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書評と教育に関するRanTairyuのブックマーク (9)

  • 「すごい」のすごさ - 書評 - 斎藤孝のざっくり!日本史 : 404 Blog Not Found

    2007年12月03日00:30 カテゴリ書評/画評/品評 「すごい」のすごさ - 書評 - 斎藤孝のざっくり!日史 祥伝社より献御礼。 斎藤孝のざっくり!日史 齋藤孝 文字通りの「スゴ」。 なぜすごいかといえば、すごくない著者が、「すごい」のすごさを説いたでもあるから。 書「齋藤孝のざっくり!日史」は、「声に出して読みたい日語 」の著者が、声に出して日史を読んでみたもの。 目次 プロローグ いまこそ、日史を学びなおす 第1章 「廃藩置県」と明治維新--なぜ前代未聞の大革命が成功したのか 第2章 「万葉仮名」と日語--和洋中の粋を集めて発展した「世界言語」 第3章 「大化の改新」と藤原氏--ナンバー2が支配する日統治の始まり 第4章 「仏教伝来」と日人の精神--「ゆるさ」が可能にした神道との融合と禅の進化 第5章 「三世一身法」とバブル崩壊--日の土地所有制度は

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  • 404 Blog Not Found:書評 - 自殺するなら、引きこもれ

    2007年11月19日16:15 カテゴリ書評/画評/品評Culture 書評 - 自殺するなら、引きこもれ 久しぶりに、タイトルは/^書評/で。 自殺するなら、引きこもれ 田透 / 堀田純司 「わたしが知らないスゴは、きっとあなたが読んでいる」に習って最近では「要約 - 書評 - 題名」にしてきた私だが、見ての通り書はこれ以上要約しようがないタイトルがついている。 書「自殺するなら、引きこもれ」は、1969年生まれの両著者が、自らの体験を元に綴った「引きこもりのすすめ」。偶然だが私は著者たちと年齢も同じなら、引きこもりであった(過去形?)ことも同じなら、高校を卒業せず当時の大学入学資格検定 - 今なら高等学校卒業程度認定試験 - を経て大学に入学したところまで同じである。ただし著者たちと違って、私は中退なので、自らの学歴を語る時には「中卒」としている。当時の「大検」が「高認」だっ

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  • 書評 - 水はなんにも知らないよ : 404 Blog Not Found

    2007年03月02日16:30 カテゴリ書評/画評/品評SciTech 書評 - 水はなんにも知らないよ 日到着。早速読了 水はなんにも知らないよ 左巻健男 面白かった。少なくとも 水からの伝言の6.0221415 × 1023倍は面白いだと思う。ちなみに「水からの伝言」、一応(ブックオフで)立ち読みしてみたけど、とても金出して買う気にはならなかった。 書「水はなんにも知らないよ」は、「新しい高校 (物理|化学|生物|地学) の教科書」の左巻健男による、「水からの伝言」に対する返事。もう少し正確に言うと、返事が半分。DHMO、別名水の基礎知識が半分という構成。 目次 1章 検証「水は答を知っている」のか? 2章 メッタ斬り!怪しい水ビジネス総まくり 3章 私たちのからだと水 4章 そもそもおいしい水とはどんな水? 5章 水道水とミネラルウォーター ニセ科学批判としてより、水という

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  • 『欲ばり過ぎるニッポンの教育』

  • 竹内一郎サントリー学芸賞受賞問題の〈起源〉 - 宮本大人のミヤモメモ(続)

