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思想に関するImamuのブックマーク (751)

  • なぜ音楽について語りたがるのか?──音楽の倫理学に向けて | 増田聡

    なぜ音楽について語りたがるのか?──音楽の倫理学に向けて | 増田聡 Why Do You Want to Talk about Music ? : Toward Ethics of Music | Satoshi Masuda 誕生から約一世紀半にわたる音楽学の歴史は、テクスト中心主義からコンテクスト主義へのゆるやかな移行の歴史として描くことができる。人文学の一分科としての音楽学が確立されたのは一九世紀後期のドイツでのことであるが、そこでは国民国家イデオロギーを底流としつつ、当時世界に君臨していたドイツ芸術音楽を中心とするヨーロッパ音楽を主な対象に、優れた音楽作品「それ自体」の来歴を実証的に後づけ、その構造を「客観的」に構造分析する作業が学科の中核をなしていた。いわゆる歴史音楽学=音楽史学と、音楽理論の二つが音楽研究の中心的なディシプリンであったわけだ。しかし一方で、「諸民族の音楽の比

    なぜ音楽について語りたがるのか?──音楽の倫理学に向けて | 増田聡
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    Imamu 2011/08/30
    「音楽を巡る言説~美的=倫理的定言命法が満ちあふれて」「音楽批評が「まともな言説」であるために~「音楽それ自体」の意味を独占するべく奮闘することではなく、これら倫理的言明の解読と脱構築を推進」
  • http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0689.html

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    Imamu 2011/08/23
    ヨーロッパ-恋愛の基底-自己(一元的の自己)/いき~既存の男女の関係を超越する自由(可能的関係)//苦界ににその起源(遊郭)
  • 理系でも分かる!宇野常寛氏の新刊を読んでみた - はてなポイント3万を使い切るまで死なない日記

    最近、理系も人文系のを読もう運動を提唱している僕ですが、とはいっても自分自身もここ数年で大塚英志氏と東浩紀氏のの何冊かをちょっと読んだというぐらいだから、語る資格は来ない。 とはいえ似た境遇にある理系的な人間の人文書アレルギーを多少は解消する助けになることは書けるかもしれないと思い、最近、話題になっているらしい宇野常寛氏(以下敬称略)の新刊「リトル・ピープルの時代」の感想などを理系人間的に試みてみたい。 最初に断っておくが、このは数年前の僕だと読めなかった類のものだ。しかし、慣れたのか、いまはなんとなく内容が理解できる気がする。実はこのは献されたらしく、ある朝、ひさしぶりに会社に来たら机の上に置いてあった。筆者なのか出版社なのかわからないが、僕なんかに読ませてどうしようというのか。だいたい、貰わなくても自分で買うつもりだったから売上げを一冊減らしていることになる。申し訳ないから

    理系でも分かる!宇野常寛氏の新刊を読んでみた - はてなポイント3万を使い切るまで死なない日記
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    Imamu 2011/08/18
    「人文系の評論はすぐに一般名詞を専門用語化する傾向がある。しかも、その本だけでしか通用しない専門用語をすぐにつくっちゃうのだ」
  • ぶらりずむ黙契録: 本日のお知らせ

    日のお知らせ☆ 『マルドゥック・フラグメンツ』内収録短編と、ある漫画賞受賞作品との間で生じた問題につきましてコメントいたします。 ※主文※ 関係者からご連絡をいただき、すでに賞を運営されている編集部と、描き手の方、双方より、謝罪文を公表する意志を示していただいております。 そもそも、攻撃的な悪意があっての行いではなく、先方の迅速な対応があったことから、その後の早川サイドと先方との話し合いが穏便に進む限り、僕から何かを申し立てる、というようなことはありません。 また、インターネット上で非難されるなど、すでに編集部および描き手の両サイドが、いわゆる「社会的警告」を十分に受けているとのことです。 よって、今後は一件がスムーズに収束し、むやみと尾ひれがつかぬこと、関係者全員の成長の機会となれることを切に望みます。 また、僕自身も今回の一件を、より良い作品作り・業界作りのためのヒントの一つとして

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    Imamu 2011/07/16
    「今この時代、プロになるとは、まずそうした「空き地」を棄てることを意味するようになってきていると感じます」
  • webちくま「よりよく生きるための経済学入門」若田部昌澄 栗原裕一郎 第3講 インセンティブは「飴と鞭」

