2024年1月8日のブックマーク (2件)

  • 「境界知能」が他人を攻撃する言葉として使われ始めてしまった

    詳しくは旧twitterことXで検索してくれ。 簡単に説明すると、池田信夫が「れいわの支持者は境界知能」とれいわ新選組とその支持者を非難する文脈で境界知能という言葉を使ったことからそれに同調する人たちの間でも境界知能が他人を攻撃するための言葉として使われ始めてしまった。 ただ、それ以前の他の文脈でも堀江貴文や井川意高が同様に他人を攻撃する文脈で境界知能という言葉を使っており、池田信夫が最初なのではなく一部界隈では以前からあった用法なのかもしれない。 境界知能という言葉は知能指数が平均よりも大きく低いものの障害と認定されるほどは低くない人のことを指す言葉であり、困難を抱えながらも支援の目から零れ落ちてしまう人たちをすくい上げる目的意識から使われ出した言葉である。言うまでもなく他人を攻撃する目的で馬鹿のちょっとこじゃれた言い方のように使うのが適切な言葉ではない。適切でないというのは表現が弱いな

    「境界知能」が他人を攻撃する言葉として使われ始めてしまった
    Horai00
    Horai00 2024/01/08
  • 松本人志の笑いがいじめの笑いであるという点だけは違うと反対したい

    年末から松人志が話題になっている。 性加害うんねんは当事者たちが法廷で決着を付ければいいと思うが、気になるのは松人志の笑いがいじめを肯定する笑いだという意見だ。 正直、理解ができない。自分の知っている松人志とは別の誰かの話しているかとすら思った。 まったく逆だろう。 ダウンタウンの笑いとは、いじめられている人間の放つ蟷螂の斧である。 個人的には、笑いを「いじめる側の愉悦」から「いじめられる側の反撃」に変えたのが松人志の最大の功績だと思っているぐらいなのに。 おそらく、ダウンタウンをいじめの笑いと思っている人は若い人が多いのだと思われる。その人たちにとって、ダウンタウンは物心ついたときから大御所で、昔のダウンタウンを知らないんだろうなと思う。 私が若いころ、とんねるずは嫌いだったがダウンタウンは好きだった。それはとんねるずの笑いが「いじめる人間・人生の勝者」の笑いだったのに対して、ダ

    松本人志の笑いがいじめの笑いであるという点だけは違うと反対したい
    Horai00
    Horai00 2024/01/08
    笑いのセオリーがいじめの構図を作り得るのは本人も自覚していそう。ただターゲットへの共感は乏しいので、伝説の教師でいじめられっ子に「おまえ今”おいしい”んだぞ」とか言ってしまう。