タグ

ブックマーク / homepage3.nifty.com (4)

  • 沖縄奄美非合法共産党資料

    「社会主義Socialism」とは、曖昧で論争的な概念である。私の理解では、それは、フランス革命の「自由・平等・友愛」理念を継承し、とりわけその「平等」理念を「財産共同体」として実現しようという、さまざまな思想および運動の総称で、もともと1820年代に英語でこの言葉が生まれたときには 、まだ「資主義Capitalism」という言葉はなかった。  カール・マルクス『資論』と第一インターナショナルの時代に、「社会主義」の担い手としての労働者階級、その運動としての労働組合・労働者政党が「発見」され勃興した。ただし、マルクスが「社会主義」という言葉を肯定的に使ったのはきわめてまれで、自己の理想を「共産主義Communism」ないし「協同社会Association」として述べる場合が圧倒的だった。マルクスは、「資主義」という言葉もほとんど使わず、「資家社会kapitalistische G

    PledgeCrew
    PledgeCrew 2009/09/13
    「ドイデ」では「労働の廃止」といってるし、「ゴータ綱領批判」では「労働には超自然的創造力がある」ってのはブルジョア的理論と言っている。なので本来のマルクスの思想は単純な「労働万歳!」ではなかったのだが
  • 目からウロコの南京大虐殺論争

    目からウロコの南京大虐殺論争 はじめに こんなページを作るきっかけになったのは、2003年に発表した『神は沈黙せず』の中で、南京大虐殺論争を取り上げたことである。 小説の中では、若い人気小説家・加古沢黎が、先輩作家・真田佑介を相手に南京大虐殺に関する論争を掲示板上で繰り広げ、真田の主張をことごとく論破する。 お断りしておくが、加古沢は僕ではない。彼はこの小説の中の(神は別にして)最大の悪役である。キャラクターを設定する際に僕自身の信条や性格をいくつか彼に植えつけはしたが、僕とは別人である。だいたい僕は加古沢ほど頭が良くないし売れてもいない(笑)。 なぜこんな場面を書いたかというと、加古沢というキャラクター(若く、頭が良く、歴史に詳しく、既成の権威に対して反抗的)を読者に印象づけるためであると同時に、「人は自分が信じたいものしか信じない」という書の重要なテーマを表現したかったからで

  • レヴィ=ストロース

    レヴィ=ストロースの構造主義 はじめに 構造主義といわれているもののキモの部分をつかむ必要を感じて作業を始め、2つの入門書に目を通してみた。が、いま1つ得心がいかない。2つはともに震源地としてレヴィ=ストロースを挙げ、多くの紙幅を割いていた。しかし、肝心のレヴィ=ストロースの構造主義とその余のものとの区別がどこにあるのかについてふれていない点でも共通していた。どうやらそのあたりにことをわかりにくしている原因があるのではないか。そう直感した。結果、この直感は的を射ていた(と思う)。「全く」とまではいわないが、両者は別もの(少なくとも明確に区別して扱うべきもの)なのである。2つに分けて考えると、レヴィ=ストロース以外(フーコーやバルトなど)が成功しなかった理由が浮き彫りになる。構造主義の登場ときびすを接する形でポスト構造主義が喧伝された根拠も、見えてくる。ひとことでいうと、わかりやすくなる

  • culture review61

    表題のとおり、今回は村上春樹の『アンダーグラウンド』、いわゆる「オウム・サリン事件」にまつわるインタビュー集を取りあげる。これをオウム裁判などの現実的な事象とともに考察し、またそのうえで以降の村上作品も位置づけてみたい。といっても、1995年に起きた東京地下鉄サリン事件から11年、『アンダーグラウンド』刊行の1997年からも9年と、すでに問題が取り扱われた時期からそれなりの時間が経過しており、一連の出来事やこれらの村上作品に、その当時きっちり応接した人からすれば、こんなこころみは「いまさら」の感があるかと思う。 そのころのわたしは、マスメディアによる「オウム報道」をどちらかというと敬遠して積極的に摂取しなかったし、村上の上記作品も読まなかった。理由は、どう見ても世情におもねったマスコミの報道が、おうおうにしてアンフェアで、事実認識的にも混乱しているようにしか思えなかったからだ。またこれと

  • 1