    対談 2022/8/31 小野 昌弘,海堂 尊 オミクロンの時代を生き抜くための「当の知識」とは?【前編】 『免疫学者が語る パンデミックの「終わり」と、これからの世界』刊行記念対談

    webちくま「よりよく生きるための経済学入門」若田部昌澄 栗原裕一郎 第3講 インセンティブは「飴と鞭」
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    Imamu 2011/07/13
    「統計学によれば、「正しさ」というのは、ある仮説がどの程度の確率で放棄されるかということに読み替えることができる」
  • だれかの設定に基づくアニメの話だけで、一般性ある「自己/自我」の話はできない。 - 山形浩生の「経済のトリセツ」

    SFで自己を読む: 『攻殻機動隊』『スカイ・クロラ』『イノセンス』 (青弓社ライブラリー) 作者: 浅見克彦出版社/メーカー: 青弓社発売日: 2011/05/22メディア: 単行 クリック: 101回この商品を含むブログ (3件) を見る 押井守のSFアニメをもとに、自己とか自分とかいう概念のふしぎさと奥深さみたいなものとの関わりを表現しようとしただが、成功していない。 自己というテーマはおもしろいし、それを考えるうえで、アンドロイドや人形――押井守が好きなテーマ――に対する人間の態度が重要、というのは事実。でもそれぞれのレベルで何を語らせるかが重要。小説やアニメの登場人物の行動、学者の単なる感想文、多少は説明に使えそうな仮説、実証的な裏付けのある理論、それらをきちんと分けないと、著者として何に何を説明させたいのかがさっぱりわからず混乱するばかり。 ところが書は、それらをすべていっ

    だれかの設定に基づくアニメの話だけで、一般性ある「自己/自我」の話はできない。 - 山形浩生の「経済のトリセツ」
  • SYNODOS JOURNAL : 正当性と正統性 大屋雄裕

    2011/6/2012:26 正当性と正統性 大屋雄裕 たとえば典型的な事例として、敗訴判決を受けて行政訴訟の原告側弁護団が「不当判決」という垂れ幕を掲げて出てくるような場面を想像してほしい。もちろん彼らは当該判決に不服であり、それが「正しくない」ものだと思っているのだが、しかしなおそこで否定されている「正しさ」と否定されていない「正しさ」の差異を、われわれは考えることができる。 ■ふたつの「正しさ」と「せいとうせい」 前者は、この事例において納得のいく結論を与えているかどうかという問題である。仮に彼らの満足行くような判決が出されていたとしたら、「正当な判断だった」とうなずくことになるだろう。このように、特定の判断が「正しい」か「正しくない」かを問題にするのが「正当性」(justness)である(なお、《正当であると証明できること》=「正当化可能性」justifiability、あるいはそ

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    Imamu 2011/06/20
    "特定の判断が「正しい」か「正しくない」かを問題にするのが「正当性」justness~具体的な決定が「正しい」権限に由来しているのか、「正しい」手続きによって形成されたかといった点を問題にするのが「正統性」legitimacy"
  • イアン・ハッキング『何が社会的に構成されるのか』理論編Ⅰ - スウィングしなけりゃ脳がない!

    半年前に読んで記憶から消えかかっていたが、id:boy-smithさんに薦めてみた手前、再読。写真は5月に道志川キャンプ場で行われたNatural High!という野外音楽イベントでのもの。 『記憶を書きかえる―多重人格と心のメカニズム』、『偶然を飼いならす―統計学と第二次科学革命』などの著者でもある、気鋭の科学哲学者による社会構成(構築)主義に関する付かず離れずの冷静な分析。訳はやたら軽妙で読みやすいが、原書を読んだ友人に依ると、原文も皮肉・ユーモアたっぷりの読みやすい文体らしい。タイトルからして "THe Social construction of what?" とくだけている*1。 ハッキングは社会構成主義と科学*2との泥沼の争いをどちらかの立場に立脚して解決しようとしたりはしない。むしろ、それらの争いから冷静に距離をとることで、問題を整理し、そして両者が決して妥結することのないだ

    イアン・ハッキング『何が社会的に構成されるのか』理論編Ⅰ - スウィングしなけりゃ脳がない!
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    Imamu 2011/06/09
    「最初に定義をするな、代わりに意図を問え」「Xの社会的構成」を巡る議論(「対象」「観念」「エレベータ語」)ジェンダー/セックス『「対象」と「観念」の2つのタイプとして捉えることが出来』
  • 『可視化された帝国-近代日本の行幸啓』原 武史(みすず書房) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「「想像の共同体」ではなく「可視化された帝国」」 「目からウロコが落ちる」という言葉があるが、私にとって、書を読んだ時の感想もそれに近いものがあった。 書の骨子は、ベネディクト・アンダーソン流の「想像の共同体」論を、近代日の実情に照らし合わせながら、批判していくところにある。 アンダーソンの『想像の共同体』は、近代史や歴史的な文化研究を志す者にとって、いわばバイブルの一つだが、その内容とは、国民国家の成立にメディアが果たした役割を指摘したものといえるだろう。 すなわち、それまで時空間的に独立していた国内の各地方が、新聞や書籍といった出版メディアが登場したことで、共通の言語を用いて、あたかも一つの問題関心を共有するような感覚を覚えるようになり、それが国民国家としての統一につながっていった、というものである。日においても、明治期の近代国家の成立過程を批判的にとらえ

