今回のインタヴューはとても楽しみにしていました。結成から現在に至るShampoo、そして折茂昌美さんに迫りたいと思います。P-MODELの平沢進さんのプロデュースで、二人組Shampooとして1982年にシングル『Tonight』でデビューされたんですけど、折茂さんはもともと平沢さんの生徒だったんですね。 折茂: はい。シンセサイザー教室の生徒でした。 ガイド: シンセサイザーを習おうってどうして思われたのですか? 当時、まだ女性でシンセサイザーを習っていた人は珍しかったのでは? 折茂:
今回のインタヴューはとても楽しみにしていました。結成から現在に至るShampoo、そして折茂昌美さんに迫りたいと思います。P-MODELの平沢進さんのプロデュースで、二人組Shampooとして1982年にシングル『Tonight』でデビューされたんですけど、折茂さんはもともと平沢さんの生徒だったんですね。 折茂: はい。シンセサイザー教室の生徒でした。 ガイド: シンセサイザーを習おうってどうして思われたのですか? 当時、まだ女性でシンセサイザーを習っていた人は珍しかったのでは? 折茂:
「P-MODELデビュー20周年/平沢進ソロ・デビュー10周年」を記念して、1999年にソフトバンクパブリッシングよりリリースされ、2005年にブッキングより復刻された書籍の改訂DIGITAL版。 2010年版では、2005年版に5年分のディスコグラフィやヒストリィを加筆、最新ライヴ写真を追加し、印刷物からデジタル・データへと形式を変更した。 旧版の書籍部分はPDF形式で旧版の附録CD-ROMに統合して収録PDFリーダプラグインをインストールしたWebブラウザ上から全コンテンツが閲覧可能販売形態はダウンロード版とパッケージ版(DVD-ROM)の2種類 閲覧用PDFのほか、印刷用PDFも収録 *印刷用PDFはパッケージ版のみに収録、ダウンロード版には含まれません。 *印刷の目的はパッケージ版購入者本人が私的利用する範囲に限られます。 *販売目的での印刷は著作権・肖像権・出版権等の侵害になりま
ここ数日 平沢進がネットで大人気。 ・間違えてないか?私は平沢進だぞ。平沢唯じゃない。 ・やじうまWatchの記事 平沢進との出会いは、やはり長州力の入場曲「パワーホール」。まあ、平沢進が作曲としたと知るのはそれから十数年後なんだけど。 1、2年前にAさんから平沢進の「世界タービン」を教えてもらい衝撃を受け、いろいろな曲を聴くに至る。 今回の騒動で平沢進を知った人もいると思うけれど、彼の略歴や、髪の毛の話や、タイのニューハーフとのロマンスは、Wikipediaを見てもらうとして、やっぱり実際に音楽を聴くのが一番。異論反論はたくさん来るだろうけど、個人的に平沢進のペスト10をセレクトしてみた。 みなさんもぜひ聞いて、師匠の曲を購入してください! ・世界タービン - 平沢進 私を平沢進ワールドに陥れた1曲、1990年リリース。アミーガで作られたPVがあまりにも強烈で1度見ると忘れられなくなる(
1973年にプログレッシブ・ロックバンド『MANDRAKE』を結成、音楽活動を開始する[11][12]。 1979年にテクノポップバンド『P-MODEL』を結成し、ボーカル・ギターとしてシングル『美術館で会った人だろ (ART MANIA)』でメジャーデビュー[13][14]。テクノ御三家の一角として、テクノポップブームの火付け役となり、テクノ・ニューウェイブシーンにおける中心的存在となる[15]。 1984年にはバンドと並行し、自作サンプリングマシン「ヘヴナイザー」などを使用した実験音楽サンプリングユニット『旬』を結成。また、1987年からは4-Dの小西健司とフロッピーディスクの往復書簡による遠距離での楽曲制作を開始し、1996年に『不幸のプロジェクト』としてアルバム「不幸はいかが?」をリリースした[16]。 1989年にソロアルバム「時空の水」をリリースし、バンド・ユニットと並行してソ
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