守銭奴というのはパラドクシカルな存在。 本来お金というのはその金を使ってモノやサービスを買って贅沢して愉しい生活ができることが目的のはずなのに、お金を貯め込むことばかりをひたすら追い求め、爪に火をともす貧しい生活を送りながら、預金通帳の上で増え続ける数字を飽かず眺めてはニタニタ笑っている不思議な存在。 のはずなんだが、現代経済というのはほっとくとそういう風になりがちだ、ってのが小野善康さんのいっていることなんだろうな。 そういう守銭奴経済の罠にはまってしまった日本では、政治家も学者も評論家もみんな脳みそが守銭奴化してしまっているものだから、「分配」という本来望ましい政策すらもが、モノやサービスをみんなにばらまこうという話には向かわず、ひたすらゼニカネをばらまくことにしか頭がいかない。その結果、預金通帳の残高ばかりがひたすら増えていき、肝心のGDPの構成要素であるモノやサービスの付加価値には