村上春樹氏への働きかけを批判する人って、たいていはイスラエルの行動に「苛立ち」だの「憂慮」だのを抱いているらしいが、その人なり(要は自分なり、ということであろう)のやり方というものがあったり、行動できない事情がある場合もあるのだから、その行動なり非行動の自由を束縛するのはおかしい、という言い分のようである(こっちは、束縛するつもりはないんだけど。)。 ところが、この人たちは、村上氏に働きかけることがこの問題の解決(改善)のための「有効な方法だ」と思ってる人たちの行動や発言の自由だけは認めたがらないようなのだ。 変なの。 何度も言うけど、こういう声があるということを知った上で村上氏に判断してもらおうということであって、束縛や強制の意図などないのだ。そんなこと、出来るわけないだろう。 それなのに、そういう声が上がること、世の中の表面にそういう動きが出てくること自体が気に食わないらしい。 えらく