてこの経験以降、目録の仕事に興味をもつようになり、図書館への憧れはますます深まったのだった。 それからというもの、近くの公共図書館の仕事を見ると、もっとこの仕事を体験したいと思うようになった。最近では、学習の一環としての職業体験があるが、その当時はいつかきっとという想いを胸に
2月に入ってから朝の寒さがより厳しくなった感じがする。庭を見ると表面の土が盛り上がり、一面に大きな霜柱が立っている。いや、霜柱と言うよりは氷柱と言った方が良さそうだ。長さは約5cmある。よく見ると見事な結晶が出来ているのがわかる。 図書館に現職で勤めているのであれば、これをどうにか持って行って展示のネタに使いたいものだが、本物の氷となると暖かい館内に置いたら数時間も持たないのは目に見えている。なので、このような写真を撮り、『しもばしら』の本などの背景にキャプションとしての写真を掲げるぐらいが精々だろう。 しかし、このような自然現象も、考え方を変えれば立派な資料となる。例えば、市内を流れる川について調べてきなさいと言われた小学生が図書館に押し寄せて、ローカルな2級河川の名前を出して図書館の職員に聞いている光景を目にする。このような時、載っているとすれば、市史や社会科の副読本ぐらいで、図書
図書館に資料を寄贈したいという申し出がある。 寄贈資料の多くは、その人が読み終えた本であり、図書館の側からみると既に賞味期限が切れた本で、さらに既に図書館で所蔵しているものである。このような本は、所蔵している本がくたびれている時の差し替え用として活用する方法が考えられるが、どちらかと言うと「枯葉も山の賑わい」という感じである。 図書館では、この寄贈資料の扱いに悩まされる。想い入れの強い本を寄贈しようとする人は開架に置くことを条件に迫る場合がある。また、寄贈数が多い場合には、寄付の申し入れ手続きで必要があるとして、寄贈金額を出さなければいけない場合もある。 しかし、元の金額がいくらだったのか、或いは現在の評価額がいくらであったとしても、図書館が資料収集方針に基づき資料を評価し、収集の対象として考えていない資料であれば、寄贈の金額はゼロ円である。寧ろ、寄贈を受け入れるために必要な費用を差
以前から「多くの人が休んでいる日こそ図書館のようなサービス施設は開いているべきだ。」という要望は強いと感じます。また、多くの人のライフスタイルに合わせ、夜間の開館に配慮したり、24時間開館の図書館などが見られるようになってきました。図書館利用可能時間はこのような要望に呼応して拡大し便利になったと喜ばれる声が多く聞かれるようになったのですが、一方でサービスの中身の提供の部分で本当に充分なものが提供できているかという点で不安を感じているのも事実です。 例えば、年末年始やお盆休みなど、長期の休みの時、図書館は「開いてて良かった」という状態なのかもしれませんが、出版社、取次などは休みのため本の供給と本に関する情報の供給はかなり制限を受けます。また、レファレンスの対応にしても、協力を求めるべき他の公共図書館や類縁期間などが休館していては充分な回答ができないことにつながります。 さらに、情報提供と
ビデオソフトが普及し始めた頃、公共図書館でビデオソフトと共にビデオデッキを貸出したという話があった。 その後再生機器の低価格化、家庭への普及により、公共図書館で再生機器を貸し出す話は聞かなくなったが、この取り組みが公共図書館の映像資料の導入の基礎となったことは紛れもない事実である。 映像ソフトの普及については、レンタルの果たした役割が大きく、公共図書館での提供は予算との兼ね合いで充実できないこと、耐久性に欠けること(特に使い方が有料のサービスと比較して乱暴で、1カ月も持たずに使えなくなる例もある)、貸出し許諾が得られているソフトの魅力に乏しいことなどにより、どちらかというと「人寄せパンダ」のような位置付けであり、図書と同列で扱う資料とは言い難い。 一方で、映像ソフトの提供は、パッケージに固定した有体物としてのソフトの形態はメディアは変化しているが不動の地位を得ているが、これに加えてイ
