タグ

歴史に関するHaLuKaのブックマーク (2)

  • おお、その話ですか、キュウリのサンドイッチの話でしたら拙者にお任せく..

    おお、その話ですか、キュウリのサンドイッチの話でしたら拙者にお任せくだされ(早口)。 そもそもキュウリというのはインド周辺を原産とする植物でしてな、大航海時代に香料と一緒に西洋に広まりました。 日にはシルクロードを通って陸路で伝わっておりましてな、途中に「胡」の国がかつてありまして、そのルートを通って入ってきたものには「胡」の漢字を充てるのです。 胡瓜(きゅうり)、胡椒(こしょう)、胡豆(そらまめ)、胡桃(くるみ)、胡麻(ごま)、などですな。 一方で、西洋には海路を通って伝わったわけです。 当時の西洋の貴族では自宅に植物園・菜園を所有しているのが当たり前でして、ま、ま、当初は観賞用植物として広まったようですが。 キュウリのサンドイッチはそのような菜園を所有している貴族の最大限のおもてなしだったのです。 当然、そのレシピとしては午後のティータイムに合わせたシンプルなものです。 キュウリはで

    おお、その話ですか、キュウリのサンドイッチの話でしたら拙者にお任せく..
  • 高橋幸宏 音楽の歴史 | ele-king

    高橋幸宏は1952年6月6日、東京で生まれた。父は会社経営をしており、自宅は200坪の敷地に建ち(もともとは天皇の運転手が建てた家だそうだ)、軽井沢には別荘を持っていた。 後に音楽プロデューサーとなる兄に感化され、早くから音楽に親しみ、小学生のときにはドラムを始めている。このドラムという楽器を選んだ理由にはドラムの練習ができるほど広い家に住む子がなかなかいないからだったと後年明かしている。 中学生のときにはユーミンが参加することもあったバンドを組み、高校生のときにはもうセッション・ミュージシャンの仕事を始めていたのだから早熟と言うほかないだろう。ドラムのうまい高校生がいるという噂を聞きつけて大学生だった細野晴臣が会いに来たのも高橋幸宏の高校時代のこと。大学に入るとガロに一時在籍するなど、すでにプロのミュージシャンとしての道も歩き始めていた。 そんな高橋幸宏の転機となったのは、旧知の加藤和彦

    高橋幸宏 音楽の歴史 | ele-king
  • 1