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ブックマーク / shinichiroinaba.hatenablog.com (10)

  • ヘイトスピーチと言論の自由につき思いつき - shinichiroinaba's blog

    生煮えで恥を晒すところが多いがちょっと書いてみた。 == 応用哲学会のシンポで若い人たちが報告したヘイトスピーチの言語哲学的解剖はとても面白くて論文になるのが待たれるけど、帰りにちょっと大庭弘継君と話した通りいろいろ難しいところもある。 言語行為論を用いてヘイトスピーチを発話行為であり、通常「言論の自由」が想定している発話と行為の切断、行為から切断された独立の言論空間の設定を悪用したものである、という指摘はたしかに正しい。言論の自由が前提としている言論空間の中では、たとえ大量殺戮の計画とそれについての討論であれ「決してそれが実行に移されることはない」という前提が確固として守られるのであれば、当然に許容される。ヘイトスピーチについても同様の論法がある程度は可能だろう。すなわち、それが実生活における差別行為を伴う、帰結することがなければ、だ。ところがいわゆるヘイトスピーチはこの境界を侵犯してい

    ヘイトスピーチと言論の自由につき思いつき - shinichiroinaba's blog
    Midas
    Midas 2017/05/08
    全くダメ。まず「ある言説が便所の落書きをやめ公的になるのはいつか?」は「一般人はいつ有名人(共謀罪の容疑者)に変わるのか?」と同じ。「ブレイクしたら(バズったら、疑われたら)その人は有名人」としか言えない
  • 疎開についての8月末段階でのメモ - shinichiroinaba's blog

    以前に書いて猪飼修平氏はじめCFW-Japan内一部の方々に回覧したメモをアップする。 除染についての見積もりをちゃんとして、まともな政策提言といえるレベルにしてから公にしようと思っていたが、多忙につきそんな暇もなく、また事態は刻々動いているので、半ばアリバイ的ではあるが言いたいことは言っておくことにした。 しかしまあたった2、3カ月で無残に古びてしまったな。 ===================== 疎開についてのメモ2                          稲葉振一郎 20110831 福島県、中通り地方北部の、比較的線量が大きい地域(毎時1μシーベルト以上? 毎時1.14μシーベルトで年間10mシーベルト)を疎開の対象地域として考えてみよう。受け入れ先についてはさしあたり考えない。入れ物自体は廃校等の形で十分存在する、と想定する。 福島市 幼稚園 3,853 小学校 1

    疎開についての8月末段階でのメモ - shinichiroinaba's blog
    Midas
    Midas 2011/11/04
    間違ってる。疎開の効果はパーセンテージ単位で放射能による死亡者を減らす為にあるのではない。該当者がパーセンテージ単位の演算をしなくてすむよう、該当者とそうでない者との生における条件を同じにする為にある
  • マンフレート・リーデル『市民社会の概念史』(以文社) - shinichiroinaba's blog

    きちんと読んだのは第1章「市民社会」だけだったのだが、mixiでのいっちーの「おまいは「社会」という概念のポテンシャルがわかっとらん」とのお叱りに、棚から引っ張り出して第3章「ゲゼルシャフト/ゲマインシャフト」を読んでみる。 実は「ゲゼルシャフト」と「ゲマインシャフト」を明確に区別する言葉遣い自体、きわめて新しい、との指摘にドッキリする。 なるほど、アレントの公共性論というのは、「公共性」を近代から切り離し、その原点をむしろ古典古代に求めるという結構をとっているが、実はそれはある種の捏造であるのかもしれないのだな。 アレントは「中世は政治=公共性を忘れ、社会=共同性とそれを混同した」と言わんばかりだが、実は古典古代も(アリストテレスでさえ?)、アレントの言う意味での「公共性」を知らなかったのかもしれない。 アレントは「社会」と「社交」をほぼ等値し、更にそれをマス化した私的家のようなものと

