新春恒例の「蹴鞠初め」が4日、京都市左京区の下鴨神社で行われ、雪が舞う中、色とりどりの装束に身を包んだ鞠足(まりあし)たちが妙技を披露した。
東京・築地市場(中央区)で5日朝、新年恒例の初競りが行われ、青森県大間産のクロマグロ(222キロ)に1億5540万円という史上最高値が付いた。昨年の5649万円を大幅に上回り、卸売場ではどよめきや歓声が広がった。 午前5時すぎ、鐘の合図で始まったマグロの競りは、この日1番のマグロを狙う仲卸と競りに参加する権利を持った「すしざんまい」を展開する喜代村との一騎打ちに注目が集まった。 お互い譲らず徐々に競り値は上昇、昨年の1キロ当たり21万円をあっさり突破。通常、あっという間に値決めされるが、両者の競り合いは数分間に及び、キロ70万円という超高値で喜代村に軍配が上がった。 喜代村の木村清社長は「今年も日本一のマグロを食べたい、というお客さんの声に応えたかった」と話し、競り落としたマグロは各店舗で提供する予定。価格は「本来ならすし1個3万円以上になる」(喜代村)ものの、今年も通常通りの
要旨: 今回は「子どもの仲間関係と発達への関わり」の連載第2回目として、異年齢の子ども同士の関係性について取り上げた。子どもにとって身近なきょうだいに始まり、異年齢保育での仲間関係に関する心理学の知見を紹介しながら、子どもの社会性の発達に対する異年齢関係性の意義について論じた。 1.幼稚園で起きたある事例から 私が教員養成学部の授業で学生によく見せる教材DVDに、幼稚園での4歳の男児の一日を追いかけたものがある。主人公であるAくんが、大好きなタイヤ転がしレース遊び(本人はミニ四駆レースと言っている)をめぐって仲間といざこざを生じ、それをなんとなく解消して、最後には楽しい一日を過ごしたというストーリーである。中でも印象的なのは、Aくんが仲間と一緒に大きな積み木を使って、ミニ四駆レースのコースをつくるシーンである。Aくんは、同い年の子どもと一緒になって、自分の背よりもかなり高いところから滑り落
【TPP参加で知財分野はどう変わる?】津田大介の「メディアの現場」vol.56より 新政権をスタートしたばかりの自民党が、TPP交渉参加への方針をめぐって揺れています。TPPは交渉参加国間で2013年10月の合意を目指すといわれており、日本の参加表明の期限は2013年早々だという話も。参加するのか否か、遅々として議論が進まないのは、秘密協議であるTPPの情報が開示されないためと言われています。国民にとっても同様、政治家にとってもTPPは謎のベールに包まれた存在になっています。そこで今回は、これまでに明らかになったTPPの知財分野の情報を総ざらい。2012年12月、ニュージーランドで開催された知的財産権に関する国際的な反TPP会合に出席したMIAU事務局長の香月啓佑(@kskktk)に話を聞きました。 ◆TPPで日本の著作権法はどう変わる?――保護期間延長、非親告罪化、匂いや音の特許まで津田
ライフハッカー編集部さま 休暇中に里帰りをするのですが、実家はインターネットの回線速度がとても遅いので困っています。ネット速度が遅くとも効率的に仕事をするコツなどがあれば教えてください。よろしくお願いします。 亀の歩みネット(Cumbersome Connection)より 亀の歩みネットさんへ ご質問ありがとうございます。遅いネット回線によるイライラは想像しただけでもイヤなものですね。できるだけストレスフリーに使える方法を下記にて回答します。■ネット速度に依存するタスクとそうでもないタスクを分ける いきなりブラウザやパソコンの設定をいじる前にやっておきたいことがあります。まず、自分の作業内容をいま一度確認し、タスクを2つのカテゴリーに分類します。GigaOM氏による説明は下記の通り。 タスクをネット回線速度に依存するものとそうでもないものに分けます。ルーチンとなっているウェブタスクを再度
新年あけましておめでとうございます。 昨年はいきおいでブログを始めたものの、8月で完全に時が止まっておりました・・ 今年もできるときにちょこちょこ更新、となりますが、見てきたこと、感じたことを自分なりに、つれづれと細く長く(?)記録していこうと思いますので(相変わらず文章力はありませんが・・)どうぞよろしくお願いいたします。 新年1発目は私立大学における「機関リポジトリ」*1の構築について思ったことをつらつら書いてみます。 ---- 2013年1月4日、文部科学省による「学位規則の改正案に関するパブリックコメント」の募集が締め切られました。 今回の学位規則の改正案を見ていると、いよいよ大学において機関リポジトリは情報インフラとして欠かせないものとなってきているのかな、と今更ながらに強く感じます。 なお、今回の「学位規則の改正案」の概要は下記のとおりです。*2 1)博士論文の印刷公表*3に代
関西の将棋界で活躍した坂田三吉氏 将棋史上名高い京都・南禅寺の決戦。対局する坂田三吉氏(左)と木村義雄名人 1937年2月5日 京都・南禅寺 大阪の奇才、坂田三吉氏をしのぶ「王将碑」(高さ2・6m) 1969年10月28日 大阪・浪速区恵美須町の通天閣下 大衆にもっとも愛された戦前の将棋棋士。大阪・堺で生まれ、貧困の中、独学で将棋を学び1915年8段になるが、東京の将棋界に受け入れられず関西名人を名乗った。37年、16年ぶりに中央の将棋界に登場し京都・南禅寺で木村義雄名人に挑んだが敗れた。独特の着想による棋風は近代将棋の確立に大きな影響を与え、その生涯は北條秀司氏の新国劇「王将」のモデルとなった。76歳。没後の1955年、日本将棋連盟は名人・王将位を追贈した。 <当時の新聞紙面>
堺県大鳥郡舳松村(現・大阪府堺市堺区協和町)で出生[5]。生業の草履表づくりを手伝いながら、将棋を覚える。 1886年(明治19年)ごろ、日本橋の履き物問屋に丁稚奉公し、町角の縁台将棋によく顔を出し大人を負かせるなど早熟の天才振りを見せていた。だが、将棋に夢中になるあまり背負っていた奉公先の子供を負傷させ、暇を出されたといわれている。 その後は実家に帰り家業を手伝いながら賭け将棋で腕を磨き、素人(アマチュア)の将棋指しとして大阪で有名になる。 1891年(明治24年)頃、関根金次郎(当時三段または四段)と堺の料亭一力で初対決し、惨敗。このことで坂田はプロの道を決意したとされる。なお、初手合わせは1892年(明治25年)・1893年(明治26年)・1895年(明治28年)という説[6]、1894年(明治27年)頃という説[7]もある。また、この対局は両者とも賭け将棋を否定しているが、賭け将棋
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く