タグ

関連タグで絞り込む (0)

  • 関連タグはありません

タグの絞り込みを解除

複雑系に関するKatagiriSoのブックマーク (21)

  • Alternative Mathematics without Actual Infinity

  • 複雑系に騙されないための「査定法」

    複雑系に騙されないための「査定法」 ※この稿は、複雑系の実態がどういうものかについて論じたもので、「物理数学の直観的方法 第2版」241ページあたりにつける予定だったものですが、分量が少々多いうえ、批判めいた色彩がかなり強くてに収録するのはやや難があると思えたため、削除した部分です。 (20001105 長沼伸一郎) ・複雑系の大問題 ・組織構成から診断する研究機関の実力 ・複雑系で嘘をつく法 ・実際の診断例--サンタフェ研の場合 ・意外に大きいその影響 ・日は何をすべきか §複雑系の大問題 こうしてみると、このように三体問題のところで角を曲がり間違えて、長年にわたって文明の上に何層にも積み重ねられてしまった部分の大掃除こそが、来の正しい意味での「複雑系」に与えられた最大の役割だったはずなのである。ところが問題が大西洋を渡って90年代に米国でそれが華々しく登場したとき、そのセールス・

  • 複雑系科学 - Wikipedia

    複雑系科学の記事では、複雑系に関する科学について扱う。 複雑系のモデルから得られる方程式というのは、一般的に統計力学・情報理論・非線型力学などの周辺において研究が展開され、基的に複雑であると考えられてきた自然界における系の組織化が存在するものの、予測不可能な挙動を表すものである。これらの系の物理的特徴は定まっておらず、それゆえ、このような「系」と言ったときには、現象を記述する数学モデルのことを指すのであって、モデルが表す不確定な物理学的対象のことではないとするのが普通である。 このような系をモデルを用いた研究を行う分野は、計算機科学、生物学[1]、経済学、物理学、化学[2]、ほか多岐にわたる。特にこのような系に主眼を置いた研究を総称する呼称として、複雑系理論・複雑性科学・複雑系の研究・複雑性の科学・非平衡物理学・歴史物理学などがある。また、さまざまな抽象複雑系が数学の一部として研究されて

    複雑系科学 - Wikipedia
  • 複雑系 - Wikipedia

    複雑系(ふくざつけい、英: complex system)とは、相互に関連する複数の要因が合わさって全体としてなんらかの性質(あるいはそういった性質から導かれる振る舞い)を見せる系であって、しかしその全体としての挙動は個々の要因や部分からは明らかでないようなものをいう[1]。 これらは狭い範囲かつ短期の予測は経験的要素から不可能ではないが、その予測の裏付けをより基的な法則に還元して理解する(還元主義)のは困難である。系の持つ複雑性には非組織的複雑性と組織的複雑性の二つの種類がある[2]。これらの区別は質的に、要因の多さに起因するものを「組織化されていない」(disorganized) といい、対象とする系が(場合によってはきわめて限定的な要因しか持たないかもしれないが)創発性を示すことを「組織化された」(organized) と言っているものである。 複雑系は決して珍しいシステムという

    複雑系 - Wikipedia
  • 不快感をもよおす衒学的文章とはどんなものか - 檜山正幸のキマイラ飼育記 (はてなBlog)

    http://d.hatena.ne.jp/m-hiyama/20100225#c1267490716 : 何人かがご指摘なさっているように「郡司さんは真剣なんだ/真面目なんだ」を否定する気は全然ありません(そうなんだろうと思っています)。であるなら、どうしてデタラメを書くんでしょうか? デタラメという表現方法でしか真意を語れないのでしょうか? -- 僕はそんなことはないと思います。痒いところに手が届かないような語り口でも、デタラメよりは効率的なコミュニケーション方法はあるはず。 以前、bonotakeさんもおっしゃっていた事ですが、「それで誰が幸せになるのか?」です。郡司さんになんらかの「真意」があるにしても、晦渋で難解、デタラメな用語法・推論では「真意」の理解者を減らすだけだろうし、「こけおどしの装飾」との評価もいたしかたないでしょう。 と、なんか「親切な忠告」風なことを書いてしまいま