    『可視化された帝国-近代日本の行幸啓』原 武史(みすず書房) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
    Imamu
    Imamu 2011/05/30
    「「想像の共同体」ではなく「可視化された帝国」「「人々を結びつける技術的な手段」という点においては、鉄道もメディアの一つである」
  • 『ミモロジック―言語的模倣論またはクラテュロスのもとへの旅』 ジェラール・ジュネット (書肆風の薔薇) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 井上ひさしの『私家版 日語文法』に「n音の問題」というおもしろい説が出てくる。英語のNo、not、フランス語のNon、ne、ドイツ語のNein、nichit、日語の「ぬ」、「ない」のように否定や拒絶の表現はなぜか n音が担うことが多いが、これは n音が唇を閉じたり、舌を歯の裏に持ちあげて口腔を閉鎖し、呼気を外に出さないことによって生じる子音だからなのだという。口腔閉鎖→心の閉鎖というわけだ。 井上は英語、フランス語、ドイツ語スペイン語、ヨーロッパ諸語の共通点を洗いだして作られたエスペラント語と範囲を広げていくが、当てはまらない言語も多いと指摘し、日語とインド・ヨーロッパ語族の一部の語派の間の偶然の一致とおさめている(ウェイドの『5万年前』によるとジョーゼフ・グリーンバーグはインド・ヨーロッパ語族とアルタイ諸語などを包括したユーラシア大語族説を想定し、この大語族

    『ミモロジック―言語的模倣論またはクラテュロスのもとへの旅』 ジェラール・ジュネット (書肆風の薔薇) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
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    Imamu 2011/05/30
    『言葉は物のありようを反映するように形成されたとする立場を言語的模倣主義(ミモロジスム)』
  • 美的価値と倫理的価値 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    * 美的価値と倫理的価値 twitterで芸術作品の美的価値と倫理的価値の話をしていたのですが、意外と反響があったので、参照点とすることを目的に、少しだけ整理を残しておきます。最初にしていた話はtogetterにまとめてくれた人がいたので以下を参照してください(直接は関係ないのですが)。 http://togetter.com/li/139909 問題になっているのは「倫理的に良い部分が作品を美的によいものにすることがあるか」「倫理的に悪い部分が作品の美的に悪いものにすることがあるか」という美学上の論争です。 以下は、 Aesthetics and the Philosophy of Art: An Introduction (Elements of Philosophy) の12章に従ってまとめます。 Steckerはこの議論にかかわる陣営を3つに分けています。 :自律主義(autono

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    Imamu 2011/05/30
    自律主義(autonomism)「倫理的価値から美的価値への作用は決して起こらない」/倫理主義(ethism)「ときに起きる」/不道徳主義(immoralism)「よいものにしたり~悪いものにすることがありえる」
  • 磯部涼「音楽の(無)力」 - ビジスタニュース

    磯部涼「音楽の(無)力」 2011年05月24日00:00 担当者より:音楽ライターの磯部涼さんに、311以降の状況を踏まえ、音楽の力について論じていただいたものです。磯部さんは今年の夏にこれまでの原稿をまとめた『音楽が終わって、人生が始まる』(アスペクト)が刊行予定で、そちらも要注目です。 更新日:2011/05/23 3月11日14時46分、その時、部屋に流れていたのはアンテナのベスト・アルバムだった。早春の午後の柔らかな日差しに、如何にも80年代的な音色を纏った薄いサウダージがぴったりで、実に良い気分だったのを覚えている。そして、あの地震が起こった。筆者は渋谷区在住のため、被害は床に積んであったCDやレコードが倒れたぐらいで大したことはなかったのだが、それでも経験したことのない揺れで何処か非現実感があった。同時に、その間も鳴り続けていた音楽が上滑りして行くような妙な感覚が印象に残

