★★★ In a Free State / V.S. Naipaul 安引宏 訳 / 草思社 / 2007.12 / ブッカー賞 ISBN 978-4794216632 【Amazon】 5つの中短編を1つの作品としたコレクティヴ・ノベル。「ピレウスの老ヒッピー」、「大勢の中で一人は」、「教えてくれ、誰を殺るのか」、「自由の国で」、「ルクソールの中国雑技団」の5編。 複数の中短編を連ねることによって、ポスト・コロニアルな状況を俯瞰しようという試み。いずれも故国から遠く離れた人々にスポットを当てている。鋭い観察力の賜物なのだろう、異境でのとまどいに臨場感があって、著者の紀行作家としての力量が垣間見える。これは旅行記も読まねばなるまいなと思った。 以下、各中短編について。 「ピレウスの老ヒッピー」 プロローグ。アテネの外港ピレウスから、カイロの外港アレキサンドリアへの船旅。イギリス系の老ヒッピ
『遊』の1981年8/9月号の「読む」特集に「松岡正剛が選ぶ365冊」というのがあり、千夜千冊の残り推理にも参考になるのではというご意見があった。 調べようと思いつつも作業ができなかったのだが、このたびご投稿をいただき掲載の許可をいただいたのでそれを掲載します。 突き合わせとかしたいのですが、週末にできるかなぁ? 千夜千冊もそうですが、 本当はもう少し整理してページとかも分けた方が良いのかもしれません。けれど検索の都合など考えてとりあえずデータをそのままに掲載してみます。 <インデックス> 1-読書はイマジネーションにはじまる 2-読書は男のケンカだ 3-読書が記憶の気配をふるわせる 4-読書で自分をあらためて知る 5-読書は見るものかもしれない 6-読書でジャパネスクに耽る 7-読書が生命と宇宙の謎をとく 8-読書は大いなる遊戯である 9-読書を荒俣宏にまかせてしまう 10-読書そのもの
文科省は学習指導要領を改訂し、小学校五年六年から英語を必修化することを決めた。 愚かなことである。 日本語がこれだけできなくなっている知的状況で二カ国語を学ばせる意味がどれほどあるのか。 特にオーラル中心の語学教育の子どものメンタリティへの影響については、もうすこし真剣に考えた方がよろしいのではないか。 英語運用能力を重視する教育機関で何が起きているか、みなさんはご存じであろうか。 論理的には当たり前のことであるが、それは「英語運用能力の高さにもとづく人間的価値のランキング」である。 「英語が他の教科に比較して際だってよくできる」という条件をクリアーしてその教育機関に入学した学生は、当然ながら、「英語ができることは、きわだってすぐれた人間的能力である」というイデオロギーのかたくなな信奉者になる。 これはごく自然なことであるから非とするには当たらない。 けれども、そのような学生たちの教場での
この本はけっこう言及することが多くなりそうなので自分なりのまとめエントリ書いとくと後々楽だなぁ、とか思いつつなかなか手がつけられなくて放ったらかしだったところこのエントリを見て当初の目的を思い出したり。 江原さんの落日 - 深町秋生の新人日記 ああ、そういや「なんでいまさら細木とか江原みたいなのが受けてるんだろ?」ってことで興味持ったんだよな。本書の主題は「相対的な判断が発達しているはずの2ちゃんねらーが嫌韓みたいなベタなナショナリズムにとらわれるのはなぜなんだぜ?」ってことだったんだけど、世間一般でもベタに物事が受け取られていてそれに違和感があったり。江原、細木ってのはその最たる例。 んで、この辺については社会学者の辻大介さんなんかもちょっと前(あるいは同時期?)にコメントしてはったように思うんだけど該当エントリが見つからないな。。似たようなのはあったけど 「過激」さ ウケる社会(@辻大
不安型ナショナリズムの時代―日韓中のネット世代が憎みあう本当の理由 (新書y) 作者: 高原基彰出版社/メーカー: 洋泉社発売日: 2006/04メディア: 新書購入: 2人 クリック: 119回この商品を含むブログ (75件) を見る 「不安型ナショナリズム」を読んだ。日中韓の戦後の政治・経済構造の変遷がよく分かる本であった。筆者は現在の若者の右傾化を、後期近代における社会の流動化が生んだ「不安型ナショナリズム」であるとし、前期近代に見られるような国家・企業主体の「高度成長型」ナショナリズムとは別物である、と論じている。 不安型「擬似」ナショナリズムでは? ところで、読み終わった後にはたと気づいたのだが、僕が探した限りではこの本のタイトルにある「不安型ナショナリズム」が「どのようなナショナリズムなのか」が書かれていない。 「不安型ナショナリズム」が起こる背景は書いてあるのだ。経済の構造変
オーストラリアに長年住んでいます。こちらでも米大統領選への関心は非常に強く、メディアも頻繁にとりあげていますが、黒人、女性という括りで語られることはほとんどないように思います。(そういう括り方はポリティカル・コレクトネスの点からタブーと考える人も多いと思います)オバマ氏の暗殺を心配する声は(英語の)ネット上でよく見かけますので全くないとは言えないと思います。但し、それは彼が黒人だからという理由ではなくて、故ケネディ大統領と共通する部分が多々あるからということのようです。(2008/02/20)