    不快感をもよおす衒学的文章とはどんなものか - 檜山正幸のキマイラ飼育記 (はてなBlog)
  • 黒木のなんでも掲示板3

  • 2chの郡司ペギオ-幸夫スレを拾い読み - opechumanの日記

    2/4追記 このエントリーの内容が礼儀的な意味で大分酷いことを思い知らされたので 修正します。自分の想像力のなさを恥じるしかないです。すいません。 というわけで、このエントリーを読まれる方へ なぜ、自分がこんなエントリーを書いているかの説明です。 もともと、郡司さんの話は知り合いから聞いたのですが その中で 「人間、そして生命は科学的なアプローチで記述し尽くすことができない」 という主張には、非常に納得させられたわけですよ。 俗に言う脳の小人問題をもっと普遍的に語っているのが郡司哲学だという認識です。 例えば、「人間にとってのボールペンの使い道」を定める 必要十分なモデルをどれだけ注意深く描いても 人間は必ず、それに反した使い道を見出してしまうでしょう (こんな例えでどうでしょうか?)。 ただ、ここから科学全般への批判にまで展開するところが理解できてません。 全ての科学モデルは無限退行に陥

    2chの郡司ペギオ-幸夫スレを拾い読み - opechumanの日記
    KatagiriSo
    KatagiriSo 2016/04/21
    ペギオ問題
  • 黒木のなんでも掲示板

  • http://www.jaist.ac.jp/ks/labs/hashimoto/activity/abstract/abstract2000/abstract2000_0411.txt

  • そういや、あの話はどうなったんかなー、郡司ペギオさん - 檜山正幸のキマイラ飼育記 (はてなBlog)

    「自選自薦エントリー・リンク集」のなかに、郡司ペギオ-幸夫さんがらみのエントリーを2つ入れておきました。(どちらも2008年10月) あーあ、こりゃダメだわ、郡司ペギオ-幸夫さん 思弁よりトレーニング 同じ時期(2008年10月)にメモ編に次のエントリーを書きました。 余極限の定義とか性質とか、ペギオ版を修正 そのコメント欄で次のやりとりがありまた。 JP 2008/11/18 13:38 郡司氏の『原生計算と存在論的観測』の圏論の記述にもこのような誤植がないかどうか、東京大学出版会に問い合わせました。 その際に、このエントリを東京大学出版会側にご紹介しました。現在、郡司さんにこの件についての連絡が行っていることを先ほど東京大学出版会からメールで確認しました。 m-hiyama 2008/11/18 14:38 JPさん、 わざわざありがとうございます。 うーん、写し間違いがあったにしても

    そういや、あの話はどうなったんかなー、郡司ペギオさん - 檜山正幸のキマイラ飼育記 (はてなBlog)
  • 『原生計算と存在論的観測』付録から読みとるペギオ氏の思考 - bonotakeの日記

    今週は郡司ペギオ-幸夫さん一色になってしまった。これとかこれとか。 それで結局、彼の著書を図書館から借りてしまいました。 原生計算と存在論的観測―生命と時間、そして原生 作者: 郡司ペギオ‐幸夫出版社/メーカー: 東京大学出版会発売日: 2004/07メディア: 単行購入: 1人 クリック: 6回この商品を含むブログ (14件) を見るで、ここ2晩ほど、この付録についてる圏論の解説を読んでみたのですが、予想外に面白かったのです。つーのは、彼が自分の主張をしやすいように、あまり一般の教科書にはない、結構独特な定義をしていたりするんですね。んで、それに伴って微妙な間違いも発生してたりして、彼の思考(に伴う勘違い)の過程が見て取れるかと。 つーことで、個人的に面白かったところを、少し書き出してみます。 極限(リミット)は真の観測者、観測対象はサブカテゴリー 極限のよくある教科書的定義は、図式か

    『原生計算と存在論的観測』付録から読みとるペギオ氏の思考 - bonotakeの日記
  • 郡司ペギオ-幸夫氏の記事より『2.自己言及とフレーム問題の接続:その形式化』 - bonotakeの日記