    マンフレート・リーデル『市民社会の概念史』(以文社) - shinichiroinaba's blog
    Midas
    Midas 2009/08/17
    捏造というより「大事なものを忘れてしまってる」が近い。有名な「悪の凡庸さ」にも言える。現代を近代の物差しで計ろうとしたからこの様な無理が生じたのでは。悪(目前の現代)に感染するまいとする身振りに似た何か
  • 『1Q84』バブルをめぐって - shinichiroinaba's blog

    http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20090613/p1 の続きなわけだが。 バカ売れしていることに別に含むところはない。しかし絶賛ばかりで少々鼻白んでいるところだったので、東浩紀の『週刊朝日』でのコメントに少しばかり溜飲が下がる。 以前U2のHow to dismantle an Atomic Bombがやけに評判がよいので買ってみて、一聴なんともいえない違和感を感じたので、加藤秀一大先生にご意見を伺ったら「あれはU2自身によるU2ベストだから」とのことで納得した覚えがある。 ここで終わってしまえばこの作品は、山形浩生がクッツェーを評して言った「できあいの「問題」を上品に優柔不断化して安心させる仕掛け」、あるいは花村萬月に投げつけた「結構なご身分で。「ハルヒ」とかラノベと同じですな。」といった批判がぴたりとはまってしまうんじゃないか。そこでは寓意

    『1Q84』バブルをめぐって - shinichiroinaba's blog
    Midas
    Midas 2009/06/19
    ↓「論評」とは通常、何事かの内容についてなされるものです。作品も読んでないで「そのこと自体」に意見するのは単なる幼稚な政治解釈に基づく人格攻撃。論評ではありません。念のため
  • 転向の大雪崩 - shinichiroinaba's blog

    いえ、大したことじゃないですがね、どうもケインジアンへの総転向が始まっているようで……この勢いで××にいったらどうしようかと……戦前の日の総動員体制ってのも転向××と○○との合作と言えないこともないですし。 ここまであからさまだと「ほうれ見ろ」というより逆に不愉快な気も。

    転向の大雪崩 - shinichiroinaba's blog
    Midas
    Midas 2008/12/17
    合作以外の何ものでもないと思う。たぶん来年の今ごろは「嵌められた」とか言ってる連中に多くお目にかかるはず。
  • 「バブルとわかってる人がバブルと認めない(インセンティブをもつ)」 - shinichiroinaba's blog

    # 2008年11月05日 id:luke_randomwalker 経済学, これはどうかと うーんBISビュー/バブルだとわかるなら空売りかければ大もうけですがな/で、誰が見てもバブルなら皆が売ってたちまちバブル消滅ですがな/後から「あれは誰が見てもバブル」なんていうのはただの後だしジャンケンでしょ # 2008年11月03日 id:mojimoji セルクマ バブル退治の難しさは、バブルかどうかわからないことより、バブルとわかってる人がバブルと認めない(インセンティブをもつ)ことの方でしょう。/後は実需に直接関わる政策を金融政策より重視すればいい、ということ。 # 2008年11月03日 id:kmori58 神のごとき目を持つモジモジ君にはそれがバブルかバブルでないか見分けられるのでしょうね。我々凡人には無理だ。 http://b.hatena.ne.jp/entry/http:/

    「バブルとわかってる人がバブルと認めない(インセンティブをもつ)」 - shinichiroinaba's blog
    Midas
    Midas 2008/11/06
    バブルの存在を信じることとバブルを信じることは違う。更にはこの境界を外すのがバブル。私の説・バブルだと悟った人から市場から退散する。先日モースを読み直し改めて利潤は贈与のサブジャンルでしかないと思った
  • ここで素人臭い質問をして識者の教えを乞う - shinichiroinaba's blog

    というわけで。 そもそも「サブプライムローン」ってそんなにけしからん仕組みだったの? やっちゃいけないことだったの? 危ういっていえば危ういだろうけど、そのおかげで家を持てた人もいたんじゃないの? 今回たまたま、それが金融危機の引き金になっただけで、よそで爆弾が破裂することもあり得たんじゃないの? これまでも、そしてこれからもそうでしょう? それに投機を助長するとしてこれまでもサブプライムローン以上に悪者だった「デリバティブ」っていうか先端的金融手法にしたって、ただ単にバブルを生むだけの存在だったってわけじゃないでしょう? 先物があるおかげで、普段はリスクをヘッジできているわけだし。 そして何より大事なことは「バブルは事後的にのみ「バブル」と判定できる」ってことじゃなかったの? 厳密に言えばはじける前の好況期にだって、調子に乗って不正なことをやったやつは罰されるべきなんであって、バブルが弾

    ここで素人臭い質問をして識者の教えを乞う - shinichiroinaba's blog
    Midas
    Midas 2008/10/05
    金融工学とは新発明でなく象徴資本(ブルデュ)古代的概念の再流行ではないか。たぶん「リスクをヘッジ」辺りが誤解を生んでる。象徴資本の目的は逆に信頼、権威、名誉の拡大。実体から遊離するがゆえ極めて高くつく
  • 金融安定化法案修正案、上院で可決 - shinichiroinaba's blog

    したようなので、関係は直接はないのだが、枝野議員朝生発言をめぐってはてな界隈をメモ。 枝野氏の発言では「貸出金利は上げずに、預金金利だけ上げるべきだ。」となってますので、政府が直接金利を規制する、社会主義・計画経済的な手法だと言えるでしょう。 与謝野氏の方法では利上げで普通に景気が悪くなるだけですが、枝野氏の方法だと預金金利だけを政府が強引に挙げた結果、銀行は預金を拒否し始めるでしょう。そうなると、銀行が資金を貸し出して借りた側がそれを預金するという信用創造のメカニズムが働かなくなり、マネーサプライは急減し、与謝野氏の手法とは比べものにならないくらいの大不況となってしまうと思います。 http://d.hatena.ne.jp/Baatarism/20080930 まず、預金金利を貸出金利並みに引き上げることによる一次的な効果は、金利収入の増加である。これは可処分所得の押し上げやキャピタル

    金融安定化法案修正案、上院で可決 - shinichiroinaba's blog
    Midas
    Midas 2008/10/04
    米欄が正しい。だが世界中で銀行と名のつくものが1つだけで、タックスヘイブン等も一切、存在しなければ枝野も一理ある。要は村人の論理。ただしこの村=グローバル世界帝国を前提としてる。ポストモダン左翼の限界
  • 東浩紀・桜坂洋『キャラクターズ』(新潮社) - shinichiroinaba's blog

    すいませんね立ち読みで。 最後の方で新井素子の「小説は作者のためでも読者のためでもなくキャラクター達のためにこそ書かれねばならない」なる見解が肯定的に引かれているがこれは『…絶句』のことか? 読んでいないのでわからないですよ。 それだけについていえば『オタクの遺伝子』著者としては全面的に賛成するのでありますが、いわゆる「純文学」と「エンターテインメント」の違いがここに引っかかってきませんかね。 質とか志の問題を脇に置いて即物的に両者の違いをいうと、書き手としての作者の屈託や自意識が露骨にしかし自覚的に投入されるのが「純文学」でいいんじゃないの? 「私小説」ではそれがあからさまになるだけで、私小説でなくともたいがいのいわゆる「純文学」には、主人公であったりいわゆる視点キャラであったり、とにかく「書き手」「語り手」としての自意識がはっきりとある(客観的にいえば過剰な)キャラがだいたい登場します

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    Midas
    Midas 2008/08/01
    この連中はエンタメと純文学の区別がついてない。というか文学史的にはここ10年これ。時代の症候。どこで誰が判断をミスったか知ってるけどあえて書かない。純文学とは「誕生、性差、死」のような問いを扱うもの
  • 「疎外」「物象化」をめぐってあれこれ無秩序に - shinichiroinaba's blog

    考え方はいろいろあって、まず「マルクスの思想は現代経済学ゲーム理論と整合的である」という大前提から出発する。そうするとここで「だからマルクスも再読に堪える」という考え方も出てくれば、逆に「だったらマルクスイラネ」という考え方も出る。この違いはどちらが正しいか、という問題ではない。要はそれぞれの受け手の側での事情の違いである。マルクスを含めた「思想」によりなじみの深い人文系インテリにとって「だからマルクスも再読jに堪える」という結論には十分に意味がある。こうした層にとってはマルクスと併せ読むことによって、現代経済学ゲーム理論の理解がはかどる可能性があるからだ。 ただそれだけで済ますわけにもいかない。 山形の場合も「だったらマルクスイラネ」という結論は、何の気なしに出されているわけではない。マルクスには激烈な副作用があり、その副作用を勘案するならば、なくてすませられるなら敬して遠ざけるに越

    「疎外」「物象化」をめぐってあれこれ無秩序に - shinichiroinaba's blog
    Midas
    Midas 2008/06/20
    経済学てのは60年代から進歩してないのかwというか、かわりに金融工学になったんだよな。だからこういうちぐはぐな議論になる。
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