書店の棚づくりを参考にする。 NDC順を崩すという意味ではないが、本、雑誌、コミック、DVDを分けて考えず、カテゴリで考えて排架している様子は、図書館以上に図書館らしい棚だと思える。 例えば、クルマのコーナーを見ると以前はクルマに関する雑誌が置かれていたのだが、今は雑誌と本が同居している上、クルマを描いたコミックが並んでいる。お客様の興味の範囲によって情報を寄せる、つまり、NDCで集めていた資料を件名で集めたようなものだろう。 このような手法は、既に一部の図書館で見ることができるが、本格的に広がりが見られないのは何故か? 答えは簡単である。今の公共図書館の多くでは目録コントロールができない状態にあるからだ。目録業務が自らの手を離れている現状を見ると仕方ないことだが、棚に合わせたローカルNDC、ローカル件名を追加入力して、MARCとして供給される項目以外の排列を可能にすればいい話なので
昔話の絵本を探すお客様に出くわす度に、排列についてもっと工夫がほしいと考えてしまう。 昔話の場合、タイトルで分けても、再話、画家で分けても、どれが一番使いやすいという判断は難しい。また、昔話だけを別置するにしても、どこまで昔話として線引きするのか、その判断は難しいし、同じ話が元になっていたとしても、タイトルが全く異なる場合、例えば『しあわせの石のスープ』『せかいいち おいしいスープ』」などもある。 一番探しやすいのは、余り別置などせずに、他の絵本と同じく排列することだが、ここで思うのは、タイトルや画家名といったこれまでのセオリー通りに請求記号を与えるのではなく、例えば『ももたろう』なら基となる昔話から派生するものに対し「ももたろう」という共通件名を与えてみてはどうだろうということである。 このような共通標目を与えるメリットは大きい。有名な昔話だけでも、この標目によってカテゴライズできれ
人と資料(情報)をつなぐ何かができないか?と、問うてみる。 それも、単純に本を提供するとか、雑誌を提供するとか、新聞を提供するとかではなく、興味の入口になるキーワードを押さえ、そこから関連する情報を芋づる式に引っ張ってしまう手法で。 何かの価値を高めるために資料を提供するということ。 これまでの公共図書館の情報提供の手法と比べてみると、その違いは明白であり、また、従来型の情報提供の限界が見えてくる。 ある一つの情報自体の価値に依存していたのがこれまでの図書館。ところが、最近の状況をみると情報自体の価値が下がっている。だから、従来通りの資料提供をしてもその情報を必要とする人が減るのは当然のこと。だからという訳ではないが、魅力あるおまけを付けて情報を提供しようと考えるようになる。 最近の雑誌をみるとこのような状況がよくわかる。最近の雑誌は雑誌本体の情報を売っているのか、バッグなどの付録
最近、図書館の本のディスプレイがだいぶ意識されるようになったと感じている。 お客さまに本が目に入りやすくするという単純なことなのだが、本来、資料そのものに人を惹きつける力があること、そして、その本のある場所を説明しなくてもわかる内容であれば、ディスプレイするまでもないことでもある。ディスプレイの理由を考えると、最近の本が如何に個性がないか、いや基礎体力がないかというのだろうか?もの足りなさを感じる。 本の力はともかく、お客様との出会いがままならない本をコーディネートするのが、私たち図書館員の役割である。そのための「ディスプレイ」が必要なのだ。 いま図書館の棚は第一の進化の過程にある。 第一の進化とは、通常の並びとは関係なく、「特集」としてコーナーを設置し、テーマ(件名・NDC)で本を紹介すること。この場合、棚の余裕に関係なく比較的多くの本をディスプレイできるというメリットがあるが、反面
私たちが県庁に行って、直接何かをしてもらうということは殆ど無い。仮に何かやってもらうことがあるとすれば、市町村の窓口に行くのが普通だ。 例えば、市町村課というところでは、県下市町村を相手に仕事をしているが、市町村の住民に対し直接何かをしている訳ではないことを見ればよくわかる。しかし、図書館のサービスは、他の部署の役処と比べると明らかに違う。 図書館に関わる私たちから見れば、市町村の図書館のバックアップだとか、後方支援としての役割に期待している訳だが、普通の住民にとって見れば都道府県立も市町村立も同じ「図書館」でしかない。増してや、同じように貸出ししているとなれば尚のことだ。 これを二重行政と言われれば、確かにご尤もなところはある。ただ、前提として、全市町村に図書館があることが求められることになるが、それでも県庁所在地にあって恩恵を受ける住民の意識としては、同種の施設がダブって存在する
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