    先日の日記で、郡司ペギオ-幸夫氏の雑誌記事がデタラメなんではないか、と書いたのですが、5年前の記事で、目を通す事ができる人も少ないと思うので、とりあえず記事の中の一節(第2節)の内容だけ簡単に起こしてみます。一応、引用元を再掲。 郡司ペギオ-幸夫・桑村和孝・高橋達二 (2003) 局所的意味論と現象としての計算(8) 現象論的計算としての意識:その抽象モデル 数理科学 2003年6月号 No.480 元々の記事からして私は内容が取れないのですが、更に私が手間の都合で略してるところもあるので、尚のこと意味が通じないように読めるかもしれません。そのあたりはご容赦を。 ラッセルの逆理は、集合論における内包的定義(属性)と外延的定義(対象要素の列挙)に関する同値性を覆すことで成立する。集合yの定義を、∀x∃y (x ∈ y ⇔ A(x)) で与え、内包A(x) を not x ∈ X で与えれば、

    郡司ペギオ-幸夫氏の記事より『2.自己言及とフレーム問題の接続:その形式化』 - bonotakeの日記
  • 郡司ペギオ-幸夫 - bonotakeの日記

    二次会でちょっと話題になったので、昔の雑誌記事を引っ張り出して改めて眺めてみました。 ちなみにこれ。 郡司ペギオ-幸夫・桑村和孝・高橋達二 (2003) 局所的意味論と現象としての計算(8) 現象論的計算としての意識:その抽象モデル 数理科学 2003年6月号 No.480 郡司氏の連載というより、何人かのリレー連載だったみたいですね。 当時は圏論がわかってなくて理解できませんでしたが、圏論を多少は理解している今…読んだら読んだでやっぱりわかりませんでした。当時とは別の意味で。 つか、えっ、これいいの?数学的にデタラメな気がするんだけど。 なんか眠気飛んじゃったのですが、明日朝から用事なのでもう寝ます。自分が酔ってる上での勘違い…だといいなぁ。 ちなみに、この辺の議論を踏襲してると思しき彼の著書(原生計算と存在論的観測―生命と時間、そして原生)が近くの図書館にあった。自分用メモ。 [追記]

    郡司ペギオ-幸夫 - bonotakeの日記
  • n-圏の難しさについて - 檜山正幸のキマイラ飼育記 (はてなBlog)

    郡司ペギオ-幸夫さんもお勧めのn-圏(高次元圏、高次圏、higher[-dimensional] category)のハナシをします*1。 n-圏は難しいなー、と思うのですが、どんな分野であれその分野固有の「難しさ」はあるので、「Xは難しい」のXに何を代入しても正しくなりそうです。というわけで、「なにかと比較して難しい」とか「絶対的に難しい」とかいうことではなくて、僕が個人的に困惑している点を述べます。 個人的に感じる難しさは、入り口にさえたどり着けない感覚なんですよね。まずは、おおざっぱでもなんでも「n-圏の定義」から入りたいのですが、その定義がよくわからんのです。どうやら、「誰も確定的な定義を持ってない」という事情らしい。しょうがないので、特定の誰かを選んで、その人*2の定義を受け入れようと思っても、(その人の)n-圏の定義がいつ終わるかがわからない、、、、*3 n-圏は、質的に(そ

    n-圏の難しさについて - 檜山正幸のキマイラ飼育記 (はてなBlog)
  • あーあ、こりゃダメだわ、郡司ペギオ-幸夫さん - 檜山正幸のキマイラ飼育記 (はてなBlog)

    ことの発端は、圏論勉強会二次会。「脳や生物に圏論を使っている人がいるよ」って話が出ました。それが、郡司ペギオ-幸夫さん。僕は「それは面白そうだ」と、かなり好奇心をそそられました。が、容易にアクセスできる資料がないんですよね。 でも、なぜか僕は、郡司ペギオ-幸夫さんの名前も神戸大学の先生であることも知っていたので、実は彼の新書を持っているんじゃないかと、… … 探したけどないわ。たけをさんによると、郡司さんの書籍(新書じゃなくて大きな単行)は、 これは『現代思想』の1994~96年の連載を単行化したもののようで。 ん? 1994~96年じゃないけど、『現代思想』1999-4月号がありました。特集「システム論」てやつ。「システムの話なら読んでみるべ」とか思ったのかな? 実際のところ、システム論つっても、僕がイメージするものじゃなかったですけど。で、このなかに、「時計としての時間、または過

    あーあ、こりゃダメだわ、郡司ペギオ-幸夫さん - 檜山正幸のキマイラ飼育記 (はてなBlog)
  • mixi(ミクシィ)

    mixi(ミクシィ)は、友人・知人とのコミュニケーションをさらに便利に楽しくするSNSというサービスです。

    mixi(ミクシィ)
  • 檜山正幸のキマイラ飼育記

  • 圏論とはいわず、数理論理学の切り口でいってみようか>郡司ペギオ-幸夫さん - 檜山正幸のキマイラ飼育記 (はてなBlog)

    ペギオさんは「もういいや」。あの当時は弊害が気になっていたけど、心配する気力も萎えた感じ。 と言いながら、よくやるわ>自分。 ふとしたキッカケで、最近また蒸し返し気味の「余極限の定義とか性質とか、ペギオ版を修正」 のことなんだけど、どうも「郡司ペギオ-幸夫さんがミスをした(あるいは出版物に誤植があった)ので、檜山がそれを指摘して修正した」みたいに解釈されているフシがあるけど、そういうこっちゃないのよね。確かに誤記があって、それを上記の記事冒頭で指摘はしてるんだけど、質は: 圏と圏の対象を混同しているので、激しくワケわからん記述となっている。以下、全部書き直す。 どっかでid:nucさんも書いておられたけど、雑誌『数理科学』の記事なんて、気がきいた高校生なら読んで苦笑なり嘲笑なりできる、ってレベル。でも、語彙・用語法つうか、その言葉使い*1が哲学的にも数学的にも猛烈に難しいことが書いてある

    圏論とはいわず、数理論理学の切り口でいってみようか>郡司ペギオ-幸夫さん - 檜山正幸のキマイラ飼育記 (はてなBlog)
  • 笑いが恐怖に変わるとき:江本勝さんと郡司ペギオ-幸夫さん - 檜山正幸のキマイラ飼育記 (はてなBlog)

    「僕がだんだんと郡司ペギオ-幸夫さんに批判的になっていった様子」(今日の別エントリー): この引用だけでは、僕の心境が変化した理由は読めないでしょうね。またそのうち書きます。 今日のうちに書きます。 水の詐欺師・江勝さんのときと似てると思います。江さんや郡司さんに対する僕自身の好奇心のあり方はずっと変わってなくて「おもしろいな」って気分のほうが強いのです。当初は「こんなことをマに受けるヤツはいないだろう」みたいな甘い認識だったのが、けっこう信じている人が多い事実に気付いて、「それはないだろ/マズイ、ひじょーにマズイ」と思い直す、というパターン。 「さらに「水は生きている」-- ウチには子供がいるってこと」から引用します: 僕が今回なんでショックを受けてしまったかというと、江<えもと・ぼん>へのコメントが43件もあるのに、ほとんどがマジに書いてること。ムキになっての批判や意地悪な揶揄

    笑いが恐怖に変わるとき:江本勝さんと郡司ペギオ-幸夫さん - 檜山正幸のキマイラ飼育記 (はてなBlog)
  • 「具体的に具体的に具体的に具体的に」(4回繰り返し)とはどういうことか - 檜山正幸のキマイラ飼育記 (はてなBlog)

    opechumanさんのエントリーは、bonotakeさんへの応答なんでしょうが、僕としては、このテの話は「別にどうでもいいや」。「哲学者一般が…」とかいう話はワカラン。そもそもそこは論点じゃないし。「哲学者が」じゃなくて「郡司ペギオ-幸夫さんが」ですから。 個別ケースに関する問と答 一般論や概括的・思弁的な話になってしまうと、それは郡司さんと同じ土俵にのぼることになって、どうせ結論なんて出ないでしょう。数学的にウヤムヤな議論をしていては、郡司さんのマヤカシがちっとも明らかにならない。重箱の隅をつつくようであっても、扱いやすい小さな個別ケースを切り出して、順番にハッキリと決着を付けていくべきです。それを表現したのが、「具体的に具体的に具体的に具体的に」なるフレーズです。4回繰り返す程に強調したい。 今まで僕は、2つの記事で具体的な個別ケースを扱いました。 「余極限の定義とか性質とか、ペギオ

    「具体的に具体的に具体的に具体的に」(4回繰り返し)とはどういうことか - 檜山正幸のキマイラ飼育記 (はてなBlog)