昨日、なんつうか心の問題を見つめていて。 こんなのとか⇒finalventの日記 - 心の中の暗い核 それから瞑想っていうもんでもないが静かに考えるというか瞑想するというか、ま、だいたいわかった。 なんか新興宗教の教義というか不気味な精神分析みたいな話になるかもしれないし、真理とか真実とかはまるで関係ないが略、ま、メモ書きしておこう。もしかすると、人によっては危険な話かもしれないのであまり読むことをお勧めしない。 ココロの問題: 音楽: toutou,coita,キタムラタケシ,青山紳一郎,森山フラミンゴ,反す刀で,翠蓮,DJ TAKI-SHIT まず人の心の構造は、案外サエントロジーのエングラムのスキームでいいのではないかなとなんとなく思っていた。ただ、これはサイエントロジーが正しいというわけではない。 歴史を見てもそうだが、人というのは救済を求める。救済とはなにかというのは、曖昧で意味
さる7月30日、エマニュエル・マクロン大統領はモロッコ国王ムハンマド6世に宛てたたった一通の書簡によって、モロッコの西サハラ統治を認める決定をした。それは国際法を無視しただけではなく、フランスとアルジェリアが保っていた関係のあやういバランスを壊すものでもあった。 →
わが国の家庭におけるエネルギー消費は、戦後一貫して増加傾向で推移してきた。これは生活水準の向上が、エネルギーによって支えられてきたことを意味している。われわれの暮らしとエネルギーについて、家庭におけるエネルギー消費の推移に焦点を当ててご紹介しよう。 ■家電製品交換の目安は10年!? >>[後編] 省エネ製品の普及で動き出す?! 家電量販店の新ビジネス >>[前編] 家電買い換えの省エネ効果 エアコンで毎年1万3000円お得に ■期待高まるHEMS >>[後編] 開発・普及のカギ握る ITの進化とビジネスモデル >>[前編] 家庭の努力を「見える化」 HEMSの効果に大きな期待 ■団塊世代のライフスタイルと住宅設備 >>リフォームや設備更新に関心 電気機器利用希望が高まる ■省エネルギー行動の効果 >>第2回 乾燥機では最大80%も省エネに 温水洗浄便座にも4割近い差が >>第1回 実証さ
Lesson366 お願いのメールを書く 人に何かを頼むときというのは、 エゴが出やすいときだ。 そもそも困ってたり、なにか欲求があって、 せっぱつまってお願いするわけだから。 そこで光るのは、 「相手の身になって自分の文章をふりかえる」姿勢。 むりやり頼みこむのでなく、 メールのどこか一文でも、ひと言でもいい、 相手から、「そうそう!」「いいねそれ!」と 共感してもらって、 相手から喜んで協力してもらえる、 そんな文章を目指そう! まず、メールの文章は、「一発サビ出し」と心得よう。 中高年の人の中には、 「いきなり本題にはいるのは、はしたない」と 時候のあいさつや、まえおきを長々と書く人もいる。 でもメール社会の住人は、みな忙しい。 せちがらいようだけど、 「形式的な前置きはいいから、 はやく、単刀直入に本題にはいってくれ」 というような気分で、メールボックスを開く人が多いのだ。 くわえ
何か事件が起こると、識者と「称されている」・「呼ばれている」・「どこかの誰かが言っているかも知れない」人達が、自分の経験を基に犯人像を想像し、自説をテレビなりで開陳しますね。 あれ、相当程度に危険だと思うのですよ。色々な意味で。たとえば、視聴者にバイアスを掛けてしまったり、(バイアスという意味で、前者と重なるけれど)特定の属性を持つ人々に不当な印象を植え付けたり。 そもそも。 大部分の「識者」と呼ばれている人は、ある組織の中で、仲間と連携し、様々な情報を得られる環境にあったればこそ、良い仕事が出来た訳で(だから、元○○という肩書きは、ほとんど意味を持たない)。特に、精神分析系の人が、ごくごく限られた情報から犯人像を導くのは、あれはダメでしょう。普通の認識力があれば、「それだけじゃあ、何も解らん」、となるはずです。 で、それが当たれば、優れた洞察力の持ち主として、評価される。はずれたとしても
どんなにステーキが大好きな人でも、 毎日、朝昼晩、ステーキだけを強制的に食べさせられ続けたら、 だんだん苦痛になってくる。 本当にステーキが好きな人なら、最初の1ヶ月くらいは毎食ステーキだけでも天国かも知れないが、 それが半年もつづけば、もはやステーキを見るだけでウンザリするだろう。 プログラミングが好きでプログラマーになってしまった人は、 これと同じ種類の拷問にかけられる。 どんなにプログラミングが好きな人でも、毎日休まずプログラムを書き続けないと 生活できないとなると、それはだんだん苦痛になってくる。 好きなことを仕事にして生きていく、というのは、本質的にそういうことなのだ。 そもそも、人は、その瞬間、瞬間で、いろんなことに興味をもち、 いろんなことをやりたくなる、自由で軽やかに発散していく欲望を持っている。 どんなにプログラミングが好きな人でも、 朝起きて、今日は空が青くて気持ちいい
科学の優越性が一般に認められている現代社会では、科学の成果の全面的否定が主張されることはあまりない。科学的認識を通じてしか真理が獲得できないわけではないとか、科学的認識は限界づけられたものであるとか、科学的認識とイデオロギー的認識との間に本質的差異があるわけではないという形で、科学的活動とそれ以外の知的活動との同列化、相対化が図られることが多い。 本稿ではそうした考え方に対して、<科学的認識の中に事実として存在する相対性>と、<相対主義>を区別するという立場から相対主義的科学観に対する批判を展開したい。というのも相対主義的科学観をめぐる賛成論の中にも反対論の中にも、<相対性の事実>と<相対主義>との混同が数多く見受けられるからである。相対主義者が主張するように科学的認識の中に相対性が存在することは確かに否定できない事実である。しかし<相対性の事実>を認めることは<相対主義>を認めることでは
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