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    Imamu 2011/05/24
    「音楽がもたらす共同幻想もまた同調圧力と化し、その欺瞞に加担してしまっている」「音楽は無力だからこそ、そこに様々な意味を付与され、利用されて来た」「復興支援ソング~同調圧力~暴力」「あの無音の日々」
  • 『椅子と日本人のからだ』矢田部英正(筑摩書房) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「物作りの哲学者」 素朴な疑問を抱き、素直に驚き、率直な問いを立てる。常識や先入見を鵜呑みにせず、自分で考え、調べ、読み、また考える。そういう単純な営みが、哲学である。 書にはその営みが生きている。のみならず書では、物を考えることが物を作ることと一体になっている。書は、物作りの思索家による哲学書である。 物作りとは、道具を作ることである。道具とは、それを有している者が一定の用途のために使う物である。そのような道具の極致、つまり、使われるがそれ自体は作られることなくもっぱら作ることに与る原初的道具、それが身体である。 ギリシア語で「オルガノン(organon)」とは、「道具」を意味するとともに、「器官・身体」を意味する。身体という道具を具えておのずと動くもののことを、「有機体(organism)」と言う。それは古来、「生物」の定義そのものであった。道具と身体とのそ

    『椅子と日本人のからだ』矢田部英正(筑摩書房) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
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    Imamu 2011/04/26
    オルガノン(organon)-道具-器官-身体 //ポイエーテース(poiētēs)-作り手-詩人
  • ゴシック・ロリータと階級文化 - japanese artist file

    上田安子服飾専門学校での「ゴシック&ロリータ論」の授業のために、ロココ時代の文化についてまとめている。ロココはロリータ文化の大きなイメージ源になっている時代だが、いま改めて思うのは、この時代の文化政治の密接な関係だ。絶対王政下のフランスでポンパドゥール夫人がロココの花を咲かせているとき、実はイギリスではゴシックリバイバルが不吉な呻きを上げていた。ロココ文化と宮廷の結びつきは言わずもがなだが、実はゴシックと議会制民主主義の間には、奇妙な縁があちこちにあるのだ。 たとえばゴシック小説の粗であるホレス・ウォルポールは、イギリスの初代首相であるロバート・ウォルポールの息子であり、自身も国会議員だった。ホレス・ウォルポールはまたゴシック建築の中興の祖でもあったけど、英国議会の議事堂は19世紀の前半に焼けて、ゴシック様式で立て直されるに至る。やや遅れて初期ゴシック小説の傑作『ヴァテック』を書いたウイ

    ゴシック・ロリータと階級文化 - japanese artist file
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    Imamu 2011/04/25
    「ロリータ-ロココ-フランス-宮廷/ゴシック-ゴシックリバイバル-イギリス-議会制民主主義」「階級対立の激しかった18-19世紀、しかもその両極端に典拠を求める」
  • 連載「現場から遠く離れて」第二章 ネット環境を黙殺するゼロ年代史 【4】 - WEBスナイパー

    第二章 ネット環境を黙殺するゼロ年代史 【4】 ネット時代の技術を前に我々が現実を認識する手段は変わり続け、現実は仮想世界との差異を狭めていく。日々拡散し続ける状況に対して、人々は特権的な受容体験を希求する――「現場」。だが、それはそもそも何なのか。「現場」は、同じ場所、同じ体験、同じ経験を持つということについて、我々に質的な問いを突きつける。昨今のポップカルチャーが求めてきたリアリティの変遷を、時代とジャンルを横断しながら検証する、さやわか氏の批評シリーズ連載。 こうして我々は、「現場」という概念を語るにあたって、今なお物理的な場所とインターネットの双方を手放すわけにはいかないことを確認した。ことにインターネットに好意的な読者が注意すべきなのは、インターネットが従来の物理的な「場所」としての「現場」の、単なる代替として考えられてしまってはならないということである。我々はしばしば、単にク

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    Imamu 2011/04/24
    「コンピュータには速度はあっても距離は存在しない」「インターネットを物理空間として捉えることの誤謬」
  • 『源氏物語』メモ14 - heuristic ways

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    Imamu 2011/04/22
    (「近代的」という訳語/仏教「末世」)『千年も前から「世の末」ということを人は言ってきたわけだが、私が思うのは、「世の末」という観念は、「近代的」という意識と裏腹のものではないかということである』
  • タモリとえせインテリ - ONE FINE MESS

    サラ金のCMに出てからは落ち着いたようだが、2ちゃんねらーとかはてなブロガーの タモリ礼賛とか神格化が私は気持ち悪くて仕方がない。 小林信彦の「笑学百科」というタモリについて書いた文章があったと思った。 そこではタモリ評価に対する違和感の源が語られていて腑に落ちた記憶がある。 しかしをなくしてしまったし、絶版になっているので、図書館で借りてきた。 私がなぜタモリをほめる人たちのことを気持ち悪いと思うかの理由が書いてある気がした。 このは1981年に夕刊フジに連載したものをまとめたものだ。 小林信彦は広告批評という雑誌のタモリ特集から引用している。 <芸能界という芸の世界から言うと、あの人はやっぱり外人(異邦人)なんです。……だから、単に“芸人”というだけの批評をすれば相当にレベルは低い、と僕は思う。だけど、あの個性、あの感覚と個性にはもう脱帽します> という永六輔の談話と、<あの人

    タモリとえせインテリ - ONE FINE MESS
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    Imamu 2011/04/20
    小林信彦『笑学百科』「日本人の大半が中流意識を持ち、<頭のほうもまあまあ>と思っている」「えせインテリは、知的センスをくすぐるようなものがすばらしい笑いと思い始めた」
  • 【レビュー・書評】スピノザの方法 [著]國分功一郎 - 書評 - BOOK:asahi.com(朝日新聞社)

    スピノザの方法 [著]國分功一郎[評者]斎藤環(精神科医)[掲載]2011年4月10日著者:國分 功一郎  出版社:みすず書房 価格:¥ 5,670 ■哲学を可能にした「方法」を問う 神に酔える哲学者、スピノザ。汎神(はんしん)論やコナトゥスといったその“肯定性の哲学”は日でも人気が高い。超訳ニーチェに続き超訳スピノザが売れたとしても私は驚かない。 ところで書は単なる「スピノザ入門」ではない。その哲学を可能にした「方法」をひたすら問うこと。それがこの異様にリーダブルな哲学書の通奏低音である。 私はこれまで、デカルト的二元論の「切断性」にスピノザ的な「連続性」を対立させて考えていた。しかし著者によれば、これはよくある誤解らしい。デカルトの哲学は説得のための哲学である。スピノザは説得を放棄することでデカルトの限界を乗り越えようとした。スピノザは命令しない。ただ「一緒にやりましょう」と誘惑す

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    Imamu 2011/04/12
    (斎藤環)『「教師はみずからの消滅をめざして活動」せよと述べる。それが私の考える理想の治療者に近いのは、たぶん偶然ではないだろう』
  • 『切りとれ、あの祈る手を──〈本〉と〈革命〉をめぐる五つの夜話』佐々木中(河出書房新社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「「を読むこと」の恐ろしさ」 佐々木中氏の語り下ろし作品、『切りとれ、あの祈る手を──〈〉と〈革命〉をめぐる五つの夜話』を読もうと思ったきっかけは、この2月に「ビブリオバトル with キノベス」というイベントに参加したことだった。それが縁でこのサイトで書くことになったのだがそれはさておき、そこで『切りとれ、あの祈る手を』を紹介した方がいて、プレゼンの半分以上がなぜか書ではなく坂口安吾の「日文化私観」についての話だった。安吾好きが高じてファンサイトまで作ってしまった私としては、「これは読まねば!」と思って買ってみたのだが、書を読み進めるうちに、「なるほど、だから安吾だったのか」と腑に落ちた。 書の内容を一言で言ってしまえば、「暴力による革命は二次的なものであり、革命の体は文学にある」ということだろうか。 (書における「文学」は、言葉や文字を使った表現物

    『切りとれ、あの祈る手を──〈本〉と〈革命〉をめぐる五つの夜話』佐々木中(河出書房新社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
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    Imamu 2011/04/08
    『たとえば、安吾が「文学のふるさと」と呼ぶもの、満開の桜の森に広がる、人々に狂気をもたらす空間と、佐々木氏の書く「読むこと」を突き詰めた先にある狂気は、通底しているのでは』
  • 温暖化と原子力発電 (2008) - 柄谷行人

    福岡伸一:30年近く前になりますが、柄谷さんは生物学者の日高敏隆さんとの対談の中で、生物学者のナイーブさや素朴さを笑われました。その状況は今もほとんど変わっていません。生物学者は生物をテクノロジーの対象としてとらえ、機械論的に考えて操作できるという幻想を依然として追い求めています。 また、生命現象において、二つ以上の出来事の間に原因や結果としての結びつきがあるという「因果性」が当時ほど明確ではなくなってきているということもあります。 たとえば同じ遺伝子のセットを使って生命を操作しても同じ結果が現れるとは限らない。再生医学の切り札として注目を集めている胚性幹細胞(ES細胞)や人工多能性幹細胞(IPS細胞)などの万能細胞も、われわれがコントロールできるかどうかわからない。

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    Imamu 2011/04/04
    『科学認識は根本的に仮説~普遍的命題はいわば「未来の他者」を前提とする』時間の分節化(いつ生まれるか/どの状態が死か)