    竹内一郎氏が『手塚治虫=ストーリーマンガの起源』でサントリー学芸賞を受賞した件について、緊急声明的に問題提起を行なったところ、予想以上に大きな反響をいただき、また、多くの有力な援護射撃をいただくことができ、心強く感じました。マンガ論の蓄積が今、どの程度の地力を持ちえているのかを確認する機会を提供してくれたという点では、竹内氏とサントリー学芸賞の選考委員諸氏にも、お礼を言うべきなのかもしれません。 さて、この件がどのような意味で「問題」なのかについては、すでにさまざまな形で上に触れた有力な援護射撃の中で指摘されていますが、今一度、私なりにまとめておきたいと思います。 まず、大きく分けて、二つの問題があります。 ①この著書そのものの質の問題。 ②この著書がサントリー学芸賞を受賞してしまったことの問題。 ①については、すでにこの著書が刊行された時点で、「漫棚通信」、「紙屋研究所」、「白拍子なんと

    竹内一郎サントリー学芸賞受賞問題の〈起源〉 - 宮本大人のミヤモメモ(続)
  • わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる: 「いい親」が子どもをダメにする

    何をもって「いい親」とするかによるが、センセーショナルなサブタイトルにもかかわらず、著者の言い分はかなり同意できた。 はやりの育児法を鵜呑みにして、子どもとトモダチになろうとする親がいる。そもそも育児書なんか読み漁ってないで、周囲(特に自分の両親)に相談しなさい、と主張する。著者はかなりのご年配であることを念頭に読むといいかも。 最初に強く頷いた箇所はここ↓ 全ての基は夫婦の関係。(理想的には)夫婦が互いに信頼しあい、愛し合っている家庭であることが、子育ての最初の一歩。もちろん事情により片親の場合もあるが、それではダメということではない。「理想的には」を頭につけたのはそのため 「子どもへのまなざし」[参照]で知ったが、子どもを家庭の中心に据えて、両親が子どもに寄りかかっている、いびつな関係がある。 それは、子どものことを一生懸命に考えすぎた母親が陥る罠だそうな。わが身を犠牲にすることが、

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  • ODN:サービス終了のお知らせ

    ご訪問いただいたお客様へのお知らせ アクセスいただいたWebサービスは提供を終了いたしました。 長年にわたり、多くの皆様にご利用いただきましたことを心よりお礼申し上げます。 ODNトップページへ

  • Passion For The Future: 考えあう技術

    考えあう技術 スポンサード リンク ・考えあう技術 教育とは、子どもを「社会の成員(大人)としてふさわしい存在」へと育て上げていくこと」であると著者らは定義する。そしてそのふさわしさとは、働いてべていけるために必要な「技能や知識」、そして「他者との関係能力」を持つことである、という。 だが、現代社会における、ふさわしさを理念化して共有しようとすると難しい。これは二人の教育者が、教育の理想を議論するである。まず「自由」や「平等」、「市民社会」という現代の「自由な社会」を形作る基理念がある。個々人の自由と、社会の一員になること、は対立する印象さえある。 かつての「優秀な労働力をつくる」調教としての教育は時代遅れになった。豊かな消費社会の中で「他者を傷つけない限り、自分の快楽と欲望を追求してよい」という考え方が支持されてきた。個人は社会にどう関わっていくべきかという視点が希薄になった。そし

  • 〈子〉のつく名前の女の子は頭がいい - 雑記帳

    『“子”のつく名前の女の子は頭がいい―情報社会の家族 (新書y (045))』は目を引くタイトルだけど、これは近頃話題の「バカ」の類ではない。著者もまえがきの1ページ目で早速そのことについて説明している。 はじめに誤解を解いておきたい。僕がこので主張しているのは「〈子〉のつく名前の女の子は頭がいい」ということではないのだ。個人の運命は名前で決まるわけではない。名前をみただけでその人の運命など予測できるはずもない。 目的を明確に述べておこう。書において、著者はマスメディアの副作用について解明している。テレビや新聞が完全に普及し、雑誌やインターネットがあらゆる言語空間を覆いつくすなかで、人々の行動はどのような影響を受けているのか、それを解きあかそうというわけだ。著者の判断ではそれに成功している。 (p5) このは、恐らく日国内の社会学の学会などでは受け入れられないのだろう。何しろ著者

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