銅像同人誌『日本の銅像 偉人の英姿』がCOMIC ZIN秋葉原店に入荷してた。 ZIN通販の紹介は『全370P、明治以降に作られた日本各地の銅像、約700体を集成。人物について詳細な解説もある本格的な研究書ですが、初心者でも楽しんで読めます』で、歴史上の人物から昭和のスポーツ選手まで、20年かけて撮影された銅像約700体以上。 サークル Collectors-Item(阿部和正氏)の銅像同人誌『日本の銅像 偉人の英姿』が、ZIN秋葉原店に入荷してた。 ZIN通販の紹介では『全370P、明治以降に作られた日本各地の銅像、約700体を集成。人物について詳細な解説もある本格的な研究書ですが、初心者でも楽しんで読めます』で、卑弥呼、大国主命、織田信長、坂本龍馬といった歴史上の人物の銅像から、夏目漱石、松下幸之助や、田中角栄、小渕恵三などの政治家、大鵬、力道山などの昭和のスポーツ選手まで、日本各地の
福岡の歴史 体系的に 「新修市史」第1回を刊行 2024年までに35巻予定 2010年9月6日 01:03 カテゴリー:九州 > 福岡 第1回刊行の「新修 福岡市史」の2冊 福岡市の原始から現代までの歴史を初めて体系的に「新修 福岡市史」として編さん中の同市は、第1回分を刊行した。初回分は、中世の古文書をまとめた第15巻と、今の福岡市民らの暮らしぶりをまとめた第29巻の計2冊。市は2024年までに、4編全35巻を刊行する方針で、「対外交流拠点として多彩で豊かな福岡市の歴史を市民の財産とし、次世代に伝えていきたい」としている。 市は1997年度までに、明治22(1889)年-平成元(1989)年までの100年間の市役所の歩みを行政史として、福岡市史全19巻にまとめ刊行した。しかし、研究者らから「総合的な市史も必要」との声が上がったことを受け、「新修 福岡市史」の編さんを決定。 2004年度
福岡城瓦に「十字架」 黒田如水、長政信仰示す? 元市職員新説 刻印100点超確認 2010年5月17日 14:09 カテゴリー:社会 九州 > 福岡 井澤さんが十字架とみる下の橋大手門の瓦の刻印(白いチョークで色付けされた部分) 初代福岡藩主・黒田長政が築いた福岡城跡(福岡市中央区)で、下の橋大手門などの瓦に残されていた刻印の一部がキリスト教の十字架であるとの新説を、元同市教委文化財担当職員(現市嘱託職員)の井澤洋一さん(60)が歴史雑誌に発表した。長政は、父親のキリシタン大名、黒田如水の影響を強く受けたとされる。井澤さんは「刻印を十字架とみれば、福岡城とキリスト教の当時の深い関係性を感じることができる」と話している。 福岡城は、長政が1601(慶長6)年から7年かけて築城。洗礼名「ドン・シメオン」の如水は04(同9)年に亡くなったが、長政にも洗礼を受けさせたとされる。 瓦の刻印は、粘土
宗像市在住の戦国史家吉永正春さん(84)が、33年前に刊行した「筑前戦国史」の増補改訂版を出版した。戦国時代、大友氏に仕えた岩屋城(太宰府市)のあるじ、高橋紹運(じょううん)(1548-86)の生きざまを中心に筑前における諸豪族の治乱興亡をつづった力作だ。 吉永さんは戦後、福岡市で菓子製造会社を経営。その一方で、戦国史に関する調査にも取り組み、1957年、太宰府市の四王寺山で、雑草に覆われた紹運の墓を探し当てた。 紹運は1586年、薩摩の島津軍5万人に城を包囲されたが、大友配下の武将が各地で次々に寝返る中でも島津軍からの3度の降伏勧告を拒否。2週間の籠城(ろうじょう)の後、城兵763人全員とともに戦死した。信義を貫いた紹運を、敵の島津軍もたたえたという。 吉永さんは、この人物を中心に郷土の戦国史を織り上げようと、1976年に初版「筑前戦国史」を執筆。現在まで20を超える作品を手掛けた執筆活
福岡市の昭和のレトロな風景を集めたフォトブックが、市内の書店などで注目を集めている。発行は企画・制作などを請け負うアソシエ(福岡市博多区東比恵4)。 同社の益田啓一郎さんが、福岡市内の絵葉書を趣味と実益を兼ねて収集、体系的に研究しており、「ギンギラ太陽’s」の公演の時代考証の協力をはじめ、西日本鉄道の100年史の製作にも協力。天神に2010年開業予定のパルコの工事中の仮囲いにも、益田さんがアーカイブした写真などが使われている。 フォトブックは2007年11月に第1弾を発売以来、中高年層を中心に口コミで注文が増え、昨年8月に第2弾を発売。6冊の累計販売部数は15,000冊を超え、今回約1年ぶりに第3弾の発行に至った。これまでに約900通にのぼる感想文が届くなどの反響を経ている。 今回発行されたのはシリーズの7・8巻で、要望の多かった花電車のある風景を収めた初のカラー版「福岡市内線の沿線風景」
新婚の松本人志「○○な話」で見せたのは新境地か? それとも...... : サイゾーウーマン Yahoo!やGoogleの検索キーワードでは「黒田官兵衛」が急上昇し、「黒田官兵衛の話、面白かった〜」「こういう歴史の先生がいれば」「切ない話が好きで良かった」などの声も続出していた。 一方歴史系の板やブログでは、黒田長政はアホボンじゃないと必死の弁護が始まっている。こういう影響力のある人が、一方的な歴史上の人物のイメージ作りに荷担しないで欲しい(苦笑)。 ただこの元記事書いてる人の、「松本軍団抜きでこの番組を作れば、もっと面白かったのに」という指摘は、なかなか鋭い、この話もフット後藤の受け方に、しっかりと評価の目が向いていて嬉しい記事でした。しかしジュニアもすっかり「松本軍団」の一人というイメージが付いたよね、ジャックナイフだったのに。黒田長政―関ヶ原で家康に勝利をもたらした勇将 (PHP文
古代は「那の津」の名前からはじまり、中世からは博多の名前で栄えた都市。 飛鳥よりも古い歴史をもち、たびたび戦火には見舞われたが、飛鳥のように荒廃してしまったことは一度もない長寿の都市でもある。 近年の福岡市の地下鉄工事にともなって、多くの発掘調査が行われ、古代の砂浜の地層や、中世の元寇防塁や博多商人の貿易遺品などが大量に発掘された。 「博多を掘る」という資料は200巻になり、積み上げると2mに達するそうだ。まさに汗牛充棟である。 そのリーダー格の九州大佐伯教授がまとめられた調査地図がつぎの図である。 (以下の地図はクリックすると拡大される。) 中世からの博多の地域は那珂川と石堂川(比恵川)の間の地帯がそのメインであり、この地図の赤い部分が最近20年間に発掘調査の行われた場所である。 同時に昔の砂地層も計測され、点線のような瓢箪形の等高線の地形が明らかになってきた。 これは平安、鎌倉時代の地
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く