「あるチームが突然、速くなったら、日本人エンジニアが加入したと思え」 2014年から3連覇しているメルセデスのスポーティングディレクターのロン・メドウが、かつて教えてくれた言葉だ。 じつは、そのメルセデスで現在チーフデザイナーを務めているエンジニアも日本人なのだ。メルセデスは、そのほかにも4人の日本人エンジニアを擁している。そのメルセデスの前に4連覇していたレッドブルのチーフデザイナーも日本人だ。 現在10チームあるF1界で日本人エンジニア、またはメカニックが存在しないチームはフェラーリだけ。その中で、最も多くの日本人が携わっているチームが、昨年から今年にかけて好調のフォース・インディアだ。そのフォース・インディアに、7人目の日本人として招かれたのが、神野(こうの)研一だ。 亜久里の日本GP3位を見てF1を目指し、単身渡欧。 神野がモータースポーツに興味を持ったのは中学生の時。鈴木亜久里が
新車発表シーズンなので、芸スポやニュー速にF1スレが立つことがあります そこで「なぜF1がこんな形をしてるのか」を中心に、F1について書こうと思います ちょっとでもF1やモタスポに興味を持ってもらえればこれ幸い できるだけ、全く知らない人でもわかりやすいように専門的な所は大雑把に書きます 間違いもあると思うんで詳しい諸兄は補足訂正お願いします 大雑把な目次 ■空力とは ■ウィング ■グラウンドエフェクト ■ボディ形状 ■パワーユニット(エンジン)ついて ■ルール、レースについて 2年前に立てたスレの改訂版です(だいぶ変わったので) ※書き溜めです ※わからないことは聞いてください。自分も答えますが、詳しい方もお願いします
ジュール・ビアンキのF1最新情報、ニュースを掲載しています。F1ドライバーのコメントやF1チームの情報、レース結果などを随時更新しています。 ジュール・ビアンキが7月17日(金)夜、入院先の病院で永眠した。享年25歳。 8月3日に26歳の誕生日を迎えるはずだったジュール・ビアンキ。2014年のF1日本GP決勝レースに雨の降るトラックでコースアウトし、作業していた重機と衝突。重い脳外傷を負ったジュールビアンキは、三重の病院で治療を受けた後、今年初めに母国フランスの病院に転院していたが、意識が戻らず膠着状態が続いていた。 ジュール・ビアンキの家族は、奇跡を願い、容体を見守っていたが、現地時間18日(土)深夜に悲しい知らせが届けられた。 「この知らせをお伝えしなければならないことはジュール・ビアンキの両親、フィリップとクリスティーヌ、姉メラニー、弟トムにとって悲痛ではありますが、F1日本GP開催
2012年の日本グランプリで表彰台に上った時の可夢偉。この雄姿が再び鈴鹿の地で見られることを期待したい! 「再びF1のレースドライバーに戻ることができすごく嬉しいです。ケータハムF1チームと一緒に戦えることを非常に楽しみにしています」 小林可夢偉のF1復帰が1月21日、正式に発表された。 2012年まで3年間、レギュラードライバーを務めていた可夢偉にとって、2年ぶりのF1復活である。わずか1年で失ったシートを取り戻したわけだが、それは2シーズン前に表彰台を獲得したザウバーではなく、昨シーズン最下位に終わったケータハムのシートだった。 しかし、ここまでの道程は想像以上に険しかったに違いない。 なぜなら、F1の表舞台から1年以上姿を消した後に、レギュラードライバーとしてF1に復帰した日本人ドライバーは、過去にいなかったからである。 鈴木亜久里、佐藤琢磨もF1復帰は難しかった。 1993年限りで
小林可夢偉は、オープニングラップの接触でリタイアを喫したF1インドGPの週末を振り返った。 F1インドGPが初開催されたブッダ・インターナショナル・サーキットは全ドライバーにとって初めての経験。小林可夢偉の第一印象は“シンプルなレイアウト”だったと述べた。 「木曜日にサーキットを1周歩いたコースの印象は、直線が結構長いのと、そこそこ中速コーナーが多くてあとはヘアピンで、とてもシンプルなレイアウトだなと思いましたね。でも、レイアウト以上に、路面がどれだけ滑るのかが気になっていました」 新しいサーキットということもあり、金曜の走り出しはまるでウェット路面のように滑っていたと小林可夢偉は語る。 「金曜日のフリー走行は、午前中の最初の数ラップはほんとにウエット路面を走っているのかと思うぐらい滑ってましたね。とくにターン5から7にかけては、D1で走ったほうが面白いような気がしてました。とにかくすごく
・1973年オランダGP この年F1にデビューしたマーチのロジャー・ウィリアムソンが2戦目の オランダGPでタイヤトラブルからクラッシュ。マシンは炎上しロジャー・ウィリアムソンは焼死。 親友であるデビッド・パーレイがレースを捨て、彼を助けに行ったことは有名である。 ・1973年アメリカGP ティレルのフランソワ・セベールが予選中に大クラッシュ。 宙を舞ったマシンはガードレールの真上に落下し、首から下を縦に真っ二つに引き裂かれ即死。 ・1974年アメリカGP サーティースのヘルムート・コイニクのマシンがガードレールに激突。 マシンがガードレールの下をくぐりぬけ、コイニクは首を切断し即死。 フランソワ・セベールの事故から丸一年の日に起こった事故であった。 ・1977年南アフリカGP シャドウのトム・プライスが、路肩で炎上していたチームメイトのレンツォ・ゾルジのマシン処理のためにコースを横断した
2011年F1第15戦日本GP予選が、10月8日(土)の14時から鈴鹿サーキット(1周/5.807km)で行われ、セバスチャン・ベッテル(レッドブル)がポールポジション。小林可夢偉(ザウバー)は10番手になった。 セバスチャン・ベッテル(レッドブル)が10位以上に入賞、もしくはジェンソン・バトン(マクラーレン)が優勝できなければベッテルの2年連続タイトルが決まる日本GP。ここまでのフリー走行では3回すべてでバトンがトップタイムを記録した。しかし、予選では1000分の9秒というきん差でベッテルがポールポジションを獲得。タイトル確定に向け、大きな一歩を踏み出した。 2番手から10番手までの結果は次のとおり。 2番手ジェンソン・バトン(マクラーレン)、3番手ルイス・ハミルトン(マクラーレン)、4番手フェリペ・マッサ(フェラーリ)、5番手フェルナンド・アロンソ(フェラーリ)、6番手マーク・ウェバー
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く