誤解を恐れずに言ってしまえば、エロゲ歴3年半を経過した私のエロゲ生活は、既に下り坂に入っているだろう。 これまた誤解を恐れずに言えば、このエロゲ業界に、これ以上の爆発的発展性は望めないと思うのである。 私がそもそもなんでエロゲレビューサイトを作ったか、いや、なんでそれまであった書評サイトからエロゲのコーナーを分離したのか。 そこに、一人でもエロゲをやる奴を増やす…という目的があったことは決して否定できない。たまに「このサイトを見て〜を買いました」というカキコがあって、それはそれで嬉しいのだが、私が本質的に理想としているのは、「このサイトを見てエロゲを始めました」なのだ。アニメにも同人誌にも興味を持たない(今もそう)私にヲタの自覚はもともと無かった*1。このサイト、もともとヲタ向けに作ったモノでないのだ。 しかし…その一般人勧誘の成果は、散々たるモノだ。私の周りの本当にコアな友人の何人かにも
(2006/1/15修正。以下の文章は自分がどのようにギャルゲー*1を見ているかの一考察ですので、気が向いたらどうぞ。) どーも私の頭の中には「萌えゲー」⇔「純愛ゲー」という一つの評価軸*2があるようだ。全てのエロゲーにヒロインが登場する以上、この二つは対極の存在となっている。 : そしてその二つに求めているモノが正反対だから性質が悪い。 「萌えゲー」には、まさに「萌え」を。ヒロインの愛らしさとそれを味わうことによる多幸感を。世界と各ヒロイン間の調和を。「ヒロインを視る」。主人公はヘンなことをしなければ没個性で問題ない。そして「萌え」は、そんなに深い感情ではなく、複数の対象に同時に成立する。魅力的なキャラは多ければ多い方が良く、至高の萌えゲーはマルチエンドを消化できる。深部への描写は軽快さを失うことがあり、物語性との相性は比較的悪い。「2」は世界の拡大だから、素直に受け入れられ易い